この気持ちは青磁色
切手ゆうひ
第1話
第1章
「朝比奈さくらさん」
名前を呼ばれた瞬間、教室の空気がすこしだけ止まった気がした。
耳の奥が熱くなって、私は自分の番号を見下ろす。
──ほんとに、当たってる。
「うわ、さくら当選〜!」
陽菜の声が、静けさをふっと破った。
「やば、マジかー! さくら実行委員とか、強いんだけど?」
教室がざわつく。くじ引きのはずなのに、どうしてかみんなちょっと楽しそうで、
その雰囲気に私は苦笑いしか返せなかった。
「えっと、もう一人は……五番。結城誠くん」
担任が名簿を見ながら名前を読み上げたとたん、みんなの視線が一斉に後ろの窓際へ向かった。
少し間があって、ようやく彼が顔を上げた。
「……はい」
それだけ言って、小さく手を挙げる。
その仕草に、私は妙に見入ってしまった。
「え、あの結城くんと? ガチで?」
陽菜がこっそり耳打ちしてきて、私は「誰?」と返す。
「無口すぎて、クラスに存在してない疑惑まである人」
……正直、それは少し言いすぎだと思った。
昼休み、文化祭テーマの出し合いが始まった。
「レトロ喫茶」「フォトジェニックカフェ」「思い出カフェ」
ホワイトボードにはカラフルなアイデアが並んでいく。
「この辺どう?」
陽菜がノートを手に近づいてきた。
「“思い出カフェ”って案、結構好きかも」
「うん、響きがちょっとやさしい感じでいいかも」
私はうなずきながら、その言葉をノートに書き写す。
一方、結城くんは自分の席でずっとノートをめくっていて、参加してるのかしてないのか、判断が難しかった。
でも、ふと誰かがメニュー構成の話をしたとき、彼は小さく首を傾けて何か書き込んでいた。
「……もしかして、ちゃんと聞いてる?」
なんとなく、そう思った。
放課後。私は勇気を出して声をかける。
「今日のうちに、役割分担だけ確認しない?」
「……うん」
彼はすぐにうなずいて、ノートを少しこちらへ傾けた。
中には、教室の簡易レイアウトや机の配置、必要な備品のメモがもう書かれていた。
「これ、考えたの?」
「……なんとなく」
私は笑いそうになって、でもこらえた。
なんとなく、が、すごくちゃんとしてる。
「じゃあ、これベースで話進めてこうか」
「任せる」
相変わらず、短くて淡白。
でも、嫌な感じじゃなかった。
こういう関係も、悪くないかもしれないと思った。
第2章
文化祭まで、あと十日。
準備は順調というにはまだ早く、クラスはざわざわと落ち着かない空気に包まれていた。
「……今日のうちに、買い出し行っとこうか。100均とスーパーなら今の時間でも回れそう」
リストを確認して私は立ち上がった。
「おっ、動き早っ」
クラス委員の山下くんが切り抜き作業の手を止めてこちらを見る。
「じゃあうちらは、教室の“映え”担当ね〜」
美羽ちゃんはスマホでロゴの画像検索をしながら笑っていた。
どうやらこのふたり、最近付き合い始めたらしい。
「私も行く! 商店街のたい焼き久しぶりに食べたいし」
陽菜がぴょんと手を上げる。
「俺も行く。誠ひとりで行かせたら無言のまま帰ってくる」
悠斗くんがぼそっと言って、結城くんの肩を軽くつついた。
「……別に」
返事は相変わらずそっけない。
でも、拒否ではなかった。
4人で商店街へ向かう道。
陽菜と私は100均で紙テープを見比べていた。
「ピンクは外せないけど、これ見て、青磁っぽいの。落ち着いててかわいくない?」
「さくらの“和風好み”出てる〜」
陽菜が笑う。
「そっちの蛍光ピンクが文化祭っぽいんでしょ」
そのとき、結城くんがミントとグレージュのテープを手に戻ってきた。
「ミントの横にこれ並べると、光の加減で浮かなくなると思う」
「……ほんとだ、ありがと」
視線は合わない。でも、彼の目は確かに、飾りのことをちゃんと見ていた。
「誠、こういうの地味に得意だからな」
悠斗くんが言った。
「抜かりない。助かるわ、ほんと」
私は小さくうなずいて、選んだテープをメモ帳に貼り付けた。
スーパーの帰り道、ふと見かけたのは、アイスを持って歩く山下くんと美羽ちゃん。
「うわ、“恋愛ごっこ”感すごくない?」
陽菜が笑う。
「チョコミントを共有しようとして、絶対もめた顔だった」
悠斗くんが肩をすくめる。
それを見て、私はなんとなく思った。
恋、って、演技のうまさと比例するのかもしれない。
買い物を終えて、たい焼き屋に立ち寄る。
「たい焼き食べよ! チョコとあんこ、半分こしよ」
陽菜がチョコを私に差し出す。
「たい焼きって、昭和っぽくて好き」
私が言うと、陽菜が笑う。
「さくらってさ、いつも時代1個飛ばしてない?」
「一応、平成は通過してきたから」
みんながちょっとずつ笑って、あんこや尻尾の取り合いがはじまる。
何気ない会話と、ほんの少しの甘さ。
それでも、“たのしい”って、ちゃんと残っていく。
第3章
文化祭まで、あと三日。
教室に届いた段ボールは、思っていたよりずっと軽かった。
「これ……ロゴ印刷、入ってない」
陽菜がリストと突き合わせながら眉をひそめる。
「え、メニューカードも、ポスターもない……」
私の指先が止まる。
「たぶん、印刷業者に出してなかったんだと思う……私、手配したつもりだったけど……」
美羽ちゃんが青ざめた顔で言う。
「まじか。……ってことは、ブースの顔になる部分、全部抜けてる?」
悠斗くんが静かにつぶやく。
その場の空気が一気に沈んだ。
私は、リストを持ったまま言葉が出なかった。
「とりあえず、残ってるデータ見てくる」
「こっちは買い出しの紙在庫、探してみる」
「装飾班にも伝えとかなきゃだよね」
あちこちで立ち上がる気配がして、それぞれの班の子たちが一斉に動き始める。
「……朝比奈、お願いしていい?」
「うん。任せて」
人が減っていく教室のなかで、残ったのは私と――
隅でノートを開いて、黙々と何かを書いている結城くんだけだった。
「……リスト、確認しながら整理しとく」
彼がぼそりと呟いた声が、静かな教室にやけに響いた。
「どうするの」
気づいたら私は、やや強めの声で問いかけていた。
「印刷、最小限なら自宅のプリンタでいけるかもしれない」
「でも、今から? あと3日で、全部、手配して? 無理あるって」
口調に苛立ちがにじんでいるのは、わかっていた。
でも私ばっかり焦ってるような気がして、それが悔しかった。
「……やるだけやってみるよ」
そう言って、彼はノートにラフなデザインを書きはじめた。
その姿に、私は何も言えなくなった。
夜。
私は布団のなかでスマホを握ったまま、何度も画面を開いては閉じていた。
“だいじょうぶ?”
“なんか、手伝えることある?”
どんな文面も、違う気がした。
そんなとき、彼から先に通知が届いた。
《画像:手描きのロゴと手書きフォント見本。余り紙でのラミネート見本も写っている》
【家にある分で試してみた。朝、少し早めに行く。by 結城】
一枚の画像に、まるで“作業そのもの”が詰まっていた。
私は、その写真をしばらく見つめ続けた。
翌朝、誰よりも早く教室の鍵を開けたのは、たぶん彼だった。
机の上には、丁寧に切られた画用紙、プリントアウトしたロゴ、ラミネートの試作品。
そして、印刷し損ねたはずのメニュー札まで、手書きで再現されていた。
「……ほんとにやったんだ」
思わず私が言うと、結城くんは少しだけ肩をすくめた。
「嫌いじゃないから。こういうの」
それだけ。だけど、その一言が、なんだか胸に残った。
昼過ぎ、装飾が整った教室に入ってきた陽菜がぱっと目を見開いた。
「やだ、めっちゃ“味ある”じゃん。これ逆に映える!」
「手作りってわかるのが、なんかあたたかくていいっつーか」
悠斗くんも感心したようにメニュー札をひっくり返す。
私は、何も言わずにテーブルの端で画鋲を止める結城くんを見つめた。
“言葉じゃなかったけど、ちゃんと動いてくれてた”
やっと、そう思えた。
夕方、教室での作業がいったん終わったあと、私は一人で階段下のベンチに座った。
うっすらと汗のにじむ額に、紙テープの切れ端がゆれている。
目の前に落ちていた青磁色のリボンを拾って、くるくると指で巻きながら、私はぽつんと空を見上げた。
たぶん、あの夜に返せなかったメッセージのかわりに、
私は今日、ちゃんと受け取った。
そんな気がした。
第4章
文化祭当日の朝、窓から差しこむ光は、昨日よりちょっとだけ柔らかかった。
空はまだ梅雨の途中で、青と白のあいだを迷っているみたいだったけれど、私はなんとなくうれしかった。
教室に入ると、そこはもう立派な“お店”になっていた。
ロゴ入りの手書きメニュー、写真展示、紙皿に巻かれた青磁色のテープ。
昨日までのバタバタがうそのように、それらはきちんと「並んで」いた。
「これ……けっこういい感じじゃない?」
陽菜がカーテンを開けながら言う。
「うん、ちゃんと“カフェ”っぽい」
私は、自分の声が少しだけ弾んで聞こえるのに気づいた。
開始のチャイムとともに、教室はにぎわった。
思った以上にお客さんが途切れなくて、接客と案内でバタバタだったけれど――
誰かが写真を見て「懐かしい」って笑ってくれたとき、不思議とほっとした。
「さくらー!こっちちょっとお願い!」
「ラミネート、あと3枚足りないって!」
あちこちから声が飛ぶ。息をつく暇もなかったけど、そのせわしさも嫌いじゃなかった。
昼過ぎ、接客がひと段落して、私はこっそり廊下に出た。
水筒から少しだけミントティーを飲んで、深呼吸する。
そのとき、後ろから小さく名前を呼ばれた。
「……朝比奈」
振り向くと、結城くんが段ボールの切れ端を手に、こっちを見ていた。
「黒板の上のスペース、貼ったやつ、一部ゆがんでた。テープ持ってる?」
「……持ってる。ありがとう」
「じゃあ、あとで。……一緒に直そ」
彼はそれだけ言って、踵を返す。
でも、きちんと「名前を呼ばれた」ことが、心のなかで静かに波紋を広げた。
片付けの時間、教室は少しずつもとの“教室”に戻っていく。
「さくら、最後のまとめどうする?」
陽菜が声をかけてきたけど、私は「あとで追いつく」とだけ答えた。
テープや画鋲を片づけながら、ふと結城くんがつぶやく。
「……紙のメニューさ、あえて手書きにしてよかったかもな」
「うん。なんか、“手作り感”って言ってくれる人多かった」
「……打ち出すの間に合わなかっただけだけどな」
そう言って、彼は小さく笑った。
その笑いが、なんだかこの文化祭ぜんぶを肯定してくれたような気がした。
帰り道、私はひとりで、昇降口近くのベンチに座っていた。
リュックの奥から出てきた青磁色の紙テープを、指先で軽くくるんと巻く。
それはきっと、どこにでもある飾り用の紙テープだった。
でも私には、この色が、“あの日”の記憶そのものだった。
ただ「作業をした」とか「うまくいった」とか、そんなことじゃなくて。
たぶん私は、誰かの「言葉じゃない行動」に初めてちゃんと向き合えた日を、この色と結びつけてる。
月曜の朝。もう文化祭の喧騒はどこにもなかった。
「さくらー、プリント回して!」
陽菜の声がして、私は何気なく振り向く。
そのとき、後ろの席の結城くんが、小さな声でこう言った。
「……昼、残金のこと整理したい。話す時間ある?」
「うん。じゃあ、昼休み、中庭でも行こうか」
「……べつに、どこでも」
彼は視線をそらしながら、いつものようにそう答えた。
でも、それでいい。
そうやって、すこしずつ関係が積みあがっていく気がする。
これは恋じゃないと思うけど、心地よい関係であればそれでよい。
この気持ちは青磁色 切手ゆうひ @hinayukinotiti
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