友人の家で起きたこと(Aさんの話)
その次の日の朝は、保護者同伴で通学だった。
帰りも、保護者が迎えに来た。
「ノラ犬」はまだ捕まっていないらしい。
ウチの母親は外で仕事をしていなかったから良かったが、「遠くで仕事をしている親御さんは大変よねえ」などと言っていたし、実際そうだったろう。
ま、ガキの頃はそんなこと考えたこともなかったけど。
さらにその次の日のことだ。
Dが学校を休んだ。
正確には、事件の翌日も休んでいたから、2日連続で休んだことになる。
ところで、Dの家は小学校と私の家のちょうど中間にある。
私はDと仲が良かったし、ウチの母親とDのお母さんも仲が良かった。
この日も「保護者同伴」は続いていて、帰る途中、Dが休んでいるということを母親に話したら、「ちょっとお見舞いに行ってみよっか」ということになった。
§ § §
Dの家のチャイムを押すと、すぐにDのお母さんが出てきた。
「大丈夫?カゼでも引いた」
「うーん、それがさぁ……まあ、上がっていってよ」
母親同士がそんな話をしている間、私はちょっとした違和感を覚えていた。
(あれ、チャッピーがいない……)
チャッピーというのは、Dが飼っている犬だ。
私がDと友達になってから結構長いのに、いまだに私を見ると唸り声を上げる。
番犬としては優秀かもしれないが、ただの駄犬という線も捨てきれない。
そんなヤツだった。
ま、それは置いておいて……。
母親ふたりは、リビングでおしゃべりをしているというから、途中で買ったお見舞いのお菓子を持って、私は奥にあるDの部屋に向かった。
「おーい、オレだよ!お見舞いに来たよ!開けて開けて」
そう言って声を掛けると、Dはこちらを窺うようにほんの少しだけドアを開け、それから急に私を部屋の中に引っ張り込んだ。
「おい、何だよ!びっくりするだろ……」
そこで気付いた。
Dの目の下に、絵の具で描いたようなものすごい
「どうしたんだよ……大丈夫かよ……」
冷房が動いているとはいえ、部屋には淀んだ空気が籠っていた。
まだ日が高いと言うのに、雨戸が締め切りになっている。
――そして、Dは怯えていた。
私は、その異様な雰囲気に飲まれて、しばらく何も言えなかった。
すると、Dがそれはそれは小さな声で、「誰にも言わないって約束できる?」と聞いてきたから、反射的に「うん、もちろん約束する」と答えてしまった。
するとDは、おもむろに口を開いた。
§ § §
小学校のクラスで、Dの席は窓側の最後列であった。
そこだと、カーテンが閉まっていても、隙間から外を見ることができるらしい。
事件が起きた日、クラスが異常事態でざわつく中、好奇心に負けたDは校庭をそっと覗いていたという。
すると、校舎の中から、何かが飛び出して来たのだそうだ。
「それ、どう見ても犬じゃなかったんだよ。人間……多分、子供だったと思う。でも、服を着てなくて、体中が柿みたいな色してて、髪の毛がボウボウで腰ぐらいまであって……そいつが、ウサギみたいな恰好で校庭をダッダッダッって走って……ウソじゃない!ウソじゃないから!!」
もちろん、疑う気なんてまったくなかった。
Dのビビりっぷりが尋常じゃなかったから。
「そいつ、大人たちに追われて、逃げるみたいに校庭の真ん中まで出てきて、そこで急に、こっちを振り向いたんだ。目が、合ったんだよ。遠くて分からないはずなのに、目が合ったってわかるんだよ!そしたら、すごい声で笑って……」
そこまで言うと、Dの目から涙が溢れてきた。そして、
「覗いていたことを叱られると思って、誰にも言えなかった」
「ノラ犬を見間違えたんだろうと自分に言い聞かせて、忘れることにした」
そんなことを途切れ途切れに私に伝える。
「……でも、夜にあの笑い声が聞こえた気がして、朝起きたら、チャッピーがいなくなっていたんだ! お母さんは『首輪からすり抜けちゃったのかしら?』なんて言っていたけど、違うよ! きっと、アイツが追いかけて来たんだ!! チャッピーはあいつに食べられ」
ばしゃああああああああああああん!!!!
突然、雨戸の向こうで大きな音がした。
水風船とか、びしょびしょにしたバスタオルとか、そうした湿ったものを力任せに叩きつけたような音。
私とDは、恐怖に駆られて部屋から駆け出した。
リビングにいた母親たちにも、その音は聞こえていたらしい。
二人で様子を見に外に出ていったが、すぐに戻ってきて電話をかけ始めた。
私たちに聞こえないように、小さな声で。
でも、その相手先が警察だと言うことは、すぐにわかった。
……パトカーがすっ飛んできたから。
クラスの連絡網が回ってきたのは、その日の夜のことだった。
「ノラ犬が捕獲されたので、明日からの保護者の送り迎えは不要です」
§ § §
「母ちゃん、あのあと警察から事情聴取されたんだよなあ。だから俺だけ先にパトカーで家まで送ってもらったんだよ。すごくね?」
Aさんは、冗談めかしてそう話を結んだが、とても笑えたものではなかった。
Bさんが、もどかしそうに尋ねる。
「で、結局、大きな音って何だったんだよ!?」
「知らない。母ちゃんたちは『見るんじゃない!!』の一点張りで、どうしても教えてくれなかったんだ。それ以降、うちではあの日のことを話題にするのタブーになっちゃって……」
「野良犬が捕まりましたってオチもワケわかんねェし!」
「うーん、その因果関係は、オレもよく分からん。ただ、Dのウチであった事件と、絶対に関係がある気がするんだよなぁ」
そこでAさんは、人目を気にするように辺りを見回して……
「でもさ、オレがパトカーで家まで送り届けられたとき、出迎えてくれたウチの婆ちゃんに事情を話したら、こう言ったんだ。『今年ァ、お彼岸過ぎても暑かったから、モッコさ来たんだな』って」
その名を耳にした途端、周囲の気温が急に下がったように感じた。
「……それで、Dはどうなった?」
「それから何度か見舞いに行ったんだけど、Dの家、誰もいなくてさ。2学期の終わりに、引っ越したってバラセンから報告があって、おしまい。どこに引っ越したのかも、連絡先すらわかんね。もう一回Dに会いてえなあ……あんなのが最後の思い出なんて、いやだよ……」
AさんとBさんがそんなやり取りをしていると、Cさんがぽつりと口を開いた。
「今、オレ、K原先生と同じ職場で働いているって話、したっけ?」
「いや、聞いてない……そうか、お前、学校の事務になったンだもんなあ」
「それでさ、ちょっと前、先生とあの時の話をしたことがあってさ――」
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