部屋
意識がゆっくりと浮上してくる。
頭がぼんやりとして、自分がどこにいるのか、何が起こったのか、すぐには思い出せない。
(そうだ、魔力草の部屋から落ちたんだ……)
あれだけの勢いで落下したのだから、ひどい怪我をしていてもおかしくは無いと思うが。
体がどこもかしこも痛い……という訳ではないことに気づき、少しだけ安堵する。
もしかしたら、意識が遠のいてしまっただけで、実際の高さは、それ程高くなかったのかもしれない。
ところで、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
そう思いながら、重いまぶたをゆっくりと持ち上げると――
目の前に、誰かの顔がある。
至近距離。
黄金色の、吸い込まれそうなほどに美しい瞳が、私をじっと見下ろしている。
「……ツキミ、さん?」
掠れた声でそう呟くと、その人物――ツキミは、何の感情も読み取れない無表情のまま、ただ一言。
「重い」
その瞬間、ようやく私は現状を理解する。
どうやら、私は落下する際、無意識のうちにツキミを掴み、そのまま一緒に落ちてきたらしい。
そして、最悪なことにツキミが下敷きになり、私はその上に覆い被さるような形で、気を失っていたようだ。
「ひっ!?」
カエルが潰れたような、奇妙な声が自分の喉から飛び出し、私は文字通りツキミの上から飛びのく。
勢い余って数歩よろめき……気づけば、まるで罰を受けるかのように、床に膝をそろえて座っていた。
顔にぶわっと熱が集まるのがわかる。
(恥ずかしい、恥ずかしすぎる……!)
私がどいたことでようやく解放されたツキミは、ゆっくりと上半身を起こすと、何事もなかったかのように、自分についた土埃を手でぱっぱと払う。
その落ち着き払った様子が、余計に私の羞恥心を煽る。
「局長、大丈夫っすか?」
不意に、すぐ近くから楽しそうな声が届く。
ハッと顔を上げると、そこには、しゃがみ込み腕を組んだセイカの姿がある。
どうやら、私たちの一連のやり取りをニコニコ――いや、ニヤニヤと眺めていたようだ。
彼女の服は、元々あちこち土がついていたり、靴のかかとを踏んでいたりしたので、落下によるダメージなのか、元々なのか判別がつかない。
けれど、少なくとも本人は全く気にしていない様子で、むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見える。
(でも、怪我がなさそうで良かった……)
もしかしたら、あの落下騒ぎの中、一人だけ見事に着地を決めたのかもしれない。
(この子、一体何者なの……?)
それが驚異的な身体能力によるものか、ただの幸運か――内心で舌を巻く。
「はい、大丈夫です。痛い所はありません。セイカさんも無事で良かったです」
セイカに答えながら、私は改めて周囲を見渡す。
どうやら私たちは、それほど広くない、石造りの部屋にいるらしい。
壁には、閉ざされた扉が一つだけある。
そして、見上げた天井――いや、あれは元々私たちがいた部屋の床だったのだろう。
それが今は、まるで最初から、そうであったかのように、綺麗に塞がっている。
(つまり、あの扉が開かなければ、私たちはここから出られない……?)
背中に冷たい汗が流れる。
私がそんな絶望的な考えに囚われかけていると、ツキミも立ち上がり、辺りを見渡す。
その姿をみて、私はハッとなる。
(いけない、謝らなければ!)
「ツ、ツキミさん、だ、大丈夫でしたか!? ごめんなさい。私が掴まったりしたせいで……」
慌ててそう言うと、ツキミはこちらを一瞥もせず、淡々と口を開く。
「問題ない――重かっただけだ」
「うっ……」
最後の余計な一言に、私は再び顔に熱が集まるのを感じる。
だが、スリムすぎるツキミにそう言われてしまっては、ぐうの音も出ない。
私も立ち上がり、服についた土埃を払いながら、この気まずさと羞恥心をどうにか誤魔化そうと、目の前の扉に視線を向ける。
「……それで、その扉ですが、開くのでしょうか?」
ほとんど独り言のように私は呟く。
「どうすっかねー?」
しゃがんだまま、私たちを見ていたセイカが、どこか他人事のように首を傾げる。
先ほど、壁の仕掛けを無造作に叩いて、私たちをこんな状況に陥れたセイカの行動を思い出す。
「セイカさんのことだから、もうとっくに開けて、中を調べているのかと思いましたけれど……まだだったのですね?」
私はつい、少しだけ棘のある声で尋ねてしまう。
するとセイカは、悪びれる様子もなく、にぱっと太陽のような笑顔を見せ口を開く。
「え? だって、こういうドキドキなお楽しみは、みんな一緒じゃないと! もったいないっす!」
(なるほど……)
仲間意識を持ってくれているのか。
それとも、単にみんなでワイワイ騒ぎたいだけなのか――真意はよく分からない。
少なくとも先ほどの自分の行動を、ちっとも反省していないことだけは、痛いほど伝わってくる……。
でも、私が気を失っている間、勝手に扉を開けて先に行かず、待っていてくれた事には変わりない。
そう考えると、先ほどまでの不安や苛立ちが、少しだけ和らぐ。
私は小さく息をつくと、自分でも意外なほど素直な言葉が口からこぼれる。
「……そうですね。ありがとうございます、セイカさん」
「えへへー、どういたしましてっす!」
セイカは私のお礼を素直に受け取ると、嬉しそうにニコニコしながら立ち上がり、いそいそと扉の前へと移動し扉に手を伸ばす。
「セイカさん! ちょっと待ってください!」
扉を開けること自体に異論は無い。
だが、先に確認しておきたいことがある。
「開けないっすか?」
セイカが「どうして?」という顔で小首をかしげ、口を開く。
「えっと、扉を開ける必要はあるのですが、先に確認したい事があります」
私がそう言い、ツキミに向き直ると、セイカは扉の前でしゃがみ込む。
「ツキミさん。そういう事か、って、どういう事だったのですか?」
ここへ落ちるときに聞こえた言葉の意味を、確認しなくてはいけない。
それだけではない、二層の入り口への順路を言い当てたことについてもだ。
ツキミは少しだけ考えるような素振りを見せると、ゆっくりと顔を上げ、天井を見つめながら口を開く。
「まさか床が開くとは思わなかったが、先に進める気はした」
床が開いたことに関しては、ツキミにとっても想定外だったと知り、少し安心してしまう。
(別に疑っていた訳じゃないけれど……)
あの場で、あの言葉を聞いたら、そう考えてしまうのも仕方ないと思う……。
「私も、仕掛けが動いたら進める可能性があるかも? って思いましたが……」
ツキミと同じ様に、私も天井を見上げ口を開く。
(まさか、床が開くとは、私も思いもしなかったけれど……)
ツキミも、私たちと同じく仕掛けに期待を寄せていた……ということか。
では――
「二層の入り口への順路、どうして分かったのですか?」
ツキミは天井から私へと視線を移すと口を開く。
「別に、道順が分かった訳ではない。気になっただけだ」
(えっ? 気になっただけ?)
ふと、セイカを見れば、私と同じように「どういうこと?」という顔で、首をかしげている。
「気になっただけ――とは、何が気になったのですか?」
思えば、ツキミは色々と観察しながら歩いていた。
一層の道中で、何か見つけていたのだろうか、そう考えているとツキミが答える。
「魔力草だ。あの分岐の場所。全てではないが、多くの魔力草の葉が揃って同じ方向へと向いていた」
(なるほど……。気付かなかった……)
改めてツキミの観察眼に驚かされる。
「そうだったのですね。それで、魔力草が向いてる方へ進むべきだと……」
とはいえ、その場で言ってくれれば良いのでは……とも思う。
「あぁ、何故向いているのか、気になるだろう? そして、結果的に入り口へたどり着いた。魔力草は魔力に引かれる性質があるのかもしれないな」
満足そうに答えると、ツキミは口元に笑みを浮かべる。
(運が良かっただけか……)
「おぉ、さすがツキミっす! 賢いっす!」
私のそんな気も知らないまま、セイカはツキミを褒めるようにパチパチと手を叩く。
そんな二人を見つめ、私も気付いたことが二つある。
一つは、ツキミもセイカと同じように、好奇心を優先させるということ。
気になっただけとは、そういう事だろう。
結果的に入り口に辿り付けたから、良かったとは思うが。
(セイカとツキミは似てるかもしれない……)
もう一つは――
「魔力草を、道標に出来るかもしれないですね。今度確認してみましょう」
今は確かめられないけれど、本当だとしたら、きっと役に立つはずだ。
「そうだな、魔力草を道標にしていた時代も、あったのかもしれない」
ツキミの、その言葉を聞くと――
(あっ!)
「……そういう事、か」
ツキミと同じ言葉が自然とこぼれる。
私はツキミの瞳を見つめ再び口を開く。
「扉と部屋の仕掛けには魔力草が描かれていました。だから、先に進めると思ったのですね。魔力草が道標を表しているんじゃないか? と」
口に出してみると色々腑に落ちて、すっきりした気分になる。
床が開いたのは手順を間違えただけで、本当は正しい手順を踏むことによって、正しい道が開かれたのかもしれない。
そして、属性部屋とは目的が違うから、文様も違ったのだと考えれば納得もできる。
ただ――
(気付いた時に、言ってくれたらいいのに……)
心の中で、再び呟く。
「まぁ、そんなところだ。ただの罠だった可能性もあるが」
ツキミは、どこか感心したような響きで言う。
確かに結果的には罠が発動しただけ、という現状ではある。
その、罠を起動させた張本人、セイカはというと――
「局長もすげえっす! 賢い局長っす!」
満面の笑顔で私のことを褒め、パチパチと拍手をくれる。
セイカの純粋な気持ちは嬉しい、けれど――
「最初に文様が魔力草だと気付いたのは、セイカさんですよ? セイカさんのおかげで、色々わかりました。 お手柄ですね!」
そう、セイカの気付きがあってこそだった。
だから、今度は私がセイカに向けてパチパチと手を叩く。
「あっ……。へへへー」
自分が文様に気付いた事を思い出したのか、セイカは目を細め、照れくさそうに鼻の頭を指で撫でる。
そんなセイカの姿を見て、罠のことを注意しかけたが、言葉は自然と喉で止まっていた。
(次は、ちゃんと注意しよう……)
ツキミもそんなセイカの姿をしばし見守ると、何かを思い出したのか、メモを取り始める。
とはいえ、いつまでもこの部屋に留まっているわけにもいかない。
「お待たせしました。扉を開けてみましょう」
そう口にして、私は扉に目をやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます