あかいいと
藤泉都理
あかいいと
「おやっさん。あのお客さん、どうしやす?」
居酒屋で働く新人アルバイトの
寝かせといてやれ。
氏明は真司に言った。
「毎年この時期になるとな。
「はい」
店で提供しているタオルケットを棚から一枚取った真司が老齢の男性客、陽炎にかけようとした時だった。しとどに涙を流している陽炎を目にしてしまったのである。
「なんか嫌な事でもあったんすか?」
「ああ。陽炎さんはな。もう、五十年以上前になるか。梅酒作りが得意の好きな人に異国を理由に振られたんだよ。この店でな」
「え? この店って五十年以上の歴史があるんすか?」
「ああ。俺が十代の時に一念発起して。まあ、色々あったがな。なんやかんやで続けて来られた。で。陽炎さんとは開店時からの付き合いってわけよ」
「へえ。すごいっすね」
「おまえ、言い方が軽いな」
「へへっ」
厨房の後片付けが終わった氏明は、店から出て開店になっていた札をひっくり返し閉店の札にすると店に戻り、陽炎の近くの椅子に腰をかけて真司にも座るように勧めた。
「なあ。同じ種族だってのに、ちょいと距離が開いてりゃあ、考え方がまるで違うってきたもんだ。やるせねえよなあ。陽炎さんと彼女は好き合ってるって、鈍感な俺から見てもすぐに分かったってのに。おらたちは赤い糸で結ばれてんだって。彼女が居ない時によくまあ惚気てたよ。なのによお。国が違えば種族も違う。同じじゃないって。ありゃあ、なんか。脅しでもかけられてたんだろうなあ。猶予が切れたみたいな感じでよう。陽炎さんは日本を捨てるってあんたの国のもんになるって追い縋ったんだけどよ。彼女は陽炎さんを振り切って。ちょうど今の季節だよ。ただ暑い今年とは違って、その年はべらぼうに寒くてよ。雪まで降っちまってて」
「おやっさん。話、盛ってやせんか?」
「盛ってねえよ」
「はあ。でも。五十年以上ずっと彼女を想い続けるってすごいっすね」
「おまえ、本当に言い方が軽いな」
「へへっ。よくみんなに言われるっす。軽くて最高だって」
「まあ。そう。だな。時と場合によるかもしれねえけど。今は最高かもな」
「………おやっさんは好きな人はいないんっすか?」
「ああ。いねえな。俺は店に恋し続けてんだよ」
「そうっすか。あ。おやっさん。俺、梅酒、飲みてえな。おやっさんが仕込んだ梅酒、うめえんだよなあ。あ。もちろんタダで」
「金払えバカヤロウ」
「へへっ」
椅子から立ち上がって厨房へと行く氏明の小指をじっと見つめた真司。それからテーブルに投げ出された陽炎の手の小指も見つめた。
(………はて。何でおやっさんと陽炎さんの小指は赤い糸で繋がってるんだろうな?)
運命の赤い糸が見える真司は首を傾げつつも、深追いせずにまあいっかっと投げ出しては、氏明が用意してくれた梅酒を一気に飲み干したのであった。
「かあああっ! うめえっ!」
「そうかい。そりゃあよかった」
(2025.6.27)
あかいいと 藤泉都理 @fujitori
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