第14話 闇医者

 その男――名を名乗ろうとしたが、すぐに思い出せないようだった。


 「……すまない。名前が……思い出せないんだ。ただ……“ともり”という言葉だけが、頭の中で響いている」


 葵は彼を「灯」と仮に呼ぶことにした。


 病室に日の光が差し込む中、彼の手首にかすかに痣のようなものが浮かんでいるのに気づいた。五重の環が連なった痕――まるで、鎖に縛られていたかのように。


 「都市の呪い……」


 その言葉が、再び葵の中でざわめいた。


 そして、数日後。


 葵の病院に、一人の男が現れた。黒いロングコートに、サングラス。肩には古ぼけた鞄を提げ、名乗ることなく「灯という患者に会いたい」と受付に申し出た。


 病院の規則では断るべきだったが、男の佇まいには、どこか異質な威圧感があった。


 葵が警戒しながら応対に出ると、男は静かに言った。


 「彼は“鎖医師”に狙われている。命を繋ぎ止めた君には敬意を払うが、放っておけば、また呪いが始まる」


 「……鎖医師?」


 「この国の裏側には、“命を斬る医者”がいる。法の外で、金のために死を売り、呪いを編む連中だ」


 そう語る男の名は、玖堂くどう眞一しんいち


 表の医師免許を持たぬ、“闇医者”として都市の闇を巡る謎の男だった。


 「俺の目的は、灯ではない。だが、彼を追う“鎖医師”たちが、今度は君を狙う」


 「……私を?」


 「“夢を守る者”には、必ず試練が訪れる。だが、覚えておけ。呪いを解く力は、君自身の中にある」


 玖堂はそれだけを告げると、灯に向かって一礼し、病院を去った。


 ◆


 その夜、病院の非常階段から侵入者が現れた。


 防犯カメラには映らない、まるで影のような動き。巡回の看護師が倒れ、灯の病室が荒らされた。


 しかし、そこに灯の姿はなかった。


 ――葵が、事前に彼を地下の倉庫に移していたのだ。


 「……来たわね、“鎖の使い手”」


 倉庫の入り口に立つ葵の手には、かつて楓が所持していたという白鞘の太刀。刀ではなく、心を映す“象徴”として、代々伝わる品だった。


 侵入者の正体は、かつて医師だった男。名前は羽咲うさき理巳さとみ。かつて理想を持ちながらも、腐敗した医療体制に絶望し、“呪いの医療”へと堕ちた者。


 「夢など守ってどうする。人間は苦しむために生まれたのだ。俺は、その苦しみを“効率的”に終わらせる方法を選んだだけ」


 「あなたは医師ではない。ただの処刑人よ」


 葵の言葉に、羽咲は嗤う。


 「ならば証明してみろ。命を救う力が、呪いを超えると!」


 ◆


 激しい格闘の末、葵は羽咲の注射器を奪い、彼の腕に突き立てた。


 「これは……私が灯のために調合した解毒剤。あなたにも“夢”があったなら、少しは作用するはずよ」


 羽咲は苦しみながら崩れ落ち、そのまま気を失った。


 灯は無事だった。


 そしてその翌日、玖堂が再び病院を訪れ、静かに言った。


 「君は、闇医者の世界に踏み込んだ。引き返すことは、もうできない」


 「それでも……私は進む。誰かの“夢”を、守るために」


 葵の胸には、木彫りの像が今も揺れていた。


 かつての楓のように、“斬らぬ剣”で、この都市の鎖に立ち向かうために――。


 

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