第一話:開演、ヨ―グル一座

 すっかり英雄のパレードがもたらした興奮と熱気が落ち着くと、人々は新たな刺激を求め始めた。ある人は憧れを追い、ある人は芸術に打ち込み、ある人はあらゆる噂話に耳を傾ける。


 旅芸人ヨ―グル一座は、そんな王都の流行が移り変わるタイミングで、腕試しがてら非日常を提供しようとやってきたのだ。

 色鮮やかで大きなテントがどんと建つ。演じられるあれこれを表すように、パッチワークのような賑やかさだ。けれども近づいてよく見れば、ほつれの修繕しゅううぜん跡やら薄いシミやら、彼らの苦労と年月が伺える。まあ、そこまでしげしげと見る奴など一握り居ればいい方なので、このテントはまだしばらく現役で活躍するだろう。


「我らヨ―グル一座と申す者でございます!このたび、皆様方のお心をくすぐりにまいりました!」


 きらめく様な化粧をしてチラシを配るのは、いろんな体つきの演者たちだ。ただの宣伝でも手を抜かない。猫背で仮面をした彼などは、驚くほど厚底のブーツを履いている。


「どうぞお誘い合わせていらっしゃい!我らヨ―グル一座、皆様の心臓に薪をくべ、熱く燃やして魅せましょう!」


 物心ついた直後の子供から忙しない大人まで、チラシはどんどん配られていく。


「どうぞ一枚、お持ちください!」

「ああ、ありがとう……」


 華麗な手さばきで渡されるチラシは、嫌悪感や拒絶感を抱く前にすっと誰かの手に乗ると、演者の手から離れていく。残るのは、ワクワクを平面に詰め込んだ紙ペラ一枚と好奇心のみ。隅っこにチケットの割引をうたう文句を見つけてしまえば、もうチラシを捨てる気にもならなかった。

 こうして一人、また一人と、大きなテントで過ごす時間を買うために、財布のひもを緩めるのである。


「ヨ―グル一座から皆様へ贈る夢のひと時、本日開演いたします!」


 チケットは薄い硝子ガラスか、水晶のようなものでできていた。ステンドグラスのようなデフォルメされた座員のイラストが並び、公演日によって色が違う。処分に困れば当日一座が回収するし、そのまま持ち帰って記念品にすることもできる。

 なるほど、これは珍しがってチケット自体を目的に買う人もいるだろう。

 チラシ兼割引券も相まって、実はほかの一座より少し割高なのに、気にせず金を出す人の多いこと。


 公演当日。テントを埋めるお客さんに、そこそこの割合でショーに興味のない人が混じっている。チケットにつられた人だ。


「ま、関係ないけどね」


 演者は舞台袖で息を潜めて、自信に満ちた笑顔で観客席を確認していた。


「気合は入れたか?化粧忘れはないな?緊張を腹に溜めておく必要はないぞ。血と体中に巡らせて、良い演技をする糧にするといい!」


 すっとテント内の照明が予告なく落ちる。お客さんの喧騒は、短いどよめきの後に収まった。わずかな不安が湧き、でももう一度どよめくより前に、ステージへ明かりが一つ落とされる。まだ何もいない。


「レディース、アンド、ジェントルマン!お忙しい方々も、そうでない方々も、本日我らヨ―グル一座の公演へお越しくださり――」


 一瞬また真っ暗闇になり、今度は集合するように照明が一点を照らす。


「まことに!ありがとうございまぁす!」


 歓声が上がった。照明の下で綺麗に頭を下げているのは、突如現れた壮年の男。テントによく似た奇抜な格好で、いろんな方向にお辞儀を繰り返している。


「本日御覧に入れますのは、当一座が国中を巡り、つちかった芸の数々。見たことあるものもございましょう。可笑しなものもございましょう。

しかしてどれもこれもそれもあれも、皆様の心を擽る一級品!自慢の品でぇございます!」


 司会は演技がかった口上を続ける。そのうえ、手元ではあらゆる奇術マジックが披露されていた。鳩が飛んだり紙吹雪が飛んだり、花束が現れたり。

 そんな調子が続くものだから、声に集中すればいいのか奇術に集中すればいいのか、目を白黒させながら無意識に漏れる感動を抑えきれずにいた。


 この瞬間、お客さんは真に観客になったのだ。


「ああ、すっかり話し込んでしまいました……。わたくしの御挨拶はここまで。それでは皆様、とくと、お楽しみくださぁい!」


 ――パンッ!


 大きな破裂音と共に煙幕が炊かれ、観客の短い悲鳴があがった。

 跳ねる心臓を落ち着ける時間もくれずに、軽快な音楽が期待と興奮を持ち上げる。


「さあ、始めは一座が誇る曲芸兄弟!ジャン、アンド、ジョイン!」


 煙の中から司会の代わりに姿を現したのは、異様に猫背で小柄な男と、異様に手足が長く長身の男。

 彼らは自らの手足を空中ブランコよろしく使いながら、音楽によく合う激しい演技を絶え間なく続けていく。

 玉乗り、ジャグリング、アクロバティックな跳躍をしたかと思えば、パントマイムで笑わせにかかってくる。流石一番槍と言いたくなる、観客を虜にして逃がす暇を与えない時間が絶え間なく提供されていく。


 いつの間にか、二人の演技がシームレスにダンスへと移っていたことに気付いたとき。曲も一風変わって、異国情緒を取り入れたものへと変化していた。


 バク転、バク宙で舞台袖にはけていく二人に代わり、空中ブランコを使って女性の踊り子が登場する。

 彼女はひらりと飛び降りてすぐ、ステップを踏み始める。


「キャアァッ」


 歓声と共に、いくつか困惑した声も混じっていたかもしれない。

 露出が多い派手な服装で踊る彼女は、大きな角と鹿の後ろ脚じみた下肢をしている。しなやかな動きと大胆さ、そして人間離れした跳躍力をふんだんに使って披露されるダンスは、あっという間に観客から怯えと不愉快さを取り払う。

 異国風の鈴の音は音楽に合わせてよく響いた。それらは衣装のあちこちに付けられた物から鳴っていて、つまりは布の一動すら演技と演奏になっているわけだ。それだけ洗練された踊りだ、人の心を奪うに相応しいものではないだろうか。


 音楽は次第に、荒々しくて腹の奥底を震わせるようなものへと。踊り子は優雅に退場して、先程はけた猫背の男が火を吹きながら再登場した。

 次は大型奇術。その次は空中曲芸。スリル満載な演目も多く、観客は心臓を休める暇なく、瞳を乾かしながら熱中して――。


 最終演目前、全ての音が静まり返った。


 とりを飾るのは、遠目では男女の区別も難しい細身の演者。今までの誰とも違い静かに歩いてステージ中央に現れた演者は、弦楽器片手に口を開く。


「――」


 その一声に熱狂の最中に居た誰もが引き込まれ、歌と音楽以外の一切が遠ざかった。

 これまでの苛烈で高鳴るような演技の数々からガラリと変わったそれは、観客から歓声と拍手を奪い去り、テントの中を歌だけで満たしていく。


 何の歌かと問われれば、皆「日常を称賛する歌だ」と答えるだろう。

 朝に聞いた小鳥の囀り、或いは昼に食べたパンの味、或いは夜に語った寝物語。


 殆ど全ての人が経験したことがある、ありきたりな数々を褒め称える歌声は圧巻の一言。どこまでも非日常に満ちていた。

 観客は歌に聞き入りながら、ああこの時間はもう終わるのだと実感して、名残惜しさを覚えながらも日常を恋しく思うのだ。


 歌い手の正面。最前列ではなく、正面から少し右にズレた席に彼はいた。


 十年渇望した日常が歌われていた。慈しむような声に傾聴し、温かな涙を流れるままにしながら、板状の冷たいチケットに自分の体温を移す。

 彼はきっと、この公演で一番歌が終わることを惜しんだ人だった。


 生温くなったチケットを握ったまま、彼――元勇者・テオは、観客が殆ど帰りきるまで呆然としていた。

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