第7話
後期の授業にもそろそろ慣れはじめた十一月、カレーを作り置きしておくため食材をどっさり買い込んだカオルは、両手に重たいビニール袋をさげて帰路についていた。
ついこの間まではちょっと歩くたびに汗をかいてたっていうのに、気づくともうすっかり肌寒くなってきている。すごしやすい季節はびっくりするほど短くて、いつか春も秋も絶滅しちゃうんじゃないかと本気で心配になるこの頃だった。
日没の近い空には青と橙の美しいグラデーションが流れ、二色の境界を泡立てるように帯状のうろこ雲が広がっている。なんだかとってものどごしがよさそうな空模様だな……と思いながらぼーっと眺めていると、ふいに賑やかな話し声が風にのって聞こえてきた。
声のする方を見やると、大学生っぽい男子が数人、道の反対側に集まっている。よく見るとそこにジュンヤが紛れていることに気づいたけれど、ここは多勢に無勢なので知らないふりをして通り過ぎるのがよかろう。そう思ってふたたび踏み出そうとしたとき、グループのなかにもう一人、顔見知りの姿を見つけてしまった。
サイトーくんだ。髪型も服装も顔つきまでも、他の男子たちと似たり寄ったりだけど、細い目をさらに細くして笑うあの顔でわかる。
近くの私大に入ったと話には聞いていたけれど、実際に見かけるのはこれが初めてだった。成人式でもちらっと見かけた程度だから、最後に話したのはもう四年も前ってことになる。
高校をやめてから、もうそんなに経ってるのか……とあらためて思った。
***
中学に白崎として通っていたカオルは、学校の部活動に参加する代わりに紅林として華道を学んでいた。花屋さんの二階で開かれる華道教室は生徒のほとんどがおばさまで、カオルと年齢の近い子供は、たしかせいぜい四、五人くらい。そのなかの一人がサイトーくんだった。
彼は親の方針で半強制的に華道をやらされているみたいだったけれど、先生たちへの態度は悪くなくて、お調子者で人懐っこく笑うところがウケたらしく、おばさま方のアイドル的存在になっていた。はじめはちょっと苦手なくらいに思っていたカオルも、何度か顔を合わせるうちに少しずつ仲良くなっていき、同じ種類の花を選んで生けたり、好きなゲームの話で盛り上がったりするようになっていった。
だから、同じ高校に進学することがわかったときには疑いもせず思っていた。きっといい友達になれるにちがいない、と。
実際、カオルは入学してすぐ、白崎としてサイトーくんと「友達」になることに成功する。けれど、彼の姿は以前から知っていたものとずいぶん異なっていた。
彼はなんというか、クラスの「中心人物」で、いつも数人の男子とかたまって騒いでいたり、カオルが聞くにはつらい下ネタを大声で叫んだりしていた。その様子だけでも驚きだったけれど、本当にショックだったのはサイトーくんたちが——人をいじめているのを見たときだ。いや、「いじめ」って言葉は何かを見えなくさせてしまうから適切じゃないかもしれない。からかったり、変なギャグをやらせたり、ときにはおだててみたり、こんどは暴言をあびせたり……人を支配して好き勝手に操ろうとする最悪の「娯楽」。それを共通の趣味にすることで、彼らは仲間意識を醸成しているように見えた。
気づいてすぐ担任に相談したけれど、あれはただの遊びなんじゃないか、本人は何も言ってこない、と逃げるばかり。そうなるともう仕方がないので、カオルは自分で直接やめさせることにした。
べつに正義感とかで動いてたわけじゃない。他人が傷つけられるのを見ていると自分まで痛くなってしまうから。嫌な言葉は誰に向けられたって嫌な言葉のままだから。眼や耳をふさぐ器用さのないカオルは、そういう苦しみからただただ逃れたくて行動しているだけだった。
それで実際にNくんという生徒が標的にされているところに割って入り、なんの芸もなくストレートに文句を言ってやったところ、「は?」とサイトーくんが反応しただけでその場はお開きになった。だけどすれ違いざま、Nくんが耳元で言った。
「余計なことするのやめて」
追って振り向くと、彼は怒っているような表情だった。けっして遠慮とかじゃなかった。あのときはNくんがなんでそんなことを言ったのか、まったくもって分からなかったけれど、今はなんとなく理解できる気がする。
彼はもしかすると、自分はサイトーくんたちと「遊んであげてる」んだと思いたかったのかもしれない。自分は「遊ばれてる」んじゃない。「遊んでやってる」んだ、と。だから自分を「被害者」として扱ったカオルのことが許せなかったんだと思う。
それはNくんが必死で編み出した、あの過酷な状況を生き抜くための哀しい知恵だ。カオルにはそれを責める気もなければ、感謝されたいとも思わない。
だけど、あんな顔だけはしてほしくなかったな。
***
Nくんにああ言われたせいで、むしろ意地になって介入しつづけていたら、カオルは当然のごとくサイトーくんたちの次の標的に選ばれてしまっていた。傷跡が残るようなことはしてこなかったけれど、少しでも接触すれば無視か暴言かの二択という、世紀末的なコミュニケーションによる兵糧攻めが開始された。
Aさん: コンマスってコンサートマスターの略なんだってー。じゃあコンミスはコンサートミスターなのかなー?
カオル: ウェイターがウェイトレスになるのと同じじゃないですかね? マスターはミスターじゃなくてミストレスになるような気が——。
Bくん: なに? マスター? マスターベーション? なにお前キモっ。死ねよ。
(Bくんたち一同大笑い)
——なにを言ってもこうなるのでこっちから離れたいところだけれど、クラスは狭すぎてどうにもならない。何かされるんじゃないかと怯えながら、裸になって着替えた水泳の授業みたいに、独りがつらいんじゃなくて、独りになれないのがつらい。ぜんぶシェアして、みんなでツナガルのが、学校という地獄のコンセプトだ。
カオルはいつもオレたちをバカにしてくるから腹が立つ——サイトーくんたちはそう主張しているんだと担任がご丁寧に教えてくれた。だから相手を尊重しろ、と付け加えて。
確かに、バカにしてます。見下してます。その程度のやつらだと思ってます。けれど、あんな酷いことをする人たちの何を尊重してやればいいんだろう。それが全くわからなかったカオルは、さんざん惨めな目に遭わされても彼らを正面から軽蔑することだけはやめなかった。
二年の夏ごろ、体育祭でやるダンスの練習をボイコットして帰ろうとしていたら、怒ったサイトーくんが胸ぐらを掴んできたことがあった。
「おい、カオル。なんでお前マジメにやんないんだよ」
彼の顔面がピクピクと痙攣する。
「いつも私語ばっかで授業妨害してるサイトーくんに、なんでこんな時だけ協力してあげなきゃいけないの?」
カオルは関心ないですって表情のまま、目だけは睨み返してそう言った。
「お前だっていつも寝てんだろ」
サイトーくんは言い返した。
たしかに、そうだ。カオルはほとんどの授業でウトウトしていた。好きな数学や生物のときはなるべく起きていようとしていたけれど、頑張れないこともたまにあった。
あの頃の学校は、ただただ眠かった記憶しかない。毎晩、明日が来るのが嫌で、夜をできるだけ引きのばしたくて、睡眠時間を削ってまでスマホをいじったりゲームをしたりして起きていたから、そうなるのも当然だと思う。ついつい寝るのが遅くなって、気を抜くとすぐ昼夜逆転してしまう癖は今も治っていない。
授業中寝てる。クラスの輪を乱す。教師にも意見する——そんなカオルは学校でも有数の問題児になっていた。けっこう必死で生きてるつもりなのに、そう思われるのはわりとショックなことだった。
「それじゃあ、みんなの邪魔にならないように帰らせてもらおうかな」
「おう、ならもう勝手にしろよ!」
サイトーくんはぐっと突き放してくる。カオルが机の上のバッグを肩にかけて去ろうとすると、ぼんっ、と背中に蹴りが飛んできた。少し前に倒れそうになったくらいで、ぜんぜん痛くはなかったけれど、これがクラス全員の前っていうのがちょっと嫌だった。べつにカッコつけたい相手がいるわけじゃなくても、自分が一方的に暴力を振るわれてるシーンなんて人に見られて嬉しいものじゃないでしょう。
カオルは教室を出ると昇降口でスマホを開きバスの時刻表を確認する。あと十分ほどで来るみたいだから、暑い外で待っていてもそんなにつらくはないかな。上履きを脱いで靴を履いていると、「おーい!」と背後から声がする。振り返るとジュンヤがこっちへ向かってきていた。
「さっきやられたとこ大丈夫か?」
と、一応心配してくれる。彼は同じクラスで一部始終を見ていた。
「あ、うん……」
爪先をトントンと詰める。
「まあ、たしかに普段ちゃんとしないあいつらも悪いけど、お前もあんなケンカ腰にならなくていいんじゃないか?」
少しおどおどしながらジュンヤが言った。
「もっとこう、へーわ的にさ——」
「うん。わかった。ありがとう」
ほとんど無表情で返す。
「じゃあね」
「お、おう。じゃあな……」
カオルは彼に背を向けてとっとと外に出ていった。ジュンヤはいつもこんな感じで何も助けてはくれない。けれど、まあ、そのころにはとっくに気持ちも冷めていたし、こういう場面で頼れるようなやつじゃないことにも薄々気づいていたから、そこまでガッカリはしなかった。それに、彼一人が何かしてくれたところで解決するような問題でもなかったと思う。
学校前の横断歩道を渡って停留所のベンチに座っていると、バスはすぐにやってきた。他の生徒たちはまだホームルームの残りがあるので乗り込むのはカオル一人。ご老人が数名だけの車内を歩いて窓際に座る。
動画サイトをチェックすると、モミナさんの歌が新しくアップされていた。今回は——〟上を向いて歩こう〟か。イヤホンを取りだして耳にさし、さっそく再生してみる。
悲しげなのに穏やかで、幸福感すらにじむ歌詞と曲調に、力強くしなやかなモミナさんの歌声は絶妙にマッチしていた。
あのつらかった日々の記憶にも、彼女の歌を聴いていたバスの中だけは、温かい時間として刻まれている。こういうちょっとしたことの一つひとつが、カオルを支えてくれていた。折れずに生きていく力をくれていたんだと思う。
「おかえりー」
帰宅すると、さっき仕事を終えてきたばかりの母が出迎えてくれた。
「ただいまですー」
カオルはすぐに紅林になると、リビングにたどり着くなり制服の上着を脱いでハンガーにかけ、そのまま椅子にぼすんと力なく沈み込んだ。やっと落ち着ける……けれどすぐ華道教室に行く準備をしなくてはならない。
スポーツドリンクをごくごく飲んで菓子パンをむさぼっていると、母が制服の前にたたずんでいるのに気づく。それを見てカオルは、しまった、と思った。
制服の背中に、うっすらと足跡がついている。たぶんサイトーくんに蹴られたときのものだ。母にはいまカオルが学校でどういう目に遭っているかは詳しく伝えていたし、心配をかけたくない、と思っているわけじゃない。ただ——、
「お母さん」
立ち上がって言った。
「まだ、大丈夫だよ」
母は振り返ると、ギュッと抱きしめてくれた。カオルも背中をさすり、大丈夫だから、ともう一度言った。
あの制服を見て、母は何を思ったんだろうか。つけられた足跡に気づかないまま、廊下を抜けて、バスに乗って、家まで帰ってくるカオルの背中を想像していたのかと思うと、申し訳なくて、悔しくて、胸が張り裂けそうだった。
睨まれたら、睨み返せばいい。侮辱されたら、こっちも軽蔑してやればいい。だけど、周りの誰かや何かが傷つけられた分は肩代わりできず、ダメージだけが自分のなかに蓄積していく。
高校に上がるとき買ったバッグは蹴られて壊れつつあったし、中学の時から大切に使っていた黒のペンケースはゴミやチョークの粉で汚れて白っぽくなっていた。
自分の身体のそとにあって、自分の一部になっている大切なもの。それまで丁寧に触れてきたはずの世界のピースが一つずつ傷ついていくことに、カオルはだんだん耐えるのが苦しくなってきていた。
***
「ほらほら、着いたよー」
母の声がして、カオルは車の後部座席で目を覚ます。自分と同じく浴衣を着た女性が数人、前を横切っていくのが見えた。
八月になると、海岸の方でお祭りが開かれる。人が集まる行事がキライなカオルも、夜の町にずらっと並ぶ屋台や、海の上いっぱいに広がる花火の光と音が好きで、一応毎年、家族で行くのを楽しみにしていたのだった。
「起きなよカオルー! 早くしないと花火はじまっちゃうよ!」
弟のヒナタが高めの声でがなり立てる。
「……うるっさいなあ! ちょっと黙っててよ!」
つい怒鳴ってしまった。中学に上がったばかりのヒナタはいつもハイテンションで本当にうっとうしかったけれど、かなり八つ当たりも入っていたと思う。
あのときは高校のことに一人で耐えているつもりでいたけれど、実際はたぶんこうして痛みを誰かにパスしてやりすごしていたのかもしれない。まあ、元の性格にも少なからず問題はあっただろうけれど、カオルは着実にチクチク、ヒリヒリした人間になりつつあった。
「ねえお母さん、トイレ行きたいんだけどー」
車を降りてすぐヒナタが言った。
「もう、だから家出る前にすましときなよって言ったのに……」
母は呆れかえる。
「じゃあカオル、私は近くのコンビニまでヒナタ連れてくから、先に行ってなよ」
「うん。わかった」
屋台の列が終わるところを合流地点にすると、カオルはいったん二人と別れて駐車場を出た。
道にそって連なる提灯が見えはじめると、だんだん気分が高揚してくる。お祭りの中心部に近づくにつれて人通りも増え、少しずつ賑やかになってきていた。
順調に過疎り続けているこの町の、どこにこれだけの人が隠れているのかカオルには見当もつかない。とくに、自分よりちょっと年上っぽい若者たちがたくさん騒いでいるのを見かけると、少子高齢化なんて嘘なんじゃないかと思えてくる。
辺りには少しずつ、食べ物のにおいが漂いだしていた。甘い系、しょうゆ系、いろいろ混ざってるのに美味しそうなにおいが。喧騒に紛れて何かが焼けるジューっという音も聞こえてくる。それらを手繰るようにして歩いていくと、左右に屋台がならぶ通りへ出た。
やきとり……たこ焼き……わたあめ……りんご飴! はーっ、どれから食べよっかなー、とキョロキョロうろうろしていると、
「あれ? 紅林さんじゃない?」
背後から声をかけられた。振り向くと、そこにいたのはサイトーくんだった。
彼は笑顔で近づいてくる。カオルは今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。
「うわー久しぶりじゃーん!」
彼とはまだ同じ華道教室に通っていたけれど、紅林の姿ではここ数カ月、顔を合わせていなかった。それはもちろん、こっちがタイミングをずらして避けているからだ。
「なに、一人で来てんの?」
サイトーくんは隣に並んでくる。
「ううん、家族で」
できるだけフラットな声で言った。
「そっかー」
カオルが歩き出すと、なぜか彼も後をついてくる。
「サイトーくんこそ一人なの?」
「いやー、これから友達と混ざるとこ」
「へー、そうなんだ」
なら早くどっかいけよと思うけれど、彼はまだまだ横に張り付いてくる。追い払うための口実を探していると、道の真ん中を走ってくる男の子の姿が目に入った。手に抱えているのはかき氷。カオルはとっさに脇へよけたけれど、サイトーくんは気づかない。
危ない、と思った次の瞬間、二人は正面から激突する。男の子は跳ね返ってしりもちをつき、かき氷をべシャっと頭からかぶってしまった。そのまま顔を赤くして泣き出してしまう。
「あー、ご、ごめんなー!」
そう言いながらサイトーくんは男の子の側にしゃがみ込んだ。カオルは適当に選んで持ってきていた音符柄のハンドタオルを取りだして、濡れた小さな体に手を伸ばす。すると——、
「おう、ありがとう」
サイトーくんがかすめ取ってしまった。彼はそれで男の子の顔を拭きはじめる。
小学生のころ、まだカオルが紅林でも白崎でもなかったころから使っているやつだった。それをこんな人間に触れさせてしまうなんて——カオルは怒りと悔しさに唇をかんだ。
「そんな泣くなよー」
ひと通り水気を取ると、サイトーくんは相変わらずえんえん言っている男の子の頭をクシャクシャと撫でた。
「ほら、これやるから新しいの買ってきな」
そう言いながら、お財布から五百円玉を取りだして手に握らせる。男の子は少しずつ息を整えると、立ち上がってクルッと後ろを振り返り、トテトテと走り去っていった。
カオルがその様子を呆然と眺めていると、サイトーくんは自分の浴衣についた水分を軽く拭きとる。
「これ洗って返すよ」
「いやそのままでいいから」
取り返そうと手を伸ばしかけたとき、彼はハンドタオルのかどに目を留めて言った。
「あれ、カオル? そっかー、紅林さん下の名前カオルっていうんだ」
カオルお前ホント死ねよ。
うぜぇんだよカオル。
——いつもそう言ってる名前を、サイトーくんは笑顔で、親しげな声で呼んだ。
ああ、そうか。すべてが繋がってないんだ。この人のなかでは。
「ちょっとこっち来てくれる?」
カオルは彼の腕をつかんで引っ張った。
「え、え、ちょ、なになに、どうしたん?」
混乱するサイトーくんを連れて屋台の列を抜けると、一本となりの人気のない通りへ出る。建物のすき間の暗がりへたどり着くと、カオルはそこでようやく手を離した。
「く、紅林さん……?」
手提げを下ろし、髪を縛っていたゴムを外すと、結び目を前に回してから帯を解く。
「ちょちょちょっと、なにやってんだよ!」
わめきだす彼を振り返ると、最後に腰紐を解いて浴衣を直接手で押さえた。
「……サイトーくん、よく、見ててよ」
カオルは瞳を閉じると全身に意識を行きわたらせる。手にはじわりと汗が滲み、変化する身体にあわせて布はするすると肌をすべる。
「僕は……カオルだよ」
数センチ高くなった視界の真ん中で、サイトーくんがぎょっと目を開いたまま顔をこわばらせている。
「白崎カオル、そして紅林カオル。……ずっとそうだったんだよ」
彼を見据えてそう告げたとき、海の方向でパッと光の花が咲き、少し遅れて、どん、と大気が揺れる。すると、サイトーくんはワーッっと悲鳴を上げながら一目散に逃げだした。
「そのタオル、死ぬまで持ってなよ!」
カオルは大声で叫んだ。
「自分が今まで誰に何してきたか、忘れるなんて許さないよ……!」
後ろ姿が遠くへ消え去り、怒りとともに溢れた涙を袖でぐっと拭う。顔を上げると、空高く打ち上げられた花火が、夏の夜空いっぱいに輝きを解き放っていた。
***
あのあとすぐ、カオルは高校をやめた。高校卒業程度認定試験というテストに受かれば高校を出なくても大学に行けると知ったからだ。
やめるとき、将来、就職とかに影響するかもしれないぞ、と先生たちには脅されたけど、そもそもそんなこと考慮してくるような職場に行けばまたサイトーくんみたいな人間が幅を利かせている可能性大なので、むしろいいリトマス試験紙になるんじゃないかと思った。
学校は集団生活を学ぶところで、ここでドロップアウトするやつは社会にでてもうまくやっていけない——そう言う人こそ大きな勘違いをしている。
小さな池で上手に生きていくのと、広い海を旅するのとでは、たぶんぜんぜん違うことだ。激しい波にもまれることも確かにあるかもしれないけれど、暗く澄んだ深海にもぐったり、河を逆行して滝を登ったり、温かい浅瀬で暮らしたり……外ではいろんな生き方が許されてるんだから。
修学旅行で訪れるはずだった沖縄に母と弟と行ったとき、エメラルドグリーンの海と美しいサンゴ礁を眺めながらそう思った。
あれから四年たった今、一匹のイワシのように、うまく大きな群れのなかにとけこんでいる彼は、あのハンドタオルをどうしたんだろう?
手では子供の頭を撫でながら、足では同級生を蹴りつける——そんな自分の姿と一緒に、どこかに埋めたり、燃やしたりしてしまったんだろうか?
……だけどカオルは忘れられない。散々侮辱する言葉を吐きかけられたことも、となりで一緒に花を生けたことも。
ふいにこっちを向いたサイトーくんと目が合う。カオルは軽蔑と哀しみを込めて静かに微笑んだ。
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