第12話 受け継がれる伝説
平成七年(1995年)、神奈川県相模原市――。
白衣を身に纏った女医、**
彼女の名には、遠い祖の名が込められていた。かつて“斬らぬ剣”を貫いた伝説の女剣士――楓。その生き様は、代々家に語り継がれ、葵の中にも受け継がれていた。
だが、この平成の世は、斬らねばならぬ現実に満ちている。医師として、命を救う日々の中で、何度も心を斬り裂かれる思いをした。
1月17日、阪神・淡路大震災。
3月20日、地下鉄サリン事件。
「この世の“呪い”は、形を変えただけ……」
彼女の小さな診察室には、ひとつの奇妙な品が飾られていた。
――小さな木彫りの像。笑みを浮かべ、枕を抱える異形の童子。
それは、葵が大学生の頃、祖母の遺品整理中に出会ったものだった。木箱の中に収められていた像と、共に添えられた一枚の古びた和紙。
> 「斬らぬ剣士の子らへ。
> 夢を守り、命を守れ。
> 鎖は今なお、都市に満ちる」
最初はただの昔話と片付けていた。だが、阪神で出会った瓦礫の中の少女の瞳、東京で対峙した毒ガスで苦しむ人々――その光景が、彼女の中で像と重なり始める。
“夢を守る者”。
その言葉が、葵の心を突き動かしていた。
◆
その日の夜――。
彼女の病院に、ある不可解な急患が運び込まれた。
年齢不詳の男性。意識は朦朧とし、身元は不明。所持品もなく、ただ一つ、襟に不思議な家紋が縫い込まれていた。
――五つの鎖が円を成す紋。
葵は、それを見た瞬間、何か胸の奥で“記憶のような感覚”が弾けるのを感じた。
「……この人は、呪いを背負っている」
検査を進めるうちに、原因不明の神経症状と幻覚が現れ始めた。まるで何か“見えないもの”に縛られているようだった。
「鎖……都市に潜む、目に見えない呪い」
そして、男が意識の合間に呟いた言葉。
「……枕……返された……夢が……」
◆
葵は決断する。
薬でも、手術でもない、“別の方法”でこの男を解放しなければならないと。祖母が語った伝承。さらにその祖、楓の遺した文。
――「呪は、人の手で編まれ、人の心で解かれる」
葵は男の枕元に木彫りの像を置き、病室に香を焚き、かすかな音楽を流した。医療ではなく、“心の場”を整えるための儀式。
「あなたの中の鎖は、あなた自身の夢を守ろうとしたがゆえのもの。どうか、ほどけてほしい……」
その夜、葵は彼の傍で眠りについた。
そして、夢の中で――
彼女は、剣を持った一人の女に出会った。
山の中、杉の葉がざわめく中で、女は振り返った。
白鞘の太刀、静かな瞳。
それは、かつての楓。
「……斬らぬ剣は、今も受け継がれておる」
「鎖を解く者よ、恐れず進め。夢を守ることこそ、己を守る道」
◆
翌朝、男の容体は安定し、目を開けた。
「……ありがとう。あの夢の中で、誰かが……鎖をほどいてくれた」
葵は微笑んだ。白衣の中の胸元で、そっと木彫りの像が揺れていた。
その微笑は、かつて山の祠にいた童子の笑みに、どこかよく似ていた。
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