炎と光
黒曜石のような鈍い光沢を放つそれは、片手で握るのにちょうど良い長さの棒状で、先端には複雑な紋様が刻まれた結晶体が嵌め込まているようだ。
「そっ、それは何かの魔道具ですか? 先端が鋭く見えますが……」
先端を凝視する私の声が震える。
杖とも短剣ともつかないその異様な形状は、どこか物騒な雰囲気が漂う。
ツキミに限って無闇に私を傷つけるようなことは無いと思いたいが、声に出して否定する勇気が出てこない。
「安心していい。扱いやすさと効率を求めた結果、この形状になったのだろう」
私の心を見透かしてか、ツキミは右手に構えたそれを顔の前でくるりと向きを変え、まるで愛おしい道具でも点検するかのように、そう答える。
(なったの――だろう?)
どうでも良い部分なのかもしれないが、私の頭に疑問が浮かぶ。
「ツキミさんが作ったモノではないのですか?」
「借りてきた」
魔道具を見つめたままツキミは短く答える。
(借り物なのっ!? 誰に? どこから? 最初からダンジョン管理に必要だと思っていたの?)
私の疑問は増える一方だ。
「そ、そうですか……」
しかし、今それを追求しても現状は変わらないことに気付き、私はため息をつきながら呟く。
改めて、ツキミの持つ魔道具に目をやる。
どうやって使うのか、他の用途があるのかも不明だが、どこか冷たい輝きを放つ道具だと思う。
(今のツキミみたいだ……)
それでも、「安心していい」という言葉を思い出し、少しだけ、本当に少しだけ、安心したような気もする。
覚悟を決めないといけない。
「始めるか」
しかし、私の心の準備が整うよりも早く、ツキミは淡々と作戦開始を宣言する。
「えっ!? もうやるんですかっ!?」
意味のない時間稼ぎだとは思うが、そう言わずにはいられない。
「いよいよっすね!」
そんな私の焦りなどどこ吹く風といった様子で、セイカはまるでこれから始まるお祭りでも待つかのように、目をキラキラさせてわくわくしている。
強くなれる、という部分に興味があるのかもしれない。
「待っても状況は悪化するだけだ。食料だって無いだろう」
分かってはいたが、ツキミの簡単な正論に私はぐうの音も出ない。
確かに、早くこの状況を打開できれば、それに越したことはない。
(鞄を置いてこなければ良かった……)
私が二層に置いてきた鞄のことを思い出していると――
「念の為の確認だが」
ツキミが、真剣な眼差しで私を見つめてくる。
「俺が合図をしたら、全力で氷の魔法を放て。何があっても、だ」
その声は有無を言わせない響きを持つ。
これは本当に、本当に大事なことなのだろう。
「はっ、はい。わかりました」
それくらいなら、きっと私にもできるはずだ。
何があってもという部分が少しだけ、いや、かなり気にはなるが、もうごねても始まらない。
それにしても、今のこの状況はどうだろう。
どこからどう見ても、的確な指示を出すツキミが実質的な指揮官で、私はその指示にただ従う一介の部下に過ぎない。
私がここの責任者として、もっと毅然と二人を導く必要があるのに……。
だが、やるしかないのだ。
「よし。では、ドラゴンセイカ。その偉大な力を貸してほしい」
私が決意を新たにすると、不意にツキミが言う。
「「えっ……?」」
私とセイカの声が、間の抜けた形で綺麗にハモる。
(ツキミが、壊れた……?)
いや、そんなはずはない。
けれど、今、確かにツキミはセイカのことを「ドラゴンセイカ」と呼んだ。
さっきまで「赤トカゲ」だの散々言っていたのに、いきなりドラゴンに大昇格している。
しかも、神妙な面持ちで「偉大な力を貸してほしい」とまで付け加えてだ。
いや、確かにセイカの力は偉大だ、その判断にもちろん異論はない。
(でも、あのツキミが?)
私は、信じられない思いでツキミとセイカを交互に見つめる。
そして、セイカは気付いたのだろうか。
初めて、ツキミが「セイカ」と呼んだことを。
ツキミは、相変わらずの表情でセイカを見つめたままだ。
当のセイカはというと、きょとんとした顔で固まっていたが、すぐに状況を理解したのか、にぱーっと効果音がつきそうなほど顔を輝かせると――
「おっ! アタシが偉大なドラゴンだって、やっと認めたっすね! いいっすよ! このドラゴンセイカにまかせろっす!」
いとも簡単に乗せられてしまう……。
(セイカ……あなた本当にそれでいいの?)
そんなことも思うが、それよりも私の頭の中は別の疑問でぐるぐると渦巻く。
(私の緊張はどうなるの? 私に魔力を注入するのでは? なんで今……セイカ?)
「えっと、ツキミさん。私ではないのですか? 何故、セイカさんに?」
ツキミの意図が、まだ読めない。
「ドラゴンの力が必要だってことっすよ! 局長、アタシ何でもするっす!」
私の困惑をよそに、セイカはやる気満々で小さな胸を張っている。
「ああ、そうだ。ドラゴンの力が必要だ」
ツキミは、セイカのその扱い方を完全に心得ているかのように、そして彼女の能力を最大限に利用するために、あえて「ドラゴン」という呼称を使ったのだろう。
その冷徹な計算高さに、私は気づかないふりをした。
「ドラゴンセイカは、俺が合図をしたら全力で扉を開いて、すぐにここへ戻ってくるんだ」
ツキミが簡潔にセイカへ指示を出す。
(そういうことか……)
確かにトカゲに向けて魔法を放つには、扉を開けなくてはいけない。
「それだけっすか? よゆうっす! 任せろっす!」
ドラゴンセイカは、それはもう上機嫌だ。
「何があってもだ。絶対にだぞ? できるか?」
ツキミが私へのそれと同じく、念を押すようにセイカに問う。
その真剣な眼差しに、何か嫌な予感が私の胸をよぎる。
「そっ、その……セイカさんに危険はないのですか?」
セイカを、先ほどのような危険な目に合わせるわけにはいかない。
「扉を開けるだけだ。局長が魔法を正確に放つことができれば、問題ない」
私を一瞥すると、ツキミはさらっと答える。
(ツキミは、本当に正論で返すのがうまい……)
結局、私がしっかりするしかない、ということなのだろう。
そう、否応なしに思わされてしまう。
「大丈夫っすよ、局長!」
ドラゴンセイカは、私の心配を吹き飛ばすかのように、ニコニコと太陽のような笑顔を見せてくる。
「よし。合図を待て」
ツキミが静かに、しかし確かな重みを持った言葉を放つ。
いよいよだ。覚悟を、決めるしかない。
「はい」
「はいっす!」
覚悟を決めた私の声と、どこまでもわくわくしたセイカの声が、静まり返った部屋に響く。
私たちの決意を確認すると、ツキミが、ふ、と息を吸い込む。
次の瞬間、ツキミは音もなくセイカの背後に回り込んでいた。
まるで影が動いたかのように、あまりにも自然で、速い動き。
そして唐突に――
「――っ!?」
「キィィン――」
セイカの声にもならない短い悲鳴と、魔道具から発せられたのか、鋭くも虚ろな音が空間を切り裂くように走る。
金属が悲鳴をあげているのか、それとも空気そのものが痛みに耐えているのか。耳に刺さる不協和音が、部屋の隅々まで染み渡っていく。
同時に――セイカの身体から紅蓮の輝きが溢れ出す。
それは炎にも似た、だが熱を持たぬ輝き。
まるで意志を持つ生き物のように、しなやかに、そして激しく身をくねらせながら、魔道具の先端へと引き寄せられていく。
我先にと流れ込む紅の奔流。
その流れに乗りきれなかった魔力の粒子たちは、ツキミの魔道具から放たれる黄金の光に導かれるように、ゆっくりと空中を舞い、らせんを描きながら一点へと収束していく。
それでもなお、行き場を失う魔力の断片たち。
彼らは宙をさまよい、光と影の狭間できらめきながら、惜別の言葉もなく、霧のように儚く溶けて消えていく。
それはほんの数秒だったのかもしれない、あるいは一瞬の出来事だったのかもしれない。
気付けば、私は息を呑んで、その眩しさ、異様な美しさに、ただ見とれていた。
そして、紅蓮の魔力がその輝きをふっと失った時。
「ぁっ……」
セイカが、か細い声を漏らしたかと思うと、その小さな身体は何の抵抗も見せる間もなく、まるで糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた。
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