輝く夏の日、天使みたいな君と出会った。

綴詩翠

第1話 カラン



強い日差しが降り注ぎ、汗が額を滑り落ちていく。

首にかけているタオルでそれを拭き取るが、足の動きは決して止めない。

黒のリュックサックを背負い、一眼レフカメラを片手に欠片島かけらじま着のフェリーを降りたのが、つい二分前のこと。

そして今は今日からお世話になる宿へ一刻も早く着き、この笑えてすらくる暑さから解放されようと、重たい足を一歩一歩と進めている最中だ。

視線を前髪の向こうの大海原に向ける。

日光を反射し白く輝いている波がダイヤモンドのようで、少し足の運びが軽くなった……気がするようなしないような。

しかし長時間日光を浴びているコンクリートは当然熱を持っており、上からも下からも暑さに挟まれて気が遠くなる。

自分を守るための長めの髪も、今だけは鬱陶しい。

リュックサックだって中には衣服程度のものしか入っていないのに、大量の石ころが入っているかのように重く感じられ、後ろにひっくり返りそうだ。

宿まであとどのくらい足を動かせばいいのかと太陽に尋ねていると、数メートル先に坂が見えてきた。




今からこれっ……登らないといけないのかぁ……




今すぐその場に座り込むか、すぐそこに広がっている海に飛び込んでしまいたい。

でも、欠片島に行こうと決めたのは自分自身であり、またそれは自分自身の目的を果たすためなのだ。

だから諦めてしまってはいけない。

それは本心に変わりないのに、今はそれよりも諦めたいという気持ちの方が大きくなりつつあるため、思考を止めて足を動かすことに神経を注ぐことにした。




そうして汗を流すこと三分。

なんとか坂を登りきり、道は左右の二手に別れた。

宿は確か右手にあったな。

そのことを思い出し、体の向きを九十度右に向け再び歩み始める。

そうして五十メートルほど進んだかと思われる地点で、道の続く先は左へと曲がっていて、目の前には木の看板が現れた。

そこには、



『この先すぐ

宿 海の里あり』



と、筆で書いたであろう太く黒い文字が並んでいた。

海の里。

それこそ俺が到着を切望する宿である。

やっと休めるのかと思うと同時に、暑さと疲れに我慢しきれずつい荷物を下ろしてしまった。

体がフッと軽くなり、安心と嬉しさを胸に顔を上げ、宿の様子を伺うため左を向く。

そんな時だ。

一瞬だけ潮の香りが強くなり、風は涼しさを帯びて風鈴の音と共に去っていく。

俺の瞳に映ったのは。




「ふふん〜……ふんっふふ〜♪……」


「っ……」




ラムネ瓶を片手に鼻歌を歌う、


天使みたいな女の子──。




カラン、という瓶とビー玉が触れた涼しげな音が世界に響き、それはまるで恋が始まる音のように思えた。

五メートル先、宿の前のベンチに座っている彼女から目が離せない。

心臓もうるさく音を立てて仕方がない。

それはきっと、彼女の容姿があまりにも美しいから。




長いまつ毛は彼女の瞬きをより魅力的にし、その先に見える大きな瞳はなぜか甘みを感じる向日葵色。

筋の通った鼻に、可愛らしい印象を持たせる小さな口。

唇には艶があり、血色の良い桃色だ。

緩やかにウェーブしている白髪は先の方がベンチに横たわっており、日光を反射しているせいか絹の光沢のように輝いている。

そして日焼けを知らないほど白い肌に、少しぶつかれば怪我をさせてしまいそうなほど、華奢な体。

身長もあまり高くないだろう。

俺とは三十センチも差がありそうだ。




そんな彼女は今、ふわりと風に揺れる白のシフォンワンピースを身にまとっている。

そして右手をベンチについて、左手でラムネ瓶を持ち、足は地面につかないから無邪気に揺らす。

その様子がなんとも絵になっていて、「お人形さんみたい」というセリフは、正に彼女のような人に向かって言うのだろうと思った。

見惚れてその場に立ち尽くす俺。

時の流れがとても遅く感じられたが、実際に彼女がこちらに気がついたのはそのわずか二秒後。

彼女と目が合う。

すると彼女は口を閉じたまま、花開くように笑った。




「……きれい……」




無意識のうちにそう呟くほど、前髪の隙間から見えた笑顔は“とびきり”で。

俺は余計に目を離せなくなった。

しかし彼女はそんな俺に呆ける暇は与えてくれない。




「おっ、お客さんか、いらっしゃい。どこから来たんだ?」




初めて聞いた彼女の声は予想以上に可愛らしく、口調は想定外のものだった。

人見知りな上に緊張しいな俺は、彼女の問いかけに答えることが出来ず背を丸くする。

興味や好奇心で溢れているあの瞳が眩しすぎて、いつもより余計に。




このまま答えられなかったら、彼女をガッカリさせてしまうだろうか。

あの瞳を濁らせてしまうだろうか。




そう思うと、口が勝手に動いてくれた。




「たっ、立崎たちさきの方から……」

「そうなのか、結構近いところから来たんだな!この島は観光客が多いから、遠くから来る人も多いんだ」




そう、この欠片島は自然が綺麗なことで有名なため、人気観光スポットとしてたくさんの人に訪れられている。

俺がこの島にやってきたのも、その自然をお目当てとしているからだ。

彼女はラムネ瓶を一旦置いて、また尋ねてくる。




「なんでこの島に来たんだ?観光か?にしては荷物が多いようだが」

「あえ、えと……写真撮りに……一泊二日……」




俺は二年ほど前から写真を撮ることを趣味としていて、現在俺の住んでいる町ではフォトコンテストが開催されているのだ。

だから高校一年生の夏休みである今、それに応募するための写真を撮りに欠片島へやってきたのである。

俺は身長が無駄にでかいだけで地味だし根暗だ。

そんな俺には、写真なんて合わないと言われてしまうだろうか。

今までたくさん言われてきたからもうとっくに慣れたつもりでいたけど、なぜか彼女には言われたくないと思い耳を塞ぎたくなる。

それを我慢することには成功したが、代わりに俺は下を向いてしまった。




俺が知っているのは、笑顔の君だけ。

だからそのままでいて、お願いします。

“あの”冷たい目線を、君に向けられたくないんだ……




嫌だ、怖い、とこの数秒で何度呟いたか分からない。

パニックにすらなりかけていた時、彼女は、俺の脳内を埋め尽くす雑念をかっさらっていく漣のような声で言った。




「そうなのか!いい趣味だなぁ、憧れるぞ!」




その一言が、本当に心の底から嬉しくて。

俺はバッと顔を上げて言う。




「!う、うんっ!写真を撮るのは、楽しいよっ。だから、この綺麗な島の写真を撮りたくて……!っあ……」




調子に乗って喋りすぎてしまった。

段々と顔がほてっていき、後悔をする。

でもやっぱり、彼女は満面の笑みを浮かべて。




「アタシこの島のこと大好きなんだっ。だからそうやって言われんの、すげぇ嬉しいっ」




俺と会話をして、彼女が笑っていることがとても嬉しい。

胸が熱くなっていくのを感じていると、彼女は何か閃いたように「そうだ!」と声を上げて。




「アタシ、オススメのスポットたくさん知ってるから、案内してやるよ!」

「え……え!?」




それは俺にとって予想外すぎる言葉で、つい大きな声で驚いてしまう。




「何をそんなに驚いてるんだ?嫌なのか?」




そんなわけないと、思いっきり首を振る。

すると彼女は「じゃあいいな!」と仕切り直し、俺のすぐ目の前までやってきて自己紹介を始めてしまった。




「アタシは美波透羽みなみとわ!透羽でいいぞ、よろしくな!」

「あ、あああの、えっと………です……」

「……?声が小さくて聞こえないぞっ」




か、顔が近い……っ




「い、今井蒼空いまいそらっ、です……」

「そうか蒼空、いい名前だ!じゃあ早速、『秘色の滝』に行くぞ〜!」

「え!?ちょ、ちょっと待っ……」




でも彼女にその声は届いていないようで、俺は小さな手に左手を引っ張られる。




ちっちゃい……って、そうじゃなくて!




「ね、ねぇ、ちょっとっ……〜〜っ透羽!」

「ん?なんだ?」




名前で呼ぶと、透羽はやっと足を止めてくれた。




「流石にちょっと、休ませてっ……このままだと俺、熱中症になるよ……っ」

「おっと、そうだった」




というわけで、荷物も地面に置いたままだったので流石に一度宿へ入ることにした。

そして予約しておいた部屋でアイスクリームなどを食べながら、一時間ほど休憩。

と言っても、透羽がずっと隣にいるから気は休まらなかったけど。




午後三時。

俺と透羽は宿を出て、いよいよ写真を撮りに向かう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る