エビフライ🍤

「それ、本気で言ってる?」

エビフライと、えび天の違いが分からない。

そう告白した僕に、彼女は馬鹿にするでも無く、楽しそうな笑顔を向けた。


「いや、何となくは・・・。」

言葉に詰まったのは、じっと正面から健気な顔で、


本当かな?

と、首を傾げるように見つめられたからだ。


「食べれば、・・・分かるよ」

苦し紛れに出た言葉に対して、彼女は、


「ふふっ」

と、ただ、幸せそうな微笑みを見せただけだった。


「エビフライってのはそのまんまフライってことで・・・・・・」

と、そこから少しだけ説明されて


「まあ、つまりザクザクしたのがエビフライで、サクサクしたのがえび天ってことね。」

と、要約したつもりの言葉に、彼女は

「なにそれ」

と、腹を抱えて撃沈した。


「ひーっ、ひっ。」

と涙目になりながら、一通り笑い終えると、


「昔から、うちは頑張った日のご褒美がエビフライだったの。お母さんが、いつもより少し大きめのお皿に、特別大きなエビフライを二本載せて、サラダとカットレモンも一緒に・・・。大好きなご馳走なんだ」


「ぷはぁっ。」

突然、大きく口を開けた状態で、庭の雑に生い茂る大小様々な緑が、目に入ってきた。


「今でも、ご褒美に出してもらってるの?」

聞こうとした瞬間に、意識が覚醒したらしい。


 思い出を嬉しそうに語る彼女の笑顔が、薄っすらと記憶に残る。


 和の残る一面畳の床の居間で、庭側から入るそよ風と柔らかな陽射しに当てられて、うたた寝をかましたらしい。


 そのまま横向きで、好き勝手に生えている庭の雑草を眺めながら、ここも手入れをしなければと、ぼーっと考えた。


 いつもは、いかにも空想を描いたような、独創的な夢ばかりで、まるでドラマの回想シーンのように、現実感のある過去の情景を見たのは、初めてだった。


 懐かしい光景だな。そして、

あの会話から一週間もしないうちに、彼女のお母さんは亡くなった。

 

 子宮癌で発見も遅く、すぐに入院と抗癌剤治療を勧められたが、入院はしたものの、薬の投与を本人が少し拒んでいた。


「半年もつかもしれないし、三年くらい闘えるかもしれない。けれど、明日・明後日、三日後とかに急変する可能性もあります。」


 彼女の希望により、医師から本人にもそう伝えられ、


先の分からない人生を、辛い副作用と、自分とは思えない姿で終わるかもしれないのは嫌だ、


と断りの姿勢を見せられた。


 彼女としても、嫌がるようなことはしたくないし、まだもつ可能性があるのなら、その間に説得しようとの考えだった。

 

 そして、最初の入院から二カ月が経った頃、あのエビフライの話をした数日後に、

彼女は病院から呼ばれ、今週が危ないと伝えられた。


 いつもと変わらず綺麗な顔だった。


 勿論、お見舞いにも連れ添っていたし、彼女の実家でも何度かお会いしたことがあったのだが、息を引き取ったその日、ご遺体との初対面でそう思った。


 タイミングも分かっていたことだけれど、こればっかりはどうしようもない。


 病室のベッド脇にしゃがみ込み、柵にしがみつきながら、泣き崩れる彼女に対して、僕は背中を摩ることしかできなかった。


 そのままでいたら、体中の水分が抜け出てしまう程泣き続けるのではと心配をしていると、疲れからか、そのまま座り込んだ状態でベッドにもたれ、寝息を立て始めた。


 ぐしゃぐしゃに腫れている筈なのに、何故か綺麗な顔を眺めながら、ふと、

愛着と執着のような、様々な感情が駆け巡った。


 ふいに、これからの彼女を守れるのは自分だけだと、そこで結婚を決意した。




 あれから十四年。

 彼女の大きな痛みと引き換えに授かった一人娘は、この間八歳を迎え、彼女はその姿を、自分の母親と共に、仏壇の写真立ての向こう側から見守ってくれている。


「遺伝なのか、家の呪いなのかな。どちらにせよ、裕二君を不幸にしたくなかったな。」

四年前、精一杯の作り笑顔で、病院のベッドから見上げながら、寂しそうに彼女は告げた。


「勝手に不幸って決めつけんなよ。可愛い娘もいて、最高の人生の間違いだろ。」


思ったままの本心を伝えたつもりだったが、彼女は焦点の合わない目で遠くを眺めていた。


 そこからは、二人で、いや三人で必死に頑張り続けた。


 母と違って治療の道を選んだ彼女は、


「どんな姿になっても、キライにならないでね」

と言いながら、回復の兆候を見せた時期もあった。


 家事に育児に、仕事にお見舞い。周囲から心配される程、裕二は我武者羅に走り続けたが、不思議と苦ではなかった。

 頑張れば頑張るほど、余計な考えを払拭でき、このまま続けていれば、あっという間に帰ってくるのではとも、思っていた。


「こっから回復して、退院後に裕二君のエビフライ食べさせてもらうんだから。だから、練習しといてよ。とびっきり美味しいのだよ。」


 最後まで、心の折れなかった彼女の、本当の最後の、強い笑顔と言葉だった。


 ありがとうなんて、後でいくらでも言えるんだから


というような、やる気に満ちた満面の笑みは、今でも鮮明に焼き付いている。



 そして、一年半の闘病生活に終止符を打った、彼女の亡骸もまた、美しい顔をしていた。


 思えば、結局一度も彼女にエビフライを作ってあげたことは無かったな。

 仕事の昇格試験に受かったときも、退社のときも、妊娠したときも、出産の際も。


逆に彼女は、あの話の後から何度か、僕にエビフライご褒美をご馳走してくれていた。


 初めて任された大きな仕事を、何とかやり遂げたとき。


 大きな役職に昇進したとき。


 転職によるキャリアアップに成功したとき。


振り返ると、自分が仕事を頑張れた背景にはずっと、彼女の支えがあったのだと

思い知らされる。


 ゆっくりと起き上がり、仏壇の方へと向かいながらも、そんなことを思う。仏前に膝をついて座りながら、線香を二本とってチャッカマンで火をつける。


 目に染みるような煙を感じながら、香炉に刺して、合掌する。

「今日は咲実えみのスイミングスクールで、スクールカップの選抜会があります。どうか、自分の娘がいつも通りの力を発揮できるように、精一杯応援してやって下さい。」


 チーン

と、一叩きおりんを鳴らし終えると、買い物支度を始める。


 今日の献立は、完全に決まっていた。




「パパ、ただいまー!」


 スイミングバッグを片手に、満面の笑みで少女が帰宅したのは、それから二時間後だった。

 キッチンには、悪戦苦闘の跡として、至る所に油やバッター液、パン粉が飛び散っていた。


 後の掃除なんて、考えたくもないくらいに酷い有様だが、そんなことを忘れ去るくらい、こんがりとした揚げ物の、美味しそうな匂いが食欲を誘い続けている。


「咲実、おかえり!」

今まさに引き上げたばかりのフライの油を切ると、お皿に盛りながら顔を向ける。


 少女は隣まで来て、

「今日ね、あのね、」とか

「わぁーっ。エビフライだ!」

と、会話に忙しそうだったが、


「まず手洗ってきてー。すぐご飯にするから。」

と伝えると、即座に洗面所へ向かった。


 バッグは台所に置き去りにされ、洗濯が必要な中身を出すのも、忘れていそうだが、今日は良しとしよう。


 妻から伝えられたエビフライ文化の本数は二本だったが、今日は三本にしてあげようと、所狭しとお皿に並べると、カットキャベツを添える。

 

 スーパーでは、とびきり大きい海老ばかり選んだので、心なしかお皿の上が窮屈そうだ。

 そこへ、市販のチューブのタルタルソースをひねり出したら、完成。


 と、思ったら危ない危ない。

 せっかく買ってきたレモンが野菜室に眠っているのに、そのまま本当に眠らせるところだった。


 取り出したレモンを輪切りにして、全員の皿に一切れずつ載せる。

 咲実が三本、仏壇の二人用に二本、僕が一本。


 本当は、仏前に供えた分を後で食べればいいので、0本にしたかったのだけれど、

流石に咲実が気にするかと、一本頂戴した。


「お待たせー」

お皿を持っていくと、最近は誰の躾か、テーブルを拭いて待ってくれている。


「うわぁー!美味しそう!!やったぁー!」

笑うと、どこかやはり母親の面影があると、裕二は改めて思い知らされた。


「ねーねー、咲実今日頑張ったんだよっ。今度のカップのメンバーに選ばれたんだよ」

一通り食器が並んで、いただきますをすると、早速報告会が始まった。


「本当に?!おめでとう!!咲実は凄いな、よく頑張ったな。」


 褒められて、こぼれ落ちそうな笑顔を向ける彼女に、


「このエビフライはね、お婆ちゃんからママに。ママからパパに伝えられたもので、誰かがとっても頑張ったときのご褒美に、出すことになってるんだ。今日は咲実がたくさん頑張ったから、特別なんだよ。」


 と、伝統行事を伝えてみる。


「おいひーっ。パパありがとうっ!」

ご馳走を頬張っている八歳の少女には、まだ早かったかと思ったが、

この笑顔と言葉だけで、全てがどうでもよくなる。


 本当に最高の宝物を置いていってくれたなと、ふとしたときに思う。


「ねーっ、パパは?初めて作ったの?」

確かに、これまであまり豪華な手作りが並んだことはなかったかもしれない。


「そうだよ、咲実が今日頑張ったから、作ってあげようと思って。」


「でも、パパの分一本しかないよ?」

不安そうな顔を向ける幼子の、本当誰に似たのか、妙な気遣いと優しさに泣きそうになる。


「パパは、あそこのを後で食べるから大丈夫だよ」

仏壇を指して伝えると、


「駄目だよ!あれはママとお婆ちゃんの分なんだから。はいっ!」


きょとんと間抜け面を晒している僕をよそに、小さなお箸が一際おおきなエビフライを掴んで、僕のお皿に運んできた。

 

 驚いた顔を向けると、


「パパも今日頑張ったんでしょ?ご褒美っ」


 不意打ちに自分が今どんな顔を向けているのかも分からなくなったが、

あの時以上に、ずっとこの笑顔を守っていこうと固く誓った。































 




 


 

























































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

haru.気まま短編集 haru. @haru-note

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ