第13話 自身番屋

 江戸時代・寛政の末――深川の外れ、夜の番屋にて。


 松明の火がかすかに揺れていた。冷たい風が水路を渡り、下町の闇にしんと染み入る。ここは、町方の治安を預かる自身番屋――いわば町の自警団の詰所である。


 番屋の片隅に、一人の女が座していた。


 かえで――  男装の太刀使いでありながら、誰ひとり斬ったことがないと噂される、異端の「剣番」であった。


 「……また、不可解な“うつけ者”が出たそうですね」


 煙管をくゆらせながら語ったのは、年配の同心・鵜飼うかい。夜の帳の中、番屋に戻った楓を待ち受けていた。


 「日本橋の古道具屋にて、眠るように死んでいた男がひとり。枕元には……」


 「木彫りの童子像」


 楓は静かに言葉を継いだ。


 「……笑みを浮かべ、枕を抱えていたのでしょう。十年前と同じです」


 鵜飼は目を細めた。


 「やはり“夢の呪い”か……」


 それは、町に密かに伝わる“噂”だった。  眠りについた者が、夢に囚われたまま二度と目を覚まさなくなる。その傍らには決まって、同じ木彫りの童子像が置かれていたという。


 楓は、床に置かれた一つの木箱を開いた。


 中には、白鞘の太刀と、和紙に書かれた一枚の文。


 > 「夢を守る者、枕を返せ。  > 鎖の源は、番屋の奥にある“記録”の中に」


 これは、楓のかつての師――浪人・**秋津左馬介あきつさまのすけ**が遺した文書だった。



---


◆ 番屋の地下


 楓と鵜飼は、蝋燭を手に番屋の地下蔵へと向かう。


 「ここには、かつて取り潰された寺院や異国由来の“禁書”も保管されております」


 鵜飼が案内した先に、一冊の異様な記録帳があった。墨でびっしりと綴られたその文には、こう記されていた。


 > 「寛永の頃、都市の“眠り”を鎮めるため、童子像に“夢を吸わせる”法が考案された。  > しかし、その像が力を持ちすぎた時――夢に囚われた者は、己の想いを鎖に変えて他人を縛るようになる」


 「……それが、“呪い”か」


 楓は静かに白鞘の太刀を手に取った。


 「ならば、私は“斬らずして断つ”。夢に絡みついた鎖を、心で断ち切る」



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◆ その夜・夢の中


 楓は、自ら童子像の前で眠りについた。


 夢の中。そこは、江戸の町が歪み、闇に沈んだような場所だった。黒い煙のようなものが、人々の顔を覆い、耳元で呻き声が響く。


 ――「夢など、何になる……守っても砕けるだけ……」


 そこにいたのは、かつての秋津左馬介。


 「師よ……あなたも、夢を喰われたのですね」


 左馬介の姿は苦悩に満ちていた。だが、その腕に絡むのは、五つの鎖――それは彼がかつて守ろうとした者たちの“未練”であった。


 楓は太刀を抜いた。白鞘の太刀――それは、誰の命も奪わぬ剣。


 「夢は、砕けることもある。だが、それでも――人は、夢を持って生きるべきだ」


 静かに太刀を振るう。


 剣先が鎖を裂いた瞬間、夢の世界がゆっくりとほどけていった。



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◆ 夜明けの番屋


 楓は目を覚ました。


 傍らには、木彫りの童子像。だが、その表情は以前よりも柔らかくなっていた。


 「師は……ようやく、夢から解き放たれましたか」


 鵜飼が微かにうなずいた。


 「楓。斬らぬ剣、確かに見届けましたぞ」


 楓はそっと像を木箱に戻し、空を見上げた。


 朝の陽が、静かに深川の水面に差し始めていた。





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