ゲルニックの稀覯本

サドル・ドーナツ

『煌めきの中に』

 この手記に書かれていることは私の実体験だ。つまり全て真実である。

 これが真実だということ自体が、名状しがたい恐怖に値することだ。

 本来であれば、誰もがそれを知るべきことではない。

 それに読者諸君を巻き込むのは、私のエゴだと自覚している。

 だが、一人でも多く、これを知る仲間がいると思わなければ、私は狂気に苛まれてしまうだろう。

 どうか、私の正気のために、君達にも知ってほしい。

 この世の隠匿された理を。

 そして理の外からやってくる者のことを――


■■■■


 光に目が眩む、なんてことは誰にも起こることだ。太陽の光、電灯、部屋の明かりなど、生活の中にはいろんな光が溢れていて、そこに目を向けてしまうなんてことは多々ある。

 しかし、どうやら私の場合は普通ではないらしい。最近、光に目が眩むと、時間が飛んでしまうのだ。

 どういうことかというと、目が眩んだ瞬間に私は気を失い、しばらくして目が覚めるようなのだ。その「しばらく」は十数分から数時間にまで及ぶ。

 不思議なのは、その間の私はどうやら普通の動作をしているということだった。周りに聞くと、気を失っているはずの私に対して違和感を持つ者は誰一人としていなかった。

 私が気を失っているという事実は傍目からは観測できていないのだった。


「これは一体どういうことなのだろうか……私は夢遊病にでも罹ってしまったのだろうか」


 私は、いつしかその意識が無いはずの私に対して恐怖を覚えていた。

 日常の僅かな隙間に潜りこんできた得体のしれない意識が、やがては日常そのものを蝕んでいくのではないか。言いようのない不安が、色濃く浮かんできた。

 それから私の、気を失っている時間はどんどんと長くなっているような気がした。

 じわじわと、十数分が数十分へ、数時間が十数時間に。うっかり目が眩むと、一日の内、私が私でなくなる時間の方が多くなっていた。

 圧倒的な喪失感。私の日常が削られていく。

 しかし、教会に行っても異常は見つからない。非常に健康であるということだけが判明するだけだった。


「夢遊病ではない……ならばもう私に悪魔が憑いてしまったとしか考えられない」


 突拍子もない考えではあったが、そうとしか思えなかった。悪魔が私の体を乗っ取ろうとしている、と。

 正気では辿り着かない考えだとは思ったが、もはや正気ではいられない段階まで来ていたのだ。

 だが、私は狂気のままそれを誰かに吹聴することはしなかった。私は静かに誰にも知られずに一つ実験をしてみることにした。

 実験は非常に簡単なものだった。わざと光を見て、その様子をカメラという装置を使って映像として記録する、ただそれだけであった。


「あぁ……頼む、これだけが、最後の望みなんだ」


 決定的瞬間が映っていてほしいのか、はたまた何も映っていてほしくないのか、最早判別がつかなかったが、とにかく私はこれをすることで救われたかった。

 カメラを目立たない場所にセットする。そして光に目を向けて、私は意識を手放した。


「……はっ!」


 その瞬間から、少しだけ時間が経つと、私は意識を取り戻した。


「かなり早い……そうだ、映像は!?」


 私はカメラを隠し場所から取り出した。録画を止め、記録された映像を再生してみる。

 内蔵された画面に、部屋の様子が浮かび上がる。そこには私が立っている。

 私が部屋の明かりに目を向けた。するとその時である。


「なっ!」


 光源に私の体が吸い込まれていく。小さな一点に向かって回転し、縮まり、見えなくなってしまった。

 そして光源からさっきとは逆で、ある一点から大きくなりながら、何者かが出現した。

 私だ。どこからどう見ても私だった。

 しかし、その私は焦ったようにカメラの隠し場所に駆け寄る。

 まずい。バレていた。このままではカメラを壊されてしまう。

 だが、そんなはずはない。現に録画は成功しているのだから。


「くそっ! くそっ!」


 その私は鬼のような形相でカメラに向かって殴りかかる。だが、見えない何かで弾かれるようで、カメラには触れられないようだ。


「『異世界転生者フォーリナー』の加護を受けた機械か! 我輩はこの世界の物しか触れられぬというのに!」


 その言葉からは滾る怒りと深い憎しみが滲み出ている。彼はどうやら、何かしらに失敗したようだ。


「……勝ったと思うなよ人間! 我輩はひと時も目を離さぬ! 次に光に目が眩んだ時、貴様の全てを破壊してやる!」


 声が、私のものからかけ離れていく。低くしゃがれた、まるで地獄の底から湧き上がってくるような声だった。

 どろり、と私の形が崩れた。それが真の姿を現す。

 泥のようにあぶくを浮かべる表皮、それぞれが醜く歪んだ顔のパーツは、位置が定まらず、常に流動していた。

 四肢が、どろどろと形を失い、それは一つの醜い楕円の肉塊になった。

 この世のものとは思えない、不定形を見て、私は吐き気を催した。


「絶対にだ!」


 彼はそう言ってまた光の向こうへと消えていった。

 私の体が、戻ってくる。目を覚ますと私はカメラに駆け寄り、録画を止めた。以上がカメラの録画した映像であった。

 私は慌てて目を逸らしながら部屋の明かりを消そうとした。だが、明暗の差でこそ目は眩むのではないか、そう思い至ってやめた。

 私は下を向きながら、外へ出た。

 今すぐ、教会に行かなければ

 心臓が破裂しそうだ。もしも強い光が目に当たったらお終いだ。

 今は昼。夜に教会へと行こうとも思ったが、それも先ほどと同じく明暗の差が出やすいと思い、そのまま決行することにした。

 太陽に、日の光にさえ目を向けなければ、目が眩むことはない。そう予測を立てた。

 幸い、教会はそう遠くなかった。私は転がり込むように教会に入ると、喚きたてるように助けを乞うた。


「お願いします! 私を! 私を救ってください! 悪魔が! 悪魔が取り憑いてしまったのです!」


 恐怖のあまり私は目を閉じてしまった。それがよくなかった。おかげで次に目を開けるのが恐ろしくなってしまった。

 目を閉じながらも、私は教会の者にカメラを渡し、映像を見せた。

 教会の神父、修道女シスター祓魔師エクソシスト、集まった教会のメンバーが映像を見て侃々諤々議論を交わしている。

 どうやらこの映っている悪魔は相当大きな存在らしく、それに付随する私の存在も含め、処遇をどうするか悩ましい所らしい。

 しばらく話し合いが続いたところで、目を閉じたままの私の顔に何かが取り付けられた。眼鏡のようなものだろうか。


「目を開けて構いませんよ、ゲルニックさん」


 恐る恐る目を開けた。すると、視界は黒く染まっていた。どうやら私が今掛けているのはサングラスのようだ。

 これで光に目が眩むことはなくなるだろう。ただし、一生掛け続けなければならないのだろうが。

 目の前にいたのは、黒衣を纏った落ち着いた理知的そうな女性だった。

 修道女とは違う服装だ。彼女は祓魔師なのだろうか。


「あ、ありがとうございます」


「お礼はいいです。まだ何も解決はしていませんから」


 その言葉に、私はまたパニックに陥りそうだった。確かに、このサングラス以外、何かを施された様子はない。まだ、あの悪魔の気配は色濃い。


「あなたに憑いた悪魔はまだ正体が掴めていません。祓う方法も不明です。故にあなたの身柄をこちらで預かろうと思っています」


「身柄を……預かる?」


「あなたを24時間、教会の祓魔師が常に監視し続けます。もしも悪魔が現れたなら、その瞬間に対応させていただきます」


「そんなことができるんですか?」


「……無料タダで、とは言っていませんよ?」


 女性は少し申し訳なさそうに笑った。


「それはその……金銭で解決できる問題なのでしょうか?」


「いえ。あなたには我々祓魔師のグループに加わってもらいます。そこで悪魔の祓い方を教わってもらいます。ゆくゆくは御自身にもその悪魔祓いに加わってもらいます」


「それで済むのなら……しかし私はしがない小説家です。悪魔祓いなんてできるのでしょうか?」


「悪魔に魅入られるのにはそれなりの理由があります。そしてそれは得てして魔に対する才であったりするものです。まずはそれを見極めていきましょう」


「はい、わかりました」


 納得は、今は二の次だった。悪魔に首根っこを掴まれている私に道はなかった。

 こうして私は祓魔師になることになった。


■■■■


 今回、私はあえて光を見た。

 その決意が、ほんの少しだけ意識を長続きさせていたようだった。

 だから私は確かに見てしまったのだ――光の向こう側を。

 そこは、宇宙だった。

 我々の住む宇宙が、小さく見えた。だが、その外側は決して無ではなかったのだ。

 宇宙は、また同じような形をした別の宇宙に繋がっていた。その宇宙はまた別の宇宙に繋がっていた、またその先にも別の宇宙が――

 まるで蜘蛛の巣のように宇宙は多くの繋がりを連ねていた。

 私はその圧倒的な情報量を前に、徐々に意識を、手放していった。

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