第2話 先生と同じご飯
散々に酷使された体が悲鳴を上げているのをいつものように無視して、二人はレストラン「白鳥亭」へと足を運んだ二人は、一日の終わりのディナーを楽しむことにした。
「そういえば、彼はまだあなたにご執心なの?」
合成肉ステーキをてきぱきと切り分けながら、イベールがサンドラに尋ねる。サンドラのナイフ捌きはいたって合理的で、その性格を表しているようだった。
「ラッセルのこと? えぇ、まぁ、まだ諦めないみたい」
両手を頭の後ろで組みながら天井を見上げたサンドラは、いかにもうんざりした声を溜息とともに吐き出す。
「考え方が古いだけじゃなくて、頑固さも筋金入りなのね。ご愁傷様」
サンドラはイベールから見ても頭脳、容姿ともに若手の中では五本の指に入るだろうから仕方ないかなと思えるほどで、言い寄ってくる男はいくらもいたが、その中でもラッセル・ガーフィールドは指折りのしぶとさだった。なにしろこの一年いくらサンドラが断っても気にする風でもなく、機会さえあればあれこれと誘いをかけ続けているのだ。
「わざわざスミラなんて呼ぶのは、彼くらい。本当にうんざり」
スミラはスミルノフの愛称としては珍しくないもので、スミルノフという姓自体もロシア系には至って平凡な名前だが、ロシア風に呼ばれることを嫌うサンドラの地雷をしっかり踏み抜きながら近づこうとしているラッセルの様子を思い浮かべると、イベールは笑ってよいやら真剣な顔をすればよいやら、なんともいえない気分になる。
「サンドラのことをちっとも理解していないのね。一年も口説いているのに」
私はサンドラのことを理解しているのだと言わんがばかりの顔になり、イベールは慰めの言葉を贈る。
「そうね。私もラッセルのこと興味ないし、お互い様かもね」
そう言うサンドラの顔は浮かない。この時サンドラはラッセルのことはすっかり頭の片隅に追いやり、別のことを考えていた。
「なんか投げやりな感じね。他に悩みごとでもあるの?」
イベールの何気ない問いかけは核心を突いたものだったが、サンドラは曖昧な顔で首を振ってやんわりと否定した。(イベールに嘘はつきたくないわね)と内心では苦い顔をしながらも、いま考えていることを告げることは憚られた。
サンドラは現在二十八歳。成人の儀式を終え、大人として認められると教師育成プログラムを四年で卒業し、二十二歳の時に今の仕事に就いた。それから六年、サンドラの受け持つ教育課程を初めて受けた生徒が、今年成人の儀式を迎えることになる。
そうなって初めて、サンドラは迂闊にも自分が大きなことをすっかり見落としていたことに気づいた。誰もが当たり前のこととして気にもしていなかった事柄が、いかにも重大なことのように思え、いっそうそのことが頭から離れなくなった。
自身の教え子がその瞬間を迎えるにあたり、このことに気づいてしまった。
――何故、十八歳を境に食事が厳格に分かれているのか――このことはまったく合理性がないように、サンドラには思えた。
火星の四季は地球の倍近くある長い周期で移りゆく。サンドラはその一季節を丸ごとこの疑問と格闘していた。
「来年から先生と同じご飯が食べられますね!」
生徒の何気なく発した一言がすべてのきっかけだった。
それまで何一つ気にしたことのなかった食事一つが、とても大きな謎として突然にサンドラの脳裏にこびりついた。
食事。毎日欠かさず摂っているそれが、大人と子どもでまったく違うのだということを意識しなかったのは、朝昼夜どの時間であれ生徒と食事を共にする機会はなく、またサンドラ自身子どもを持ってもいなかったからだ。
しかし一度こびりついた疑問は、しつこく心をかき乱し、そのことをただ当然のこととして済ませるには、あまりにも不意を突いた問題提起だった。
足早に教室から出ていく生徒の背中を見送りながら、その場に立ち尽くしたサンドラは、この謎はなんとしても解き明かさずにはおれない気分になっていた。
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