第4話(改) きみと僕の、色の始まり

「星野さんは、俺にとって……大事な友達だから」


昨日の放課後、教室に響いた一ノ瀬陽くんの、あの静かで、でも強い意志のこもった声。その言葉が、一晩経った今も、ずっと私の頭の中でリフレインしていた。


大事な、友達。


その響きは、胸の奥をじんわりと温める、蜂蜜みたいに甘いものだった。私の周りを包むオーラは、きっと昨日の帰り道からずっと、希望に満ちた輝くような金色に染まったままだろう。陽くんと、特別な繋がりができた。その他愛ない事実が、私を浮き足立たせるには十分すぎた。


でも、同時に、その言葉はズシリと重い鉛のようにも感じられた。

今まで、私はずっと教室の隅っこで、人の感情の色から逃げるように、気配を消して生きてきた。人の本心が色で見えすぎてしまうから、誰にも深く踏み込まず、誰からも踏み込まれないように、透明な壁を作って自分を守ってきたのだ。


それなのに。

陽くんは、あのたった一言で、私をその安全な壁の中から、教室のど真ん中へと引きずり出してしまった。

学園の王子様である一ノ瀬陽の、「大事な友達」。

そんな、身の丈に合わない看板を背負ってしまったら、もう今までみたいに、ひっそりと息を潜めていることなんてできない。佐藤沙耶香さんたちが放っていたような嫉妬の視線や、好奇の目に、これからずっと晒されることになるのだ。


そう考えただけで、胸の中で輝いていた金色のオーラの中に、臆病なラベンダー色がもやもやと霧のように混じり始めるのが分かった。嬉しい。でも、怖い。陽くんと繋がれたことは、心から嬉しい。でも、そのせいで、私が必死で守ってきた平穏な日常が、音を立てて壊れてしまうかもしれないのが、怖くてたまらない。

そんな正反対の感情が、私の心の中でぐるぐると渦を巻いて、どうしようもなく私を混乱させていた。


学校へと続く道を歩きながら、私は何度ため息をついただろう。周りを行き交う生徒たちの、楽しげな黄色や、気だるい藍色のオーラが、なんだかすごく遠い世界のことのように感じられた。


教室のドアを開ける指が、少しだけ震える。意を決して中に入ると、空気は、昨日までとは明らかに違っていた。


「あ、瑞希! おはよう! 昨日、大丈夫だった?」


一番に声をかけてくれたのは、やっぱり親友の朱里だった。彼女のオーラは、いつも通りの元気なオレンジ色だけど、その中に、心配そうな水色の光がちらちらと混じっている。きっと、昨日の佐藤さんとの一件を聞いて、私のことを気にかけてくれているんだろう。その変わらない優しさが、私のラベンダー色のオーラを少しだけ和らげてくれた。


「おはよう、朱里。うん、大丈夫だよ。ありがとう」

「ほんと? なんか、一ノ瀬くんが助けてくれたって聞いたけど……。あんたたち、いつの間にそんな仲になったのよー!」


私の肩をバンバン叩きながら、からかうように笑う朱里。彼女のオレンジ色が、好奇心を示すレモンイエローにきらきらと変わる。裏表のない彼女の反応に、私は少しだけ救われる思いだった。


「そんなんじゃないって。ただ、ちょっとね……」

「ふぅん? ま、瑞希がいいならいいんだけどさ。でも、ほら」


朱里が顎でくい、と教室の隅を示す。私がそちらに視線を向けると、一番強い色を放っている、佐藤沙耶香さんたちのグループが目に入った。彼女たちの周りには、苛立ちの混じった赤紫色と、嫉妬深い深緑色のオーラが、とげとげしく渦巻いていた。昨日まではただの嫉妬の色だったのに、今はもっと攻撃的で、まるで「あんたなんかが調子に乗らないでよね」という声が、色になって聞こえてくるようだ。そのオーラは、もはやただの色ではなく、物理的な鋭さを持った茨のように見えて、私の肌をちりちりと刺すような錯覚さえ覚えた。


それだけじゃない。他のクラスメイトたちからも、ヒソヒソと交わされる会話とともに、好奇心を示す薄黄色のオーラが、ナイフの先端みたいに鋭く私に向けられるのが分かった。

心が、きゅっと縮こまる。やっぱり、こうなるんだ。俯きたくなる気持ちを必死でこらえて、私は自分の席に荷物を置いた。


その時、ふと、視線を感じた。

顔を上げると、教室の反対側の席に座る、陽くんと目が合った。

心臓が、どくん、と大きく、でも静かに跳ねる。


彼は、もういつもの、完璧な「王子様」に戻っていた。周りには友達が集まり、穏やかな笑顔を浮かべている。そして、彼のオーラは、またあの、何も映さないモノクロームに、完全に戻ってしまっていた。


がっかりした気持ちが、胸にじわりと広がる。私のオーラも、きっと失望を表す灰色に沈んでしまっただろう。

陽くんは、私と目が合うと、周りの友達には気づかれないくらい、小さく、こくりと頷いた。それは、「おはよう」の合図のようでもあり、「大丈夫か?」と尋ねているようでもあった。

私も、小さく頷き返す。


その瞬間だった。

彼の、モノクロだった胸の中心に。

――ちかっ。

本当に、瞬きするほどの、ごく僅かな時間。雨上がりの空みたいな、澄んだ青緑色の光が、再び、小さく灯って消えた。

幻じゃ、なかった。

あれは、確かに、彼の中から生まれた、本物の色なんだ。私だけが解読できる、秘密の合い図。

その事実だけで、私の心に渦巻いていた不安のラベンダー色が、すうっと薄れていくのが分かった。大丈夫。きっと、大丈夫だ。この色の会話ができる限り、私は一人じゃない。


その日、私たちはお互いに、それ以上言葉を交わすことはなかった。でも、授業中にふと目が合っては、気まずそうに逸らしたり、休み時間に彼が友達と話しているのを、つい目で追ってしまったり。言葉はないけれど、私たちの間には、昨日までとはまったく違う、くすぐったくて、少しだけ緊張した、特別な空気が流れていた。


そんな奇妙な均衡が続いていた、ある週の終わりのことだった。

古典の授業の最後に、山田先生が教壇の上から、重大発表、とでも言いたげな口調で言った。

「えー、来月の文化祭に向けて、国語科では少し大きな課題を出そうと思う。先週も少し話したが、近代日本文学には、戦争や災害、あるいは個人的な事情で、大切なものを失った人々の心が描かれている作品が多い。そこで、今回のテーマは『近代日本文学における、喪失と再生』とする。二人一組で作品を一つ選び、そのテーマについて考察し、発表してもらう」


教室が、ざわめき出す。「ペア」という言葉に、あちこちで楽しげな黄色のオーラが揺れたり、誰と組むかを探り合うような、探るような藤色のオーラが交錯したりした。


「ペアは、公平を期すために、こちらで決めさせてもらった。今から発表するぞ」


先生が名簿を読み上げ始めると、私の心臓は嫌な予感で早鐘を打ち始めた。私の周りには、不安の灰色がもくもくと立ち上る。誰とでもいい。ただ、どうか、佐藤さんたちと同じグループになりませんように。面倒なことになりませんように。


「相田と、木下」

「佐藤と、……鈴木」


朱里の名前が呼ばれ、そして、佐藤さんの名前も呼ばれた。よかった、という安堵の息が漏れる。これで、最悪の事態は避けられた。あとは、誰でもいい。当たり障りのない、クラスでも目立たない男子か女子と組んで、平穏に課題を終えたい。


「――じゃあ、最後だ。星野、瑞希」


私の名前が呼ばれて、びくりと肩が震える。

心臓が喉元までせり上がってくる。残っているのは、あと一人しかいない。嘘でしょ。そんな、漫画みたいな展開があるわけ……。


「そして、一ノ瀬、陽」


瞬間、教室の空気が凍った。

しん、と静まり返ったのは、ほんの一秒ほど。

そして、次の瞬間、色の爆発が起きた。


佐藤さんの席からは、怒りと屈辱が混じった、どす黒い赤色のオーラが、炎のように激しく燃え上がった。「どうしてあんな地味な女が」という声なき声が、色となって私を焼き尽くさんばかりの勢いだ。周りの女子たちからも、嫉妬の深緑色と、驚きの黄色が入り混じった、複雑な色が噴き出す。男子たちからは、「一ノ瀬、マジかよ」「ある意味、大当たりだな」といった、羨望と面白がる気持ちが混ざった青色が滲み出していた。

クラス中が、その予想外の組み合わせに向けられた、混沌とした色の渦に飲み込まれた。


私のオーラは、きっと、上履きを落とした時と同じ、パニックを表すどぎついマゼンタ色に染まっているだろう。顔が熱い。どうしよう。みんなが見ている。

でも、そのパニックの色の奥深くで、どうしようもない、輝くような金色の光が、じわじわと広がっていくのも感じていた。

運命の、課題。

神様は、なんて意地悪で、なんて素敵な悪戯をするんだろう。


恐る恐る、陽くんの方を見る。

彼は、いつものように落ち着いた表情で、ただ、まっすぐに私を見ていた。彼の周りのモノクロームは、この騒然とした状況でも、まったく揺らいでいない。

でも、その胸の中心で。

あの青緑色の光が、もう瞬きなんかじゃなく、穏やかで、暖かく、そして歓迎するように、確かな光を放って、じっと輝いていた。まるで、暗闇の中でずっと待っていた灯台の光みたいに。


授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室が騒がしくなる中、陽くんが席を立って、まっすぐに私の元へと歩いてきた。渦巻く嫉妬と好奇のオーラを、ものともせずに。


「よろしくな、星野さん」


彼は私の机の前に立つと、いつもの完璧な笑顔ではなく、少しだけ照れたような、でも本当に嬉しそうな顔で言った。


「君とペアになれて、嬉しいよ。心強い」


その言葉と、彼の胸で輝く青緑色の光が、私の不安をすべて吹き飛ばしてくれた。

これから、彼の隣で、たくさんの視線に耐えなければならないだろう。怖い。でも、それ以上に、彼と二人で何かを成し遂げられることが、嬉しくて、誇らしかった。


彼の真っ白なキャンバス。

そのキャンバスに、私が最初の一色を、そっと置いていくことになるのかもしれない。

「……うん。よろしく、お願いします。一ノ瀬くん」

私は、まだ熱い頬のまま、それでも精一杯の勇気で顔を上げて、そう答えた。

私の周りのオーラが、希望に満ちた、輝くような金色一色に変わっていくのを、自分でもはっきりと感じていた。

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クラスの王子様が私の秘密を知って、告白してくる話 ☆ほしい @patvessel

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