第5話
週明け、正式な退職が決まったという話を聞いた。
“依願退職”という形だったけれど、誰もそれを信じてはいなかった。
「ああなる前に辞めるって言えば、少しは違ったかもな」
「でもまあ、自業自得だろ。あれだけの発言して、誰か傷つけて、知らなかったじゃ済まされないって」
誰もが正しいことを言っていた。
差別的な発言は、間違いなく罪だ。
言葉には責任があるし、それによって誰かが傷ついたなら、それは取り返しのつかない行為だ。
俺も、それは否定しない。できない。
先輩の発言が録音され、拡散され、多くの人が嫌悪感を覚えたという事実。
けれど、それでも。
あの人が悪意を持って言ったのか、ただ無自覚だったのか、その境界線はあまりに曖昧だった。
それを世間は「知らなかった方が罪深い」と言い、法では裁けない代わりに“声”で裁いた。
先輩は最後に俺にメールを寄こした。
件名はなかった。
本文も、たった一行だけだった。
>「誰かに謝りたいんだけど、誰に謝ればいいのか、もうわからないんだ」
画面を見つめながら、俺は返事を書こうとした。
――けれど、何も書けなかった。
世間の熱はそれから一週間ほどで収束した。
新しい炎上、次の標的が現れ、タイムラインは流れ続ける。
先輩の名前は検索されなくなり、話題にも出なくなった。
でも、俺の中では終わらなかった。
先輩の言葉も、過ちも、それに対する“正義”も、すべてが胸の中に居座り続けた。
差別は、罪だ。
たとえそれが冗談でも、無意識でも、許されることではない。
でも、「罪」であるならば、本来は「法」で裁かれるべきじゃないのか?
社会の道徳が法に先行し、声が罰を上書きする。
それが「今」という時代なのかもしれない。
俺はただ、あの人の“過ち”と“その罰”の重さを、目の前で見てしまった。
それだけだ。
そしてそれは、たぶん一生、忘れられないと思う。
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