3話
朝。白い霧が村全体を包み込み、
世界はまだ夢の中にいるようだった。
小鳥たちのさえずりが、
遠くの空から微かに届いてくる。
工房の扉の前には、すでにひとりの影が立っていた。
「……来たか」
低く、けれどどこか安堵の混じった声。
カイは、昨日と同じ黒衣をまとい、剣を背に携えていた。
だが、今朝の彼の表情には、わずかに笑みの色が浮かんでいた。
扉が開く。
現れたのは、旅装備を整えたシロだった。
白衣の上に重ねた簡易クローク。
肩には小さなバッグ。腰には携帯工具セット。
そして、なによりその瞳には、昨日までにはなかった“決意”が宿っていた。
「……行くよ。私、作るから。あなたが壊さなくて済むように」
その言葉に、カイは目を細めて頷いた。
「……頼りにしてる」
二人は歩き出す。
工房を、村を、穏やかな日々を背に――
けれど、心には“誰かを守るための希望”を携えて。
クラフターの少女と、戦士の青年。
その旅は、まだ始まったばかりだった。
---
小さな村を出て、シロとカイは東へと向かった。
朝靄に包まれた道は、ところどころ草が生い茂り、野鳥のさえずりだけが静かに響いていた。
ときおり現れる石造りの道標には、簡素な刻印だけが残されている。
「次の町まで、一日半ってところか」
カイが足を止め、地図を見下ろした。
「……はじめてだね。こんなに遠くへ来るの」
シロは小さく呟いた。
風が吹いた。彼女の白衣が静かに揺れる。
それを見たカイは、ふと、真っ直ぐな瞳でシロを見た。
「怖いか?」
シロは、ほんのわずかにうつむいたあと、ゆっくり首を振った。
「怖くない……わけじゃないけど、それ以上に、行きたいって思ってる。私にできることを、したい」
その言葉を聞いて、カイはわずかに口元を緩めた。
「――いい返事だ」
そして二人は再び歩き出した。
ーーーーーー
町の名は「トゥルエ」といった。
それは森とと川まれた、穏やかな土地のはずだった。
けれど、、今のその町には、空気の端々に――静かな重さがあった。
子どもの笑い声も、鍋の煮える音も、どこにも聞こえなかった。
そのかわり、どこかから、わずかに洩れる咳の音と、
低く落ち着かない大人たちの声。
夕暮れの空は淡い藍色に沈み、家々の窓には灯りが揺れていた。
それなのに、町の通りはまるで“朝”のように静まり返っていた。
「……疫熱、だと」
カイの声が、低く、乾いていた。
宿屋の主人が頷いた。
彼の手は、無意識にカウンターの端を握りしめていた。
「三日前、川の上流から流れてきた水を使ったあたりからだ。子どもたちが先に倒れた。高熱、咳……息が浅くなる」
主人の目は、恐れと無力さと、
そして小さな希望を探すように揺れていた。
その目が、ふと、シロの白衣を見た。
少女は何も言わず、ただ黙ってその言葉を聞いていた。
白髪はうっすらと灯りを反射して、柔らかく光っていた。
そして――小さく頷いた。
「……その子たちを、見せてほしい」
宿主は驚いた顔をした。
けれど、その声には、
まるで湖の底に沈んでいるような静けさと、硬さがあった。
「おい、シロ」
カイが声をかける。
だがシロは、彼の顔を見て、はっきりと答えた。
「大丈夫。私は“作る”。それしかできないけど、
それなら……きっと、できる」
その目は、まだ何も証明されていないのに、
なぜか“信じていい”と思わせるものを持っていた。
カイは一瞬だけ目を細め、そして何も言わずに頷いた。
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病室は、宿の裏手にあった。
かつて物置だったというその部屋には、
簡易ベッドが三つ。
そこに、痩せた子どもたちが、
汗をかいた額で横たわっていた。
息が浅く、頬は赤く、目を開けることもできない。
シロは黙って膝をつき、子どもたちの顔をひとりひとり見た。
そのたびに、クラフト台の完成図が、
彼女の中で少しずつ浮かび上がってくる。
「汚れた空気……」
誰に向けるでもなく、シロはそう呟いた。
「……熱を吸ったまま、逃げ場を失った空気が、この部屋に滞ってる。
だから、身体の熱が下がらない。呼吸がうまくできない」
彼女は立ち上がると、クラフト台の前に向かった。
それは、彼女自身の手で作り上げた、
自分だけの“作るための場”。
思い描く。
求められる形、温度、空気の流れ、動き――
それは、まるで自分の中にある地図のように、正確に、
しかしふわりと現れる。
「……清浄炉」
そう、シロは名付けた。
布と鉱石、乾いた薬草と、水を通した粘土。
与えられた素材たちが、彼女の思考の中で形を変え、
重なり、整えられていく。
完成図は、空間の向こうに静かに浮かんでいた。
シロはその完成品へと、手をゆっくりと伸ばす。
まるで、霧の中の光をつかむように――やさしく、迷わずに。
掌が空気を揺らした。
そしてそこに、“何か”が現れた。
金属と木の融合体。中心部には光の脈動。
それは部屋の空気を緩やかに吸い上げ、やわらかく浄化し、
吐き出す装置。
彼女が名付けたとおりの、「清浄炉」だった。
静かにそれを病室の隅に置く。
動き出す音は、まるで息をしているかのように穏やかだった。
シロは、手を胸の前で組んだまま、その装置をただ見つめた。
夜が深まり、灯りが静かに揺れる中――
一人の子どもが、咳を止め、ゆっくりと目を開けた。
「……お水、ほしい」
それだけの言葉が、まるで鐘の音のように静けさの中に響いた。
その瞬間、母親が駆け寄り、泣きながら子どもを抱きしめた。
シロは――小さく、震えていた。
信じられないものを見たような、不思議な顔。
「……できた、んだ。私……作ったんだ。命を……」
その言葉を聞いたカイは、黙ってシロの肩に手を置いた。
「――よくやった。お前は、もう立派な“守る者”だ」
そう呟く彼の声は、どこか、やわらかかった。
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