第34話

 耳にイヤホンをつけ、ルミナスティアーズの曲を聞きながら河川敷に向かう。


 フェス以来、俺は、鳴海の布教もあって、本格的に『ルミナスティアーズ』の曲を聞き込むようになっていた。


 最初は「そっくりさん」である七瀬さんのために、本物の情報を知っておこう、くらいの気持ちだった。しかし、彼女たちの曲やパフォーマンスに触れるうちに、いつの間にかその魅力に引き込まれていた。


 頭の中では、きらびやかなステージと、完璧なフォーメーションで踊る彼女たちの姿がリフレインしている。


 七瀬さんは俺の足音を聞きつけて少し遠くからこちらを向いた。手を振りながらイヤホンを外す。


「陽介。何聞いてるの?」


「いや、実はさ……」


 少しだけ気恥ずかしさを感じながら、俺は正直に答えた。


「ルミナスティアーズ、聞いてた」


 その答えに、七瀬さんは少しだけ、目を丸くしたように見えた。


「へえ。陽介も聞くようになったんだ」


「まあ、色々あって。会社の同僚に布教されまくって」


「そうなんだ。……じゃあ、何の曲が好きなの?」


 試すような、それでいて、少しだけ楽しそうな彼女の問い。俺が「一番有名な、あの曲」と答えるのを、彼女は予想していたのかもしれない。でも、俺の口から出たのは、違う曲名だった。


「『夜明けの独白』って曲」


 その瞬間、七瀬さんの表情が、明らかに変わった。驚きと、戸惑いと、そして、今まで見たことのないような、柔らかな喜びに満ちた、複雑な色。


「……なんで、その曲?」


「いや、なんでって言われても……。アップテンポな曲も好きだけど、この曲だけ、なんか、雰囲気が違うだろ。歌詞も、ただキラキラしてるだけじゃなくて、ちょっと苦しいというか、必死な感じがして。特に、二番のサビ前の、夕薙凪のソロパート。あそこ、声が、泣いてるみたいに聞こえるんだよ。なんか、聞いてると、胸が締め付けられる」


『夜明けの独白』は、シングル曲ではなく、アルバムに収録された一曲だ。ファンからの人気は根強いが、決して派手な曲ではない、と鳴海が熱弁していた。


「そっか……陽介は、あそこが好きなんだ」


「うん」


「ライブの動画とかも見たりするの?」


「見るよ。最近は、朝霧さんの『切り抜き』動画ばっかり見てるかな。あの人のダンス、キレがすごくない? 人間国宝にすべきだよ」


 俺がそう言った途端、七瀬さんの中から、さっきまでの柔らかな雰囲気が、すっと消えた。代わりに、その目に、メラメラと、明らかな対抗心の炎が宿る。


「……氷織……?」


「え? うん。朝霧さん、すごいよね。華奢なのに力強くてキレキレだし」


「ふーん。ま、氷織もすごいだろうけどさ」


 彼女は、すっくと立ち上がると、プロのハンターみたいに、鋭い目で周囲を見回した。誰もいないことを確認すると、俺に向き直る。


「陽介、スマホで『夜明けの独白』、流して」


「え、なんで?」


「いいから」


 有無を言わせぬ迫力に、俺は慌ててスマートフォンを操作し、曲を再生した。静かなイントロが、河川敷の夜風に乗り始める。すると、彼女は、まるでスイッチが入ったかのように、動き出した。


 さっきまで俺が見ていた動画の中の、朝霧氷織のダンスとは違う。もっとしなやかで、感情的で、一つ一つの動きに、歌の情景が宿っているような。


 彼女が、吐息と共に、フレーズを歌ずさむ。それは、ただの鼻歌ではなかった。CDから流れる、夕薙凪の声そのもの。いや、それ以上に、切実で、魂がこもっている。


 キレのあるターン、天を仰ぐ指先、苦悩に歪む表情。数分間のそれは、あまりにも完璧なパフォーマンスだった。


 俺は、声も出せずに、ただ、目の前の光景に釘付けになっていた。一瞬、本気で思った。これは、本物だ、と。七瀬さんじゃない。夕薙凪、その人だ、と。


 しかし、曲が終わり、息を切らせて俯く彼女の姿を見た瞬間、俺の頭は、いつもの「正解」にたどり着く。そうだ、彼女は、七瀬さんだ。夕薙凪の、そっくりさんなんだ。


 俺の口から、感嘆のため息が漏れた。


「七瀬さん、すごいよ! 本人と同じくらい……いや、ほ、本人を超えてるって! 今のはさすがに!」


 俺が満面の笑みでそう言うと、目の前の彼女は息を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。


「ふはっ……陽介って本当さぁ……ま、私はそっくりさん、だからね」


 七瀬さんは笑いながらも、その顔はなぜか、達成感だけではなく、やりきれない、というような、ものすごく、ものすごーく、複雑な表情をしていた。


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