第9話 激情と沈黙の狭間で

 ラッセルとの間に起きた出来事を聞いたイベールは烈火の如く怒りだした。

「それ、ストーカーの脅迫。そんな卑怯なことをするなんて!」

 イベールの言うことはもっともだったが、どう表現しようが二人が窮地にあることに変わりはなかった。

「あの変態! クズ野郎!」

 共有スペースのテーブルを盛大に蹴り上げると、イベールはそれでも我慢できず、今度は椅子を蹴とばしたかと思えば、クッションを壁に投げつけるといった有り様で、当事者であるはずのサンドラが宥めて落ち着かせるまでひとしきり感情を爆発させた。

「サンドラはなんでそんなに平静なの? このままじゃ、あの変態と結婚するか、そうじゃなきゃ強制労働送りなのに!」

「そのことなんだけど……、私考えたの。これは追い詰められたんじゃない。むしろためらわずに先に進めということなんじゃないかなって」

「先? なんの?」

 サンドラの意外な言葉にイベールはきょとんとして聞き返す。イベールにとってはラッセルのやり口が気に入らないだけでなく、愛しのサンドラをその気に入らない相手に取られてしまうという事態は呑めない話である。何か妙案があるのか、つい訝しんでしまう。

「私たちがいま考えていることを、みんなに訴えるの。こんなのはおかしいって」

 吹っ切れた表情に力強い意思を込めた目で、サンドラは告げた。成長抑制剤を無くし、帰ることのない地球に合わせるための運動義務を無くし、そしてイベールの気持ちを無為にしないためにも、人口優先を目的とした同性愛禁止規定を無くす。それらの一切を訴えていく。それをサンドラはやるのだと言い切った。

「やるって……勝算はあるの?」

 その疑問はサンドラも考えに考えていた。サンドラにも勝算も打開策も見いだせていないものの、一つだけ明らかなことがあった。


「よく聞いてイベール。一週間経ってどうなっていたって、私はラッセルと一緒になるつもりはないの。だから本当に彼がそうするかどうかはわからないけど、宣言通りに私のことを、あるいは私とあなたのことを厚生局に通報したら、私たちはもう一生会えないと思う。強制労働もごめんだけど、あなたのことを考えたらそんなことを他人に決められたくなんてない。あなたの気持ちに応えられるかどうかはまだわからないけど、少なくとも誰かに壊されるような筋合いはないもの。そんなのあんまりだわ」

 一息に言い切った。ルーカスのおかげで追い込まれるような恰好になったのは不本意だったものの、それはいつかはやりださなければならないことのはずで、退路が絶たれたならもう前を向くしかない。それがサンドラの出した結論だった。勝算があるからやる、ないからやらないという段階は、結果としてルーカスがぶち壊したのだ。

「それは、破れかぶれって言うんだと思う」

 サンドラの言葉が、イベールは嬉しかった。自分から切り出したことだとしても、そのことに真剣に向き合ってくれたことに、いくら感謝してもしきれたものでもなかった。

「それでもやるしかないの。だって、その先にしか私たちの道はないんだもの」

 自身に言い聞かせるようにゆっくりと静かにそう言うと、イベールが蹴り散らかした椅子やテーブルを、サンドラは何も言わずに立てて置き直していった。その様子を見たイベールは、頭に血が上った自分がやらかしてしまったことに、恥ずかしさを覚えた。


「そうね。私たち、もう後ろは無いのよね」

 深く溜息を吐きながら応えたイベールは、もうすっかり荒ぶった感情を沈め、冷静になって俯き加減に呟いた。そして顔を上げてサンドラに向き直ると、彼女の意見を付け加えた。

「やる以上は勝たなきゃ。だから子どものことを突破口にしましょう。成長抑制剤なんてろくでもないものを添加されていると知ったら、親はなんて思うかしら? 少しは味方が増えるかもしれない」

「わかった。確かに私もそれが良いと思う」

 二人は頷きあって、そして沈黙が二人を包み込んだ。空調の機械音が響く中、黙り込んで互いの次の言葉を待っていた。

 サンドラは照れながら視線を反らし、イベールは両の手で顔を覆って俯いた。いろいろなことがあまりにも大きく変化していた。その中でも一番大きな変化は、間違いなくサンドラとイベールの関係だった。二人の立場が後に引けないことと同じくらい、二人の関係も以前と同じというわけにはいかなかった。そのことに気づかない二人ではなかった。

 沈黙を破ったのはサンドラだった。

「ねぇ……今日は一緒に寝て欲しい……。その……横に居てくれるだけでいいから……。私が挫けてしまわないように……」

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