第36話:追撃と啖呵
交易広場には、ようやく穏やかな空気が戻っていた。
感知装置の青い灯が、石畳にさざ波のような光を落とす。行商人たちは慎重に足を運び、民衆はそれを眺めながら、小さくも確かな安堵を取り戻しつつある。
ミロ・クレインは工房の窓辺に立ち、外を見下ろしていた。
「……やっと、ですね」
彼女の手の中では、試作段階の新端末が静かに灯っている。
その声に、背後から加賀谷零が応じた。
「君がいたから間に合った。あの騒ぎで信用を失っていたら、都市の根っこごと腐っていた」
ミロは恥ずかしげに頷き、小さく「はい……」とだけ返す。
だが加賀谷はすでに視線を窓の外へ向けていた。
馬車が一台、自由都市の南門へと向かっている。帝国からの使者──今回の騒動を“末端の過ち”と総括し、無傷で帰還するつもりだ。
「……ランカ」
その名を呼ぶと、入り口の影からひとりの男が現れた。
黒衣に身を包み、髪を後ろで束ねた、鋭い眼の男──ランカ・バルザ。
「さっき南門を抜けた。使者だな?」
「ああ。……背中を見送るだけじゃ、収まらない」
「追うか?」
「一言だけ言っておく」
加賀谷は短く告げ、コートを羽織った。
***
帝国使者の馬車が、静かに城門へと進もうとした、その前に。
黒馬の蹄が一つ、地を鳴らした。
加賀谷零が、道をふさぐように立っていた。
その背後には、長身の男──ランカ・バルザ。
帝国使者は片眉をわずかに上げ、ため息のように言った。
「……道を、開けてくれますかな、大公殿」
加賀谷は応じず、じっとその顔を見つめた。
目に宿るのは静かな怒気と、確かな意志。
「今回の件について、貴国の見解を伺いたい」
使者は馬車からゆっくりと降りると、形式ばかりの礼を取った。
「ご存じかと思いますが、既に帝国の内では調査が済んでおります。
本件はあくまで、商務局末端の独断による暴走──陛下のご意思ではありません」
加賀谷は静かに聞いていた。
「帝国は当該部局への粛清を進めており、必要であれば制裁も行う構えです」
そこで一拍、声を落とす。
「これにて矛をお収めいただければ……我らとしても、恩義に感じるところです」
加賀谷は、手綱をわずかに引き締めた。
「──想定の範囲内だ。だが、それで済ませられると思っているのなら、大間違いだ」
使者の眉がわずかに動いた。
「“末端の判断”なら筋は通る。だがな、その末端が、
偽造貨幣を流し、他国の制度をかき乱し、基軸通貨の信用を自ら壊したんだ」
「帝国は大国です。いずれ、こうした歪みも──」
「“正す”のが誰かによる」
加賀谷は一歩、馬を前へ進める。
「信用はな、制度じゃない。“誰がやるか”で決まる。
次も“末端の仕業”と言うつもりなら、世界はお前たちを信用しない」
使者は無言のまま、その目だけをわずかに細めた。
「もし次があれば、南も北も帝国との取引を控えるだろう。
“巨大な国家”が“孤立”する構図だ。……そのとき、お前たちにいくらの値がつくか」
加賀谷は皮肉げに、馬上から視線を落とす。
「──そのときはこちらでオークションでも開こうか。買い手がいれば、の話だがな」
沈黙。
空気の温度がわずかに下がる中、使者はほんの一瞬だけ、口元を引きつらせ、黙って馬車へ戻った。
***
空が白み始めていた。
まだ冷えの残る早朝の空気の中、加賀谷の隣にランカの馬が並ぶ。
「よく言ったじゃねぇか、旦那。胸のすく啖呵だったぜ」
「……火種が消えたとは思ってない」
「そりゃそうだ。けどな、“簡単にはいかねぇ”って思わせるだけで十分だ。今のあいつらにゃ、それだけで効く」
「帝国が、こっちを“まだ戦える相手”だと錯覚してるうちに……打てる手を打つだけだ」
「囲い込むんだろ? 牙を抜くには、まず自分の爪を見せるってか」
「ああ。 ブラフでいい。牙があると思わせとけば、それで十分だ」
しばし、風が二人の間を吹き抜ける。
「……正直な話、ああいうの、もう二度とやりたくねぇんだよ」
加賀谷がぽつりとこぼした。
「はは、らしくねぇな。お偉いさんのくせに、胃が痛くなるタチか?」
「虚勢張って、駆け引きして、肝が冷えるのに笑ってるフリするのは……向いてないんだよ、俺は」
そう言って、加賀谷は前を向いたまま、笑わなかった。
東の空が白み、自由都市の石畳を朝日が照らし始めていた。
◆あとがき◆
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