第7話 すぐそこにある危機

 衝撃的なことがいくつも重なったその日を境に、二人は火星植民地を縛る植民地憲章に対してどうすれば対抗でき、変えていくことができるのか、そのことばかりを毎晩語り、何をすべきか意見を交わし続けた。


 成長抑制剤を食事から取り除いた場合にどうなるか。地球と比較して低重力の火星で育つ子どもの身長は相対的にはかなり高くなるだろう。すべてが地球と同様の規格で設計されている機材や施設の使い勝手が悪くなるか、場合によっては使えないことは容易に想像できた。サンドラは自分の背が二十センチ伸びた状態を想像してみると、まずベッドルームが手狭過ぎてベッドから頭か足が飛び出てしまうだろう。イベールに言わせれば「もっと早く気づいていればもっと背が高くなったのに」となんとも悔しそうな顔で自身の頭をこんこんと叩いた。

 運動義務規定を一切守らなかった場合はどうだろうか。低重力に適応するにつれて、筋力は衰えるだろうし、これまた結果として地球の規格で作られている機材の扱いには苦労しそうだった。スイッチ一つ、レバー一つとってしても、何をするにも必要な力加減が変わってくるに違いない。


 この二つを止めた結果として遠からず訪れるだろう結果はただ一つ。地球の環境に再適応することはまず無理になるだろう。もっともこの点については、いますでに地球に行った人がいないだろうしおそらく今後もそれが変わらないだろうと考えると、あまり大きな問題にはならないに違いない。

 こういったことを考え合わせると、生活の隅々にまで影響が及ぶことは明らかで、地球に行くことがないことは問題にならないとしても、それ以外は決して無視できない要素だと、サンドラもイベールも結論づけた。つまり、いかに隠されていた誰が仕組んだのかも不明なあれこれを暴いたところで、一定の反発を受けることは間違いない。居住空間から使う道具や機材に至るまで一切合切を作り直さなければならないとしたら、その事実だけで人はそれを簡単には受け入れないものだ。


 途方もないことを提案しようとしている事実に、サンドラの心は何度も挫けかけたが、そのたびにイベールが黒い眼鏡の奥で瞳に決意の表情を浮かべながら、励まし、意見し、支えた。目は口ほどに物を言うという言葉があったなと、サンドラはイベールを見て思い返した。その瞳は確かに口に出さずとも雄弁に決意のほどを物語っていた。

 しかし火星植民地は世襲制の管理官制度がすべてを決める体制であり、おいそれと口を挟めるような場所も機会もありそうになかった。


 運動義務時間を毎日すっぽかせば目立ちすぎるため、週に一日だけランダムに決めた日に本来の八時間ではなく六時間だけ運動して引き上げることで、どうすべきか考える時間を捻出し、これといった決め手を思いつかないままひと月が過ぎようとしていた。

 そうして変わらない日常を装っていたある日、サンドラは授業を一通り終わらせ教育センターを後にしようとした時だった。

「スミラ、ちょっとこっちに来いよ。話があるんだ」

 ラッセルはいつもの下心が隠せていない浮ついた顔ではなく、深刻な顔をして強引に教室の出口右腕一本で塞ぎ、サンドラの顔をまじまじと覗き込んだ。大柄なその体は入口を完全に塞ぐのに十分だった。

「とても大事な話なんだ」

 有無を言わせない圧を感じてつい腰が引けるサンドラの腕をがっしりと掴んだラッセルは、しっかりと鍛えあげてある体を存分に活かし、力任せに通路に引っ張り出した。

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