光属性

 セイカは「何の話? 何が違うの?」という表情で、私とツキミの顔を不思議そうに見比べている。


 そんなセイカの純粋な視線を感じながら、私は自分の考えがツキミによって的確に見抜かれていたことを、否応なしに悟ってしまう。


 確かに、責任者としてこの二人を、そしてこの状況を導く責任が私にはある。

 それは十分に自覚しているつもりだ。

 

(だけど……)

 さっきツキミが言っていたではないか。


 魔力による強化は、良くて理性を失い、最悪の場合は死に至る、と。

 成功例の記録だってない、とも。


 そんな危険な方法に、簡単に同意できるわけがない。


 それに、あのトカゲが「素晴らしい成功例」だとしても、ツキミの反応を見る限りでは、ほとんど奇跡に近い確率で起こった結果だと思う。


 そう。落ち着いて考えれば、これは禁忌であり、事例も無いのだ。

 実行できたとしても何が起こるか分からない、危険な賭け。


 だから、私が水属性の魔法を使えたとしても、その力が弱くてトカゲをどうこうできないのと同じように。

 ツキミが言う「理論上は可能」というのも、実際にはできないのと同じことだ。


「でも、禁忌とされている技術の存在が分かったとしても、それを安全に、そして確実に実現する方法が不明なのであれば、結局はできないのと同じではないでしょうか?」

 私は、できるだけ丁重な、しかしはっきりとしたお断りのニュアンスを含めて、ツキミにそう伝える。


 もちろん、ここから出ることを諦めたわけではない。


 ただ、あのトカゲのような姿に自分がなりたいわけでは断じてないし、そんな危険な橋を渡るつもりも毛頭ないのだ。


 私の言葉を聞いても、ツキミの表情は変わらない。


 ただ、いつものように静かな声で、こう返す。


「問題ない」


「も……問題ない? とは……?」

 嫌な予感が、私の背筋を駆け巡るが、恐る恐る、私はツキミにそう尋ね返す。



「今回はうまくやる」

 自信に満ちたというよりは、どこか確信めいた声色でそう言うと、今度こそツキミははっきりと口角を上げ、にやりと笑う。


(あぁーーーーーーーっ!)

 私の心の中で絶叫がこだまする。

 口は驚きのあまり開いたままだが、声は出ない。


 嫌な予感は、見事に的中した。

 ツキミは、やはり本気でやる気なのだ。


(さっきは、あえて追求しなかったけれど……)

 今までの言動から察するに、この禁忌とされている魔力強化についても、やはり個人的に、本当に研究を進めていたのだろう。

 そうでなければ、こんなに詳しいはずがない。


 そして、「今回は」ということは、前回は失敗した、ということなのか。


 まだ短い付き合いだが、ツキミの言葉には棘があったり、情報が不足することが多々あるものの、嘘をついているような印象はなかった。


 だから、前回の失敗もきっと真実なのだろう。

 確実な成功例がないということもまた……。


 そんな矢先に、新たな実験対象(つまり私だ)と、それを実行する正当な理由(この危機的状況からの脱出)という、ツキミにとってはまたとない環境が整ってしまったというわけか……。


 悔しいけれど、今のこの状況では、ツキミのその突飛な提案が、一番現実的な打開策のような気もしてきてしまうから不思議だ。


 私が承諾するしかないのかと葛藤し、うんうん唸っていると、ツキミが追い打ちをかけるように言う。


「失敗したとしても、犠牲は一人だけだ」


 その言葉は、私の決断を鈍らせるには十分すぎるほど、重く響く。


「せ、成功したとしても、理性がなくなったり、身体が巨大化したりするのは、絶対に嫌なんですけど……!」

 私はほとんど懇願するように、ツキミに訴える。


「ああ、その心配には及ばない。そこまでの過剰な強化は不要だろう」

 私の必死の形相が少しは伝わったのか、あるいは単に実験の詳細を説明する必要性を感じただけなのか、ツキミは少しだけ救いとなる情報を教えてくれる。


「そ、そうなのですか? 死んだり、理性がなくなったりは――本当に、しないのですね……?」

 それでも拭いきれない不安に、私は改めてツキミに問う。


 ツキミはすぐに口を開いたかと思うと、私に淡々と告げる。


「そこまでの強化をすると確実に失敗するからな。成功例がないと言っただろう? 望むなら試してみるが」


(試す……?)


「だっ、大丈夫ですっ! 試さなくていいですっ!」

 確実に失敗する作戦なんて、誰も望まないだろうと思うが、一応――念の為しっかりと断っておく。


「そうか」

 ツキミは特に感情を出さず、短くそう言うだけだ。


「失敗……しないですよね?」

 この問いに意味があるのか、もう分からないが私は呟く。


 気づけば、扉の向こうで暴れていたトカゲの音も、いつの間にか止んでいた。

 先ほどまでの激しい体当たりの音が嘘のように、今は不気味なほどの静けさが部屋を支配している。


 その静けさの中で、ツキミは少しばかり考えるそぶりを見せてから、口を開く。


「問題ない。魔力による影響で多少身体に負荷はかかると思うが、効果は一時的でいずれ元に戻るはずだ」


「そ、そうですか……。わ、私でも、大丈夫なのでしょうか……?」

 検体として、何か不足があるのではないかという、別の心配が頭に浮かぶ。


「問題ない。局長はただ氷の魔法を全力で放ち、それを上手く制御することだけを考えればいい。まぁ、有り体に言えば、全力を出せということだ」


 思ったよりも、私に要求することは少ないらしい。

 そんなに難しい話ではないのだろうか。


「き、禁忌……ではないのですよね?」

 それでもやはり気になってしまい、私は恐る恐るそう尋ねてしまう。


「そこが気になるのか。この程度では禁忌と呼ぶに値しない。そうだな――例えるなら、光属性の者が回復魔法を対象に直接当てるようなものだ」

 ツキミは、なんてことない日常的な行為であるかのように説明する。


「そ、そうなんですね! それなら大丈夫! ですかね……」

 その例えに、私は少しだけ安心して、声のトーンもいくらか明るくなった――が。


「だが、回復魔法のように身体の治癒を促すための同調とは違い、今回は対象の許容量を無視し、全く別の属性の魔力を無理矢理ぶち込む――という感じにはなる」

 ツキミはさらりと、しかしとんでもなく物騒なことを付け加える。


「えっ? 許容量を無視して、ぶっ……ぶち込むっ!?」

 私のなけなしの安心感は一瞬にして木っ端微塵に吹き飛ぶ。


「許容量を超えるからこその底上げだ。異なる属性の魔力を直接注入すれば当然反発は起こる。対象が魔力を消耗し、多少受け入れる余地ができていたとしても、だ」

 口を開けたまま固まる私をよそに、ツキミは腰の鞄をごそごそと探りながら説明を続ける。


 反発という言葉が、私の胸に不吉な影を落とす。


「属性が違うからですか?」

 素人の考えだと思うが、それを受ける身、つまり実験台になるのはこの私なのだ。

 どんな些細な疑問だって、確認しておきたい。


「そんなところだ。ましてや、火と水だからな。互いに反発し合うのは道理だろう」

 ツキミの言葉は淡々としていたが、やはり反発という言葉が、私の胸に不吉な棘のように突き刺さる。


 これから私に起きるのは、そんな制御不能な現象だというのだろうか。

 それでも、万に一つの安全な可能性を信じたくて、私は掠れそうになる声で尋ねる。


「同じ属性なら、どうなんでしょう?」

 私に何が行われるのか、その技術の一端、知識をほんの少しでも持っておくことが、もしかしたら唯一の心の盾になるかもしれない。


「同じ属性だとしても、魔力には個性がある」

 ツキミは鞄を探っていた手を止め、一度こちらを真っ直ぐに見て答える。

 その宝石のような黄金色の瞳は、どこまでも冷静で、私の抱く緊張や恐怖など一切映していない。


 その瞳は、どこまでも冷静だ。


「個性?」

 予想もしなかった言葉に、私は思わず聞き返す。

 魔力に、個性だなんて、まるでそれ自体が意思を持つ生き物のような言い方だ。


「ああ。同じ種族同士であっても、纏う雰囲気や匂いが異なるだろう。魔力もそれと似たようなものだ。完全に同一の魔力というものは、そうそう存在しない」


(なるほど……)

 ツキミにしては、とても分かりやすい解答だ。


 魔力の違いに詳しい、感じ取れるということは――


「光属性……。ツキミさんは回復術士。回復魔法が使えるのですか?」

 説明でも回復魔法が例に出ていたし、魔力に多く触れてきた経験があると考えれば色々と辻褄が合う。


「あぁ。元……だがな。使う事はできる」

 ツキミはそう言うと、私からスッと目をそらし、再び鞄へと視線を落とす。


「色々だ」と言っていた、ツキミの経歴の一つは回復術士だったようだ。


(今は何なのか分からないけれど……)

 ただ、それを聞いて「禁忌の研究者」だと言われても反応に困るので、今は胸に秘めておく。


(ここに落下した時、ツキミも私も無傷だったのは、もしかして……)


 そう思ったのも束の間。


 いつの間にか、ツキミは鞄から何か細長い金属製の器具を取り出し、それをこともなげに構えていた。

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