あの日、小学校で起きていたこと(CさんがK原先生に聞いた話)

「……そんなこと、あったなあ。そうか、C君とは○○小で一緒だったんだね」


 酒が入ってゴキゲンのK原先生が、目を細めて言った。


 それから、声のトーンを少し落として、「C君も煙草吸うよね? ちょっとニコチン補給にいこうか」と、私を店の外にある喫煙所に連れ出した。




「いやあ、ごめんごめん。あまり他人には聞かれたくない話もあったから」


 先生は煙草に火を付けると、あの日のことを語り出した。


「それにしても、ありゃあ訳の分がんね事件だったな。正直、いまだに納得いかないことだらけなんだ――」



              § § §



 4時間目が始まってすぐ、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。

 

 どうやら学校の前に止まったようだ。

 小学校の場合、救急車が来ることは往々にしてある。

 だけど、パトカーが来るのは珍しい。


 K原先生は嫌な予感がしたのだという。

 

(なんだなんだ? 事故か? 事件か? )


 ――ほどなくして、校長先生が血相を変えて教室に走ってきた。


「今、野犬が学校に侵入してきて校内を徘徊している。私たちは警察と協力して校内の見回りをすることになった」


 そこで、K原先生はこう申し出た。


「こういうのって体力勝負でしょう。私に行かせてください」


 K原先生は空手をやっていて、腕っぷしには自信があった。

 一方で校長先生は定年間際、最近心臓を悪くしているとの話も聞いている。

 だから、この提案は理にかなったものであったはずだ。


 しかし校長先生は、慌てた様子で、


「いや、ダメです! K原先生はまだ二十代でしょう。万が一ということもある……」


 そんなことを言って聞かない。


(万が一ってなんだよ? 若いから「ダメ」ってどういうことだ?)


 緊急事態であるから、逆らうようなことはしなかったが、どうにも腑に落ちない。

 校長先生は、反論を許さぬ勢いでまくし立てる。


「いいですか、犬を刺激するといけないから、とにかく音を立てないように。ドアも窓も閉めきること。それから、必ずカーテンを閉じて、子どもたちが外を覗かないよう、徹底的に注意してください」


「はあ……」


 校長先生は、煮え切らぬK原先生の返事から不信感を察したようで、


「ほら、野犬が校庭を走り回っているのを見たら、興奮して外に飛び出す児童もいるかもしれないでしょう! とにかく危険ですから、いいですね!」


 そう言い訳がましく厳命すると、足早に隣のクラスへと向かった。


 どうにもお粗末で、納得できない理由である。異常な雰囲気に加え、夏の真っ盛りの暑さ。このままでは、体調が悪い子が出ても不思議ではない。


(それより、トイレに行きたいとか申し出があったら……どうしたらいいんだ!?)

 

 ――10分後、校庭から異様な音がした。笑い声のように聞こえるが、とても人間のものとは思えなかった。怖がって泣き出す子、カーテンをめくって外を見ようとするヤンチャ坊主、彼らをなだめ叱りつけているうちに、あっという間に時が経っていく。


 ――30分後、今度は教頭(現在の副校長)先生が回って来て、


「お疲れ様です。野犬は校外に逃げていきました。少し早いですが、給食の時間にしましょう。あと、今日の午後の授業は中止します。野犬がまだ付近を徘徊している可能性があるので、保護者に迎えに来てもらうことになりました」


 ということを淡々と告げる。


(授業を中止って……少し大げさじゃないか?)


 K原先生はそう思ったが、教頭先生の顔が疲れ切っていたので、それ以上は何も言えなかった。



              § § §



 ――18時過ぎ。

 ようやく最後の保護者が子供を迎えに来たので、職員会議が始まった。

 ところが、校長先生は開口一番に、


「今日は本当にご苦労さまでした。このあとの庶務は私と教頭先生でやりますので、皆さんは解散してください。あと、車で通勤していない人は、駅やバス停まで固まって移動するようにしてください」


 とだけ言って、会議を打ち切ってしまった。


(え……それだけ?)

(固まって移動って、子供じゃないんだから……)

(今日できなかった授業の代替をどこで行うかとか、いろいろあるだろ?)


 皆、そんなことを思ったが、校長先生は有無を言わせぬ見幕で帰宅を促す。

 結局、翌日以降も事件の詳細が語られることはなかった。



              § § §



「だからさ、管理職以外の教職員はみんな不満だった。……いや、不満というよりは、純粋に疑問だったんだよね。あの日、いったい何が起きていたんだろうって。

ただ、今よりずっと上下関係は厳しかったから、校長や教頭に問いただすなんて選択肢はとてもとても」

 

 そんな折、K原先生はこんな噂を耳にした。


「あの日、一番年配の用務員さんが、校長や教頭と一緒に行動していたらしい」


 そこで、K原先生を含む若手の先生たち数人で、用務員さんを飲みに誘って、さんざんお酒を勧めたうえで、


「あの日、いったい何があったんですか」


 そう聞いてみたのだと言う。


「……その瞬間、ほろ酔い気分だった用務員さんの顔色がサッと変わったんだ。そこはお座敷だったんだけど、いきなり正座して畳に手の平をついてさ、『あのときのことは、一切お話できません。墓まで持っていくつもりです。まことに勝手ながら、本日はこれで失礼いたします』って仁義を切ると、さっさと全員分の会計をすませて、そのまま帰っちゃったのよ」


「それって、つまりは『ヤバいことがあった』ってことじゃあないですか」


「多分ね。ただ、それ以上のことはどうしてもわからなかった。……そういえば、校長室に金庫があるじゃない?あの中にさ、『Mファイル』ってものが入っているんだって。モノノケやらモンスターが出た時の対応マニュアルらしいんだけど、あの時の校長の不可解な言動は、全部それに沿ったものだったりしてね。まあ、あくまで噂だけど」


 K原先生はそう答えて、煙草を灰皿に突っ込むと、店の中に戻っていった。


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