第41話 目覚めの時

 まさかりの鈍い音が屋根裏から響き、槇村まきむらセイが診療所に飛び降りた。その一撃で、異様な男――“処理者”の片腕が吹き飛ぶ。悲鳴とともに、闇が軋む。

「この男は、“斬る者”じゃない……**“受け継ぐ者”**よ。そこをどきなさい」

 セイの言葉に、武蔵の脳裏に電流が走る。彼の中に眠る何かが、ようやく目覚めかけていた。

――“夢を斬る”とは、己の記憶すら断ち切る覚悟のこと。

 そして、“夢を守る”とは、誰かの絶望すら背負うこと。

 二人の剣と鉞が交わったその瞬間、京の街の上空に、かすかに白い蛇の形をした雲が現れ始めていた。夜明けの兆しは、必ずしも希望ではない。それを知っている者だけが、なお斬り、生き延びる。

 吹き飛ばされた腕から、黒い瘴気が噴き出す。処理者はよろめきながらも、残された右手で細身の刀を構え直した。その顔の焼け爛れた部分が、さらに醜悪に歪む。

「無駄だ……『浄化』は、止まらない……!」

 男が再び突進しようとした、その時。セイが素早く身を翻し、鉞の柄で男の顎を打ち抜いた。脳を揺さぶる一撃に、処理者は体勢を崩し、診療所の壁に叩きつけられる。しかし、その執念は途切れない。

「貴様らも……毒に、侵される……!」

 男が最後の力を振り絞るように、右手を武蔵に向けた。掌に焼き込まれた「浄化」の印が、鈍い光を放つ。その光が武蔵の目に飛び込んだ瞬間、彼の意識は再び揺らぎ始めた。まどろみの中で、佐竹斉の幻影が再び現れる。

「……目を閉じろ、武蔵」

 佐竹の声が響く。だが、それは過去の残響ではない。武蔵は、無意識のうちに瞼を閉じた。

 その刹那、セイは素早く懐から布を取り出した。それは、血と泥で汚れた、使い古された手ぬぐいだった。躊躇なく、セイはその手ぬぐいで武蔵の両目を覆う。

「これは**“目隠しプレイ”**だ。あんたの余計な視覚情報が、覚醒の邪魔をする。内なる声に集中しな」

 セイの言葉に、武蔵の意識は研ぎ澄まされていく。視覚を奪われたことで、聴覚、触覚、そして何よりも、彼自身の内なる感覚が鋭敏になった。処理者の荒い息遣い、血の滴る音、そして――白い蛇のような、うねる影の気配。

「来い、武蔵。お前は斬るんじゃない。受け継ぐんだ」

 セイの声が、彼の耳朶を打つ。武蔵は、包帯を巻いた右腕をゆっくりと上げた。足元には、先ほど拾い上げた鉗子。彼はそれを強く握りしめた。

「目を開けずとも、見えている。……お前の中の『毒』が」

 武蔵の言葉は、以前とは全く違う響きを持っていた。それは、迷いなく、まるで確信に満ちた声だった。処理者の体が、目に見えない力に捕らえられたかのように、痙攣し始める。

「馬鹿な……『浄化』が、なぜ……!」

 処理者は苦悶の声を上げた。武蔵の目隠しの下で、彼の瞳が、かすかに光を放っている。それは、佐竹斉の幻影が見せた炎とは違う、冷たく、しかし確かな、意志の光だった。

 セイは、満足げに口元を歪ませた。彼女の鉞は、既に次の獲物を狙って構えられている。

「『浄化』なんて生温い。武蔵は、お前自身の『夢』を喰らう。そして、その絶望ごと、背負うのさ」

 処理者の体から、毒々しい黒い煙が立ち上り、白い蛇のような影が顕現する。それは、これまでよりもはるかに大きく、そして明確な形をしていた。武蔵は、目隠しをしたまま、その影に向かって鉗子を突き出した。

 斬るのではない。受け継ぐ。

その意味を、武蔵は今、理解し始めていた。


 終わらない朝

 武蔵が鉗子を突き出した瞬間、白い蛇の形をした影は、まるで吸い込まれるかのように彼の体に流れ込んだ。処理者の体は急速に萎縮し、焼け爛れた顔はさらに深くえぐれる。最後は、乾いた音を立てて崩れ落ち、診療所の床に黒い灰となって散らばった。

「ぐっ……!」

 武蔵は膝をつき、呻いた。目隠しの下で、彼の額には脂汗がにじむ。その体には、蛇の影がもたらした膨大な情報と、どす黒い感情が奔流のように押し寄せ、彼の精神を揺さぶっていた。それは、まるで不特定多数の「夢」と「毒」を強制的に受け入れさせられているような感覚だった。

「これで終わりじゃない」

 セイは、冷徹な声で言った。彼女は、瓦礫と化した窓の外に目を向ける。そこには、朝日に照らされ始めた京の街並みが広がっているはずだが、セイの瞳には、さらに多くの“処理者”の影が蠢いているのが見えていた。

「あのバカがやられたってんで、仲間がわんさと集まってきやがった。まさにリンチだな」

 セイは、口元を皮肉げに歪ませた。彼女の言葉通り、遠くから複数の足音が近づいてくるのが聞こえる。窓ガラスの破片を踏みつける音、そして異様な唸り声。

 武蔵は、目隠しをしたまま顔を上げ、浅い呼吸を繰り返す。彼の右腕から、かすかに白い光が漏れ始めていた。それは、蛇の影を受け継いだことによる変化なのか、あるいは彼の内に眠っていた力が覚醒した証なのか。

「立てるか、武蔵。『夢を喰う者』の洗礼は、今からが本番だ」

 セイは、鉞を構え直した。彼女の顔には、疲労の色が浮かんでいるものの、その瞳には諦めがなかった。彼女は、武蔵の覚醒が、この終わりの見えない戦いにおいて唯一の希望であることを知っていた。

「……ああ」

 武蔵は、静かに答えた。彼の声は、まだ苦しげではあったが、その奥には確かな決意が宿っている。彼は、目隠しをしたまま立ち上がった。彼の背後から、白い蛇の形をした力が、まるで守護者のように彼の体を包み込んでいるかのように見えた。

 武蔵とセイは、迫りくる“処理者”たちとどのように戦うのでしょうか? そして、武蔵の体に宿った「白い蛇の力」は、一体どのような役割を果たすことになるのでしょう?

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