第35話
少し寒さが出てきた日の夜、肌を刺すような夜風が、容赦なく体温を奪っていく。俺と七瀬さんは少し厚着をしていつものように河川敷に座っていた。
レモンの7パーセントは嫌味なくらいに冷たいままで、飲み込むとブルッと体が震えた。
「七瀬さん。急にカップ麺が食べたくなる時ってない?」
沈黙を破ったのは、俺の唐突な一言。七瀬さんは、きょとんとした顔でこちらを向く。
「や、確かにね。この中で食べたら美味しいだろうなぁ……」
「なんか、こう……寒い日の夜中に、無性に食べたくなるんだよね。あの、体に悪いって分かってるのに、抗えない魅力が、彼らにはある」
「ふふっ……カップ麺は男性名詞なんだ?」
「カップ麺を女としてみてる変態じゃないからね!?」
「や、定期的に食べたくなるもんね? ムラムラしちゃうもんね?」
「カップ麺の話だよね!?」
「ん。そうだよ」
七瀬さんはニヤリと笑う。ドギマギしながら缶チューハイを口にして誤魔化し、話を仕切り直す。
「ちなみに七瀬さん、最強のカップ麺って、何だと思う?」
俺が真剣な面持ちで尋ねると、七瀬さんは「最強の……ねえ」と面白そうに呟いた。
「陽介は?」
「俺はやっぱり王道のシーフード味だと思う。あの、独特の白いスープと、申し訳程度に入ってるイカとかカニカマ。子供の頃から食べ慣れた、実家のような安心感があるからね」
俺がそう力説すると、七瀬さんは「なるほど」と頷きながらも、どこか納得していないような顔をしている。
「王道がシーフードかどうか、味の好みはは置いておくとして……私はこう思うんだよね。カップ麺の本体は、麺じゃない。お湯を注いで待つあの3分間だよ」
「え、3分間?」
「そう。あの時間って、いわば『保証された、近い未来の幸福』じゃない? 蓋の上で温められる液体スープを眺めながら、あと1分、あと30秒ってカウントダウンする。あの期待感に満ちた時間が、一番のメインディッシュ。実際に食べ始める瞬間は、答え合わせみたいなもので、期待より少しだけ味が落ちるのがお決まり」
「なるほど……旅行で言う前日の荷造りみたいなことね」
「ん。そ。前戯だよ、前戯」
「なんか今日ムラついてる!?」
「や、通常営業だよ。それと、あの完成されたジャンクフードっていう背徳感。『うまさ』っていう一点だけに、科学の力が注ぎ込まれてる」
七瀬さんは何やら熱弁しているのだが、肝心の好きな味が分からないままだ。
「まぁ……それで、七瀬さんの最強は何味なの?」
七瀬さんは「結論を急ぐなぁ」と言いケラケラと笑った。
「私は……醤油味かな」
「醤油? シーフードといい勝負の王道だね」
「や、けど選出理由が違うんだ。私が醤油味を最強だと思うのは、性能とかじゃなくて、役割の話」
「役割?」
彼女は、少しだけ楽しそうに、続けた。
「醤油味って、大体パッケージが赤色でしょ?」
「うん。確かに」
「赤は、いつだって主人公の色だよ。アイドルだって戦隊モノだって。クレヨンだって並びの真ん中は赤だよ。だから醤油は主人公」
「クレヨンはメーカーによるんじゃないかな……少なくともうちは端だったような……」
「や、陽介の本業だったね」
俺はクレヨンの話題に意識を持っていかれたが、その後に彼女が何を言っているのか理解できなかった。
「……ん? 待てよ。醤油が……主人公?」
「そう。考えてみてよ。味噌味は、オレンジとか茶色のパッケージが多い。これは、主人公を支える、優しくて力持ちの親友キャラ。塩味やシーフードは、青とか白。クールで、時には主人公と対立する孤高のライバル。読者投票だと主人公よりも人気になるケースもある。それは否定しないよ。あと……豚骨味は、黒とか金。物語の終盤に出てくる、圧倒的な強さを持ったラスボスキャラ。醤油はどのメーカーにもいるし、赤色。圧倒的に主人公」
彼女が展開する、壮大な「カップ麺キャラクター論」に、俺はもう、笑うしかなかった。
「ははっ! じゃあ、カレー味は?」
「カレーは、たまに出てきて美味しいところを全部持っていくやつ」
「ありそう……」
二人でひとしきり笑った後、俺の腹が、ぐぅ、と情けない音を立てた。ラーメンの話ばかりしていたせいで、もう、口の中は完全にラーメンを求めている。
「……だめだ。ラーメン、食べたくなってきた」
「私も」
「店のやつじゃなくて、コンビニで買える、フライされた麺の安っぽいやつね」
「ん。私もそれ」
俺たちは、顔を見合わせて、同時に立ち上がった。一番近くのコンビニまで歩き出す。
七瀬さんが早足になると俺も負け路と早足になり、次第にどちらからともなく小走りで向かう。
「陽介、走らないよ」
「七瀬さんこそ」
「や、私早歩きしてるだけだし」
「小学生みたいだ……」
二人してそんな意地の張り合いをしながらコンビニに向かう。
ずらりと並んだカップ麺の棚の前で、俺はシーフード味を、七瀬さんは、宣言通り、赤いパッケージの醤油味を手に取った。
給湯ポットでお湯を注ぐ。立ち上る湯気が、冷たい店内で白く輪郭を描いた。蓋をして、割り箸を上に置く。
イートインコーナーはまだ空いているものの、掲示されている利用可能時間を見ると後数分で閉鎖されるようだった。
二人で目を見合わせ、「さっきのとこね」と同時に口を開いた。
「七瀬さん、走ってこぼしちゃだめだよ」
「陽介こそ」
俺たちは、熱いカップ麺を両手で慎重に持ちながら、来た道をとぼとぼと戻り始めた。こぼさないように。冷めないように。
行儀悪く、道端ですするわけにもいかない。俺たちの聖域は、あの河川敷だけだ。
湯気の向こうで、七瀬さんが、少しだけ笑ったように見えた。俺も多分同じような顔をしていたと思う。
保証された近い未来の幸福。 その温かくてささやかな期待感を両手に抱えて、俺たちは、ゆっくりと暗い夜道を進んでいった。
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