第4話
翌朝、社内メールが届いた。
——「○○部所属の□□氏が、当面の間、自宅待機となりました」
自宅待機という言葉は建前で、実際には「これ以上は擁護できない」という会社側の“意思表示”だった。
理由の明記はなかった。けれど、誰もが理由を知っていた。
フロアは静まり返り、誰もその話題を口にしなかった。逆に、それがすべてを物語っていた。
“うちの部署から出た”
“あの人は、処分された”
“私たちは関係ない”
________________________________________
「発言の全文が、起こされてた」
同僚が昼休みにそうつぶやきながら、スマホを見せてきた。
そこには、先輩が口にしたとされる差別的な言葉が、文脈も、空気も削ぎ落とされて、ただ“言葉だけ”で並んでいた。
拡散されたのは十数秒の音声と、テキスト化された数行の言葉。
それだけで、世間は判断を下した。
コメント欄には、鋭利な言葉がずらりと並んでいた。
「こういう人間がいるから差別がなくならない」
「絶対に許すな。社会的に抹消しろ」
「企業はこの発言をどう捉えてるんだ?なぜ雇い続けていたのか説明しろ」
「身元をもっとはっきりさせるべきだ。反省してるとは思えない」
怒りは正当なものだった。
けれど、その怒りの多くが、“何か”を消費するような速さで、無名の誰かから投げつけられていた。
「この人を叩くと、安心する」
「“こっち側”にいると思える」
そんな“共通意識”が、火をくべていたようにも見えた。
何人かの同僚がコソコソと話していたのが聞こえた。
「ネットで見たよ、あの人、マジで終わったっぽいね」
「“火消し”が遅かったってことだろ。時代だよ」
「でも、あんな発言、普通しないって。内心思ってるってことでしょ?」
言い返せなかった。
その場で反論すれば、俺まで“グレー”に見られる。そう思った時点で、自分もまた、彼らと変わらない気がした。
午後、デスクでメールを書きながら、ふと先輩の姿を思い出した。
たくさんの案件を抱えながらも、後輩の失敗をカバーしてくれた背中。
理不尽なクレームにも頭を下げ、でも最後には「大丈夫だ」と言ってくれた声。
――それでも、その人は「いない方がいい人」になってしまった。
言葉ひとつで。
たった数秒の会話で。
帰り際、ロッカーの前で、別の先輩に声をかけられた。
「おまえ、あの人と仲良かったんだよな?」
「……はい」
「……まぁ、気をつけろよ。いまは“誰が見てるかわからない時代”だからな」
それは忠告だったのか、牽制だったのか。
俺は曖昧に笑って、ロッカーを閉じた。
駅に向かう足が、やけに重かった。
スマホの通知が鳴る。また“例の件”に関するツイートが流れてくる。
今度は、「勤務先の企業」に対する非難が始まっていた。スポンサー名、過去のプレスリリース、公式アカウントへのリプライ爆撃――「企業にも責任を問うべきだ」と、正義の矛先は止まらない。
誰もが怒っていた。
誰もが“許さない”と言っていた。
それが、正しいことのように思えた。けれど、俺にはどうしても、言い切れなかった。
――あの人は、本当に“悪”だったんだろうか。
――あの言葉は、“罪”と呼ばれるほどのものだったんだろうか。
それを言葉にすれば、俺もきっと罵詈を浴びる。
でも、心の奥でずっと叫び続けていた。
――あの人は、俺の尊敬する先輩だったんだ。
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