第35話:この都市を売る者、この都市を守る者
港前広場に、ざわめきが戻ってきていた。
偽貨幣騒動が沈静化したのは、つい数日前。加賀谷とレオン・グレイブがギルド幹部を集めて「感知端末」の構造と信頼性を説明したことで、市場の空気はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
──それなのに、今朝からまた商人たちの口が騒がしい。
「端末の反応がおかしいって話だ」
「偽貨幣が、また市場に流れてるのかもしれねぇ」
「感知装置だって、言ってみりゃ魔導の玩具だろ?」
市場の片隅で交わされるそんな声を、ミロは固く口を結んだまま聞いていた。
「……れいしゃちょー」
「……ああ。やるしかないな」
加賀谷零は、ゆっくりと頷いた。
「ヴィー。検証用の端末、準備できるか?」
「はい……いま最終調整に入ってます……たぶん、大丈夫です……!」
肩に乗った動物型の魔導端末──〈ヴィー〉が「キュッ」と鳴いた。
偽札への懸念を払拭するためには、“目に見える証明”が必要だ。
だからこそ、加賀谷は一つの賭けに出る。
「公開鑑定をやる。ここで、白黒はっきりつけよう」
* * *
港前広場の中央、即席の台座が組まれ、十数人の幹部商人と観衆がその周囲に詰めかけていた。
台座に置かれた筒形の端末が、青白い光を淡く放っている。
ミロは震える指先を押さえつけ、装置の前に立った。
広場に面した旧議事堂の一角。午前の鐘が鳴り終えるころには、既に多くの人々が会場を埋めていた。
商人たち、取引所の代表、通貨監査官、そしてギルド幹部たち。誰もが沈黙のまま、壇上の様子を見守っている。
壇上に並んでいたのは、加賀谷とミロ。
その手には、ひとつの装置が握られていた。
――偽札感知端末。見た目は、懐中時計のようなサイズの魔道具。呼び出しボタンにも似た簡素な形だが、構造の複雑さは比類ない。
「この装置は、半径一メートル以内に“真正なルーメ貨”と異なる波長の通貨を感知すると、自動で反応を示します」
加賀谷の説明に、人々がどよめいた。
「……いわば“貨幣の指紋”を読み取る魔導感知です。しかも、この指紋――通貨の内部構造――は、単一ではありません。貨幣ごとに、発行時にランダムで刻まれる“認証符”が存在する」
彼が小さくうなずくと、ミロが手にした装置のスイッチを押す。
机の上には、本物と偽札がそれぞれ数枚ずつ並べられている。
加賀谷がまず一枚目を手に取ると――
ピクリとも反応しない。
「これは本物です」
次に別の銀貨を置く。
刹那。
――ピィイイイイイ……!
澄んだ警告音が鳴り響く。会場に一瞬の静寂が走った。
「偽札です」
もう一枚。本物。沈黙。
またもう一枚。偽札。警告音。
交互に、機械のような正確さで端末は反応し、人々はその精度に徐々に息を呑んでいった。
「では、次の段階です」
加賀谷が声を張る。
「この端末を、主要な取引所および商店に順次配備していきます。すでに複製の手配も進んでいます。問題は“数”でしたが――」
「わ、わたしの魔道記録端末、《ヴィー》が、その記憶をもとに複製配布用のコアを再構成してくれました……た、多分、たぶん……ほぼ……大丈夫ですぅ……」
ミロが小声で補足しながらも、端末を懐から取り出して掲げた。
小動物のような魔導体が、ちょこんと加賀谷の肩に乗り、可愛らしく鳴く。
それが、信用を支える要のシステムだった。
その場にいた者の多くが、納得とともに拍手の波を送り始めたそのとき――
「待てぇい!!」
怒号が会場を割った。
声の主は、ギルド幹部カッセル・グリマードだった。
派手な衣装の裾を揺らしながら、彼は壇上に歩み寄る。
眉をつり上げ、見下ろすように加賀谷を睨んだ。
「この端末が“絶対”だと、どうして言い切れる!? 逆に、お前らが仕込んだ魔導で、本物を偽物に見せかけてる可能性はないのか!?」
商人たちの一部がどよめく。
動揺の芽が、会場を一瞬撫でる。
加賀谷は、ほんの一拍だけ沈黙した。
だが、次の瞬間には――
「おっしゃる通りです、カッセル殿。公開でなければ意味がありません」
そう言って、加賀谷は端末と貨幣の“実証”を求めて数人の立会人を呼び寄せた。
監査官、公会の筆頭事務官、さらには帝国からの中立派監視員までもが呼ばれ、その場で再度の“公開鑑定”が始まる。
――全てが、真実だった。
機械的に、本物は沈黙し、偽物は鳴り響いた。
「これ以上、偽札が流通するなどとおっしゃるならば、先に申し上げましょう」
加賀谷が一歩踏み出す。
「もう流通しません。なぜなら、その根を絶ったからです」
彼が手を振ると、周囲から数名の衛兵が進み出る。
ひとりが布に包まれた荷を運び出し、その包みを開いた。
中に入っていたのは――
偽札と同じ素材で作られた“鋳型”、それに“記録紙”。
鋳型の縁には、特有の“欠け”があった。
「これは、押収した鋳型と、作成記録です。どの偽札が、どの鋳型で作られたか――ここにある欠けで、すべて照合可能です」
彼は一枚の銀貨を持ち上げ、欠けに重ねる。ピタリと一致した。
そして、加賀谷が静かに言った。
「この偽貨幣の出どころ、そして鋳型の由来――すべてが示す先は、ひとつしかありません」
彼はゆっくりと視線を向ける。
「……カッセル・グリマード。貴殿の名前です」
会場が、震えた。
カッセルは一歩、後退する。
「ば、馬鹿な……これは……仕組まれた罠だ! 貴様らが……!」
「罠など必要ありません。証拠が、全てを語っています」
加賀谷の目は冷静だった。
衛兵たちが動き、カッセルの身柄を拘束する。
「私は、この都市の信用を、命を懸けて守るつもりです。どんな手でも使う。その覚悟がなければ、この都市を任される資格はない」
加賀谷は静かに宣言した。
その言葉は、雷鳴のように響いた。
* * *
しかし、拘束されながらもカッセル・グリマードは笑った。唇を震わせることなく、目だけが静かに笑っていた。
「……見事だよ、カガヤ殿。証拠を揃え、場も整え、あまつさえ俺の“言質”まで引き出した。完璧だ」
周囲の衛兵が警戒を強める中、カッセルはなおも飄々と続けた。
「だが――勝負はまだ終わっちゃいない」
その瞬間、広場の外縁、物陰から数人の黒装束の男たちが飛び出した。
光を反射しない短剣、無音の足運び。明らかに民間の傭兵とは異なる動き。──暗殺者だ。
その標的は、中心に立つミロ。
会場にいた人々がざわめき、衛兵が一斉に動こうとした、その刹那──。
「……すでに“対処”済みだ」
加賀谷の声は低かったが、確信に満ちていた。
その言葉と同時に、屋根の上、そして背後の路地から風が駆け抜けた。
ドン、と何かが倒れる音。
立っていたはずの刺客が、一人、また一人と崩れるように地に伏していく。
剣を抜く間すらなかった。
抵抗も叫びもなかった。
そして最後に、静かに姿を現したのは──風をまとうような漆黒の影。
「……始末完了。反撃の芽、すでに摘み取りました」
それは、ヴァルドの右腕。
“武”を誇る者、ランカ・バルザの声だった。
その登場に、加賀谷もわずかに目を細めるが、驚きはなかった。
すべては、想定通り。
――いや、もしかすると彼の予測以上に、ヴァルドが先を読んでいたというべきか。
カッセルの顔が初めて強張る。
「……っ、馬鹿な……! あの連中は帝国──いや、外からの──!」
「それ以上は言わない方がいい。墓穴を掘るぞ」
加賀谷が淡々と遮る。
「あなたの負けだ、カッセル。公開の場で証拠を突きつけられ、策も潰された。あとは法に従って裁きを受けてもらう」
そして静かに一言、付け加える。
「……それが、“商人”という職の末路でないことを、私は願っている」
その言葉に、カッセルは何も返せなかった。
──静寂が、広場を包んだ。
◆あとがき◆
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