『起きて半畳、寝て一畳』 その①

 『邪魔』だな。

 その女は思った。

 この街、マグナリアを巡回する列車に、彼女は座っていたのだが、どうにも目の前で立つ男が『邪魔』に思えて仕方がなかった。

 理由はよくわからない。男に遮られた窓の外の景色を観たかったのか、男の何かが気に食わないのか、ともかく彼女にとって男は『邪魔』な存在だった。


「『邪魔』……」


 女はぼそりとそう呟いた。


「? 何か言いまし――」


 言い終わらないうちに、男が消えた。

 一瞬のことすぎて騒ぎにはならなかった。

 だが、ドン、と列車の天井から音がした。その原因を特定するために列車が止まって初めて人々はざわざわとし始めたのだった。

 そのざわめきに紛れ、女は姿を消した。


■■■■


「これが……人間、ですか」


 目の前のそれを見て、私は呟いた。


「そうなんだよ。何度やっても、誰が調べても、そういう分析結果になるんだよなぁ、まったく」


 責任者は苛立ちを隠さずにそう言った。

 今、私と付き添いの祓魔師エクソシストは、マグナリアの各所を巡回している『マグナリア市電』の南西線の列車に来ている。

 現在この路線は止まっており、その原因の探求に我々祓魔師が呼ばれたのである。

 何故、祓魔師なのだろうか。警備隊の仕事ではなかろうかと私は思った。

 しかし、『マグナリア市電』南西線責任者に状況説明を聞かされ、そして見せられた、列車の上に降りかかってきたという大きな土塊に、我々が呼ばれた理由はあった。

 曰く、探知魔法や探知機を使って解析した結果、それは人間であるのだと提示された。

 事件性の有無もわからないこの異常な有様。奇怪な事件を取り扱う祓魔師に、白羽の矢が立ったのは道理だなと私はようやく得心が行った。


「人間の死体にはとても見えませんね」


 私は率直な感想を述べた。


「ばぁか違うよ」


 すると付き添いの祓魔師であるジーン・フォッグズは煙草の煙を私に向かって吐きながら言った。

 彼は背の高い針金のような金髪(地毛ではないようで、プリンのようになっている)の人間で、同じように細い目つきを持っている。その目つきでこちらを上から覗き込むように睨んできた。

 煙を払い、私は文句の一つでも言ってやろうとしたが。


「その兄さんの言う通りさ。君、新人さんだね? 話は正確に聞いといたほうがいいよ」


 祓魔師でも私の庇護者でもない市電の責任者に、私は諭された。


「へぇ?」


「俺は死んだ人間なんて一言も言ってない。この土はまだ生きている人間なんだよ」


■■■■


 『邪魔』だな。

 女は思った。

 目の前の女性の歩くルートが、こちらの歩くルートと重なっていた。

 女はそれを躱そうと、やや右に動こうとした。

 しかし、目の前の女性も同じことを思ったようで、女と同じ方向に避けようとしていた。

 それを察知した女は今度は左に避けようとした。すると女性も同じ方向に。

 それを何回か繰り返してしまい、両者は左右に小刻みに動きながら進行を停止してしまった。

 目の前の女性はムッと眉間に皺を寄せ、大幅に右に避け、通り過ぎて行った。


「『邪魔』」


 女はそう呟いた。

 すると、背後の女性が消えた。

 その瞬間を意識的にとらえている者はおらず、その消失に驚く者はいなかった。

 ただ、後から降って来た一つの土塊に驚く者は多数いた。

 しかし、その時には女は現場から姿を消していた。


■■■■


「しかし、この生きている人間の気配が感じ取れないとは、ゲイリーはずいぶん鈍ちんなんだなぁ」


 マグナリア教会祓魔師部署の検査室に土塊を運び込んで、ジーンは言う。袋に包まれた土塊は、床に置かれた。

 まだそれほど親しくもなっていないのに彼は私のことを愛称で呼んでくる。

 そして、呆れたように言うその態度に、私は苛立ちを覚えた。


「私は、まだ現場に出たことないんです。わからなくても当然だと思いますが?」


「ばぁか、お前この前転職の加護受けた時に、ある程度能力のパラメータ変わってんだよ。これくらいの察知能力は祓魔師にとっちゃあ基礎中の基礎なの」


 そうなのだろうか。しかし、私はこの土塊から何か特別なもの感じ取ることはできなかった。

 鈍い、のだろうか。


「心配することはありませんよ。個人差はありますし、鍛えることも可能です。今後、頑張っていきましょう」


 解剖室にまた一人、人物が現れる。それは私にサングラスを授けてくれた女性だった。

 名は、エイラタン・フファソー。刺々しいジーンとは対照的に、私よりも背が低く、ブロンドの髪を後ろで纏めている大人しいイメージの女性だ。

 しかし、特徴的なのは、目であった。彼女の瞳孔は横に長く、山羊や羊を想起させる。

 そんな彼女が、マグナリア教会祓魔師部署の部長なのであった。

 彼女は袋を解いて中を覗き込んだ。


「ふむ、土塊ですか」


「そうでさぁ。これは人体の腐敗を通り越して、一気に土に還っちまった結果の土塊だと睨んでるんですが、どうでしょう」


「その通りですね。すぐに時間超流タイム・ボルテックスを監視しましょう。今回の悪魔は比較的察知しやすいですね。助かります」


「じゃあレーダーをオンにしてきやす」


 私を抜きに話が進んでいく。

 ジーンは二階に行き、エイラタンはその場で少し考え込んでいた。

 配属されて初の任務であり、まだ何も教わっていないので当然と言えば当然なのだが、疎外感と悔しさと焦りを感じる。


「あ、ゲルニックさんはその方を台の上に寝かせてください。この後検査しますんで」


 そうだった。土塊とはいえ生きている人間、それを床に置いておくのは失礼な行為であるとようやく気が付いた。

 冷たい鉄でできたベッドが部屋の中心にあり、それを囲むように様々な器具が並んでいる。

 人としてのていをギリギリ成しているのか一固まりになっている土塊に触れた。

 その時であった。私が意識を手放したのは――

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