第二話:深夜の偶然

 ヨ―グル一座は自分たちの公演を、観客の心へしっかりと刻みつけた。

 チケットの回収を頼む人は予想より少なく、大多数が持ち帰った。しばらくの間よく見える場所に飾られるのだろう。色違いのチケットを求めて、帰り際に次の公演分を買えるだけ買っていった者もいたほどだ。


 テオも、そうしてチケットを買い占めたうちの一人である。

 あの公演以降、テオはとり憑かれたようにステンドグラスのようなチケットを集め、そのすべての観客になることにした。一座の知名度が低く、立見席ができるほどではないことを幸いと言っていいのか。計八回行われる公演分を余さず手に入れられたことは、幸運だったとしみじみ思う。


「はあ、今日も凄かった……」


 何度観ても心を奪われるステージ。でも青春を救世の旅に費やしたテオの頭では、感想は月並みで簡単なものしか出てこない。興奮し沸き上がる感情を吐き出したいのに、適切な言葉が見つからずにいた。仕方ないので、ぐっと飲み込み続けている。


 今日は六回目の公演を観た。演目の大枠は変えず、細部を少し変えただけなのだが、何度観ても飽きが来ない。

 なかでもテオの一番の目的は、最後に歌うあの歌手だ。


「彼は……いや、彼女かな?一体どんな気持ちであの歌を作ったんだろうか」


 作詞作曲も歌手自身とは限らないのだが。

 テオは頭の中であの心地のいい歌声を反芻しながら帰路につく。国王からたまわった屋敷に着くと、出迎えた使用人にお礼を言って自室へと直行した。


 棚にはすでに、色の違うプレート状のチケットが五枚飾られている。今日のチケットも持ち運んでいる間に付いた手垢を乾拭きして、そっと追加した。

 まだ見ていない分のチケットは、引き出しの中で公演日を待ちわびながら眠っている。


「ああ、もうあと二回か。一度くらい偶然が叶って、あの歌手と話してみたいけれど」


 ここで勇者の立場を活用できないか、と考えない辺りが、彼が勇者として選ばれた一因なのだろう。チケットも立場を利用した優先権などは行使していないのだ。そんな考えすら浮かんでいない。


「僕が公演に行っているって噂は出回っているみたいだけれど、一座の人は僕が勇者だと気付いていないようだったな」


 まとめ買いをする数寄者すきものとしか扱わなかったチケット販売員を思い出し、心の裏辺りが擽ったく思う。

 王都で暮らしてしばらく、新鮮な反応だ。


 使用済みのチケットを眺めているうちに、あっという間に空は橙を経由して夜に染まっていく。すっかり日が地平線に落ちきると、雲が多めな空に三日月が昇り、いつもより頼りない月光が手入れされた庭を照らす。

 味気ない夕食を終えて、テオは何気なく夜中に足を伸ばした。


 王都といっても、夜が深まると街には静寂せいじゃくが満ちる。

 黙り込んだ街に、靴が石畳に当たる音だけが遠慮がちに通り過ぎていく。夜風はなんだか生温い。


 そんな、布がこすれる音すら主役に躍り出る夜だからだろうか。まとまった人数が足音を忍ばせようと簡単に鼓膜を揺らし、音のうちに隠した悪巧みを滲ませる。


「こんな夜更けに、一体なんだ?」


 テオは一本逸れた通りから届く足音の群れに耳を澄ました。

 大柄の男と思われる足音が四つと、それよりも軽い足音が一つ混じっている。前者は労働者がよく履く安物の靴の音だが、後者はヒールのような硬質な音だ。怯えたように、少しだけ歩調を乱しながら鳴っていた。


 明らかにおかしい。


 細心の注意を払って音を追う。久しぶりの緊張感は体によく馴染み、テオの神経を研ぎ澄ませていった。


 追った五人分の足音は、とある空き家へと入っていく。木材や分厚い布ですっかり覆われた窓だが、雑な隠ぺいの隙間から蝋燭ろうそくかランプでできたオレンジの光が漏れていた。

 建物の傍に寄って物音を伺う。屋内に入って安堵したのか、男たちは警戒を緩めているようだ。声は浮かれていて、テオに気付いた様子はない。


 テント、売り上げ、踊り子。そんな単語が漏れ聞こえる合間に、下品に酒瓶をあおっているらしい音が混ざり込む。段々と気が大きくなっていく男たちは、ついに声量を落とすことも失念した。


「おい。仕込みがてら、そいつで楽しませてもらおうじゃねぇか」

「ひぃっ」


 よし、黒だ。


 下卑げびた笑い混じりの台詞に、高めの怯えた悲鳴。踏み込むには十分だと判断して、テオはすぐさま木戸の前に躍り出た。どうせ鍵も締まっているだろうと、遠慮なく足を振り上げて勢いよく蹴り込む。

 古ぼけた木戸は呆気なく枠から外れて破片を散らした。


「ぎゃあっ」

「な、なんだってんだ!?」

「失礼するよ」


 まずは近くに居たごろつき一人、武器を取ろうと余所見をした隙に殴り倒してしまう。次に武器を持って振りかぶってきた二人。素人の太刀筋は解りやすく、サッと除けると腹に蹴りを一つ、二つとテンポよく打ち込んだ。

 残るあと一人を……と部屋の奥に目を向けると、そいつはすでに涎を垂らしながら無様に倒れ伏していた。


「えっ!?」


 奥には適当な藁の山に布をかぶせた簡易の寝床があって、その上に攫われたらしい人物が両手を縛られ座っていた。ただ、歩かせるために足はそのままにしてあったらしい。

 ランプに照らされた足がすらりと振り上げられている。キラキラとしたヒールに包まれているが、片方折れていた。今の一撃は、随分遠慮なく打ち込んだようだ。


 怯えの色を嘘のように消したその人は、テオに笑顔を向ける。


「助かったよ。ありがと」

「きみは……ヨ―グル一座の人かい?」


 男にしては高く、女にしては低い声が細身の体から奏でられる。テオはその声を、宣伝チラシを配っていた場所で聞いた覚えがあった。


「一体どうしてこんなことに?」

「こいつら、売り上げ欲しさにテントを襲おうとしたらしい。俺がたまたま外で油を売ってたら遭遇そうぐうして、このざまだよ。女だと思ったんじゃね」


 どうやら男らしい。テオが両手に巻かれた縄を解くと、乱れた長髪を手櫛で整え始めた。明かりが心許ないこの場所でもよくわかる美人だ。

 髪を一つに束ねるようにまとめた姿に既視感を覚えた。テオの体は鼓動を大きく鳴らし体温を上げる。無意識に、胸元の布をかき集めるようにして握り締めた。


「改めて、ヨ―グル一座のシリルだ。助けてくれてありがとう」

「……僕は、テオ。君を助けられてよかった」


 ああ、彼が毎度とりを飾っていた、あの歌手なのだ。

 シリルはテオの言葉に少し面食らって、それから歌からは想像がつかない、豪快で屈託のない笑顔を見せるのだった。


 深夜の街外れ、短時間とはいえ争う音が響けば通報が入る。意識を刈り取ったごろつきたちをテオが縛り上げているうちに、忙しなく王都の兵士たちがやってきた。

 兵士たちは剣呑な顔つきで空き家に踏み込んできたものの、居るのがテオと分かると二段ほど高い声で敬礼をする。


「こ、これは勇者様!貴方でしたか」

「うん。興行こうぎょう中のヨ―グル一座から人攫いをした悪党たちだ。よろしく頼むよ」

「勿論です!ご協力感謝いたします!」


 興奮冷めやらぬ様子の兵士たちが、我先にと倒れているごろつきを掴み上げる。手際よく運ばれていく様子に胸を撫で下ろしていると、テオと兵士のやり取りを黙って伺っていたシリルがしげしげとつぶやいた。


「あんたが噂の勇者様だったのか」

「ああ……うん。正しくは元勇者、ね」


 テオは心臓から、熱が引く心地がした。シリルの態度が変わってしまわないかと一瞬不安がよぎる。けれどシリルは、何でもないように「ふうん」と気の抜けた返事をするに留まった。

 おや、とテオがシリルの顔を確認しようとして、そこへごろつきを外へ出し終えた兵士が、興奮を隠し切れない声で話しかける。


「勇者様、これより悪党の移送をいたします!」

「あ、ああ。よろしくね」

「はいっ。して、そちらの方にお怪我はありませんでしょうか。医者の手配や詳しいお話を伺いたく」


 テオもシリルに向き直ると、本人は何とも無いように縄の痕跡が残る手首を振った。


「痣くらいなもんだ。骨は無事だな。大人しくしてたから、別に殴られたりもねぇ」

「そうか、安心したよ……」

「話は……あー、昼間でいいか。流石にちと眠い」


 兵士はシリルの言葉に頷くと、昼間に一座まで迎えを寄越すと続ける。シリルはそれに了承し、折れたヒールを脱がずにそのまま立ち上がる。面食らったが、彼は危なげなく歩いて小屋を出てしまった。

 テオは慌てて兵士に声をかける。


「すまないが、手が足りているなら彼を送ってやってくれないか?」

「勿論です。わたしが責任をもってお送りしましょう」


 勇者様からの頼み事とあって、兵士はやる気十分にシリルを追いかけていった。


 残ったのは、木戸だった残骸とまだ燃えるランプ、それから二人を見送るテオのみ

 少し肌寒い風が屋内を通り抜けたのを感じて、テオはランプを消すと空き家を出ることにした。


 夜はまだ明けそうにないが、随分と遅い時間になってしまった。しんみりとした心地を抱えながらテオが帰路につこうとすると、その背中にあの高くも低くもない声が浴びせられる。


「テオ!」


 振り向くと、折れたヒールで立つシリルが手を振っていた。後ろで兵士が慌てて追いかけてきている。


「言い忘れた。明日の夕方、一座のテントに来てくれ!腹空かせてな!」


 シリルはテオが答える前に踵を返すと、兵士を追い越して駆けていった。可哀想な兵士は慌てて背中を追っていく。


 また夜空の下に一人残されたテオは、堪えきれなかった笑い声を零しながら、今度こそ屋敷へと足を動かした。

 夜風は不思議と、先程よりぬくもりを持っている気がしたのだった。

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