第33話:貨幣を蝕む毒牙

 黎明の光が、ヴェステラの尖塔群を静かに照らしていた。

 魔導転送路が交差し、共通通貨ルーメが流通するこの自由都市は、今や交易の中心地として日々拡張を続けている。

 各国の商人、技術者、外交使節が入り交じるこの街は、まさに公国が構想する“国際ハブ”の実験場だった。


 ……だが、その構造はまだ脆い。


 中央庁舎の一室で、加賀谷零は分厚い報告書の山を前に眉間を押さえていた。

 封印術式を模した精巧な偽札。信用を揺るがす小さな“ほころび”が、経済圏全体を瓦解させる可能性すらある。

 働き詰めの日々の理由は、まさにその対処と検証だった。


 ノックの音が静かに響いた。


「加賀谷閣下、ご報告をお持ちしました」


 姿を見せたのは、ライズ・ヴォーグ。

 帝国軍術式技術課出身で、現在はヴァルド・レヴァンティスの私設調査官として動いている。


「……レヴァンティス公からか。通せ」


 ライズは黙礼し、丁寧に封印符の施された封筒を差し出す。

 加賀谷はそれを受け取り、手早く中身に目を通した。


 図解と解析表、符号の比較構成、術式の変遷史。

 軍票に用いられた過去の封印術式と、今回の偽札に刻まれたものとの一致率——八九%。

 加賀谷は報告書を伏せると、指先で軽くそれを叩いた。


「つまりこれは、帝国が仕掛けたものだと?」


 ライズは頷いた。


「はい。術式の骨格、符号配列、記憶転写式の位置づけ──いずれも帝国西方戦役の際に用いられたものと一致しています。

 裏付けをもって“本物”に見せかけるには、非常に都合がいい手口です」


 加賀谷は口を閉ざしたまま、しばし沈黙した。


 貨幣というのは、単なる交換手段ではない。

 それは信用の象徴であり、国家という構造そのものを支える“信”の結晶だ。

 それを、よりによって“国家”が壊しにかかってきた。


 ——ああ、これはもう、「戦争」だ。


「……了解した。ヴァルドには礼を。追って連絡すると伝えてくれ」


「かしこまりました」


 ライズが静かに頭を下げると、扉の向こうへと姿を消した。





 * * *





 その夜、加賀谷は静かに魔導書簡を綴っていた。宛先は公都に残るリィナ・ミティア。


「帝国が我々の通貨を狙っている。

詳細は書けないが、今後、公都でも同様の動きがあるかもしれない。

刺客が動く可能性もある。警備の強化を頼む。……何も起きなければそれが一番だ。

だが万が一に備えてほしい。

加賀谷 零」


 言葉を選びながらも、余計な情は混ぜなかった。

 彼女なら、読み取ってくれるだろうと信じていた。


 書簡を転送した直後、また一つの報告が手元に届いた。

 差出人は自由都市の統括商人代表、レオン・グレイブ。


「おれが声かけておいた商会連中、だいたい話つけた。利率と倉庫枠で乗ってくる。

 ……ついでに港湾ギルドの噂話、少し収まったよ」


 レオンの手際は早かった。

 帝国が流したであろう「ルーメ不安説」を沈静化させるには、理屈よりも利益で説き伏せるのが一番だと、加賀谷自身がよく知っていた。


 その日の午後には、港湾ギルドの会議室に主要商会と文官が一堂に会した。

 加賀谷は静かに席に着くと、議題を簡潔に提示する。


「市内で《偽貨幣》が発見された。流通量はまだ少ない。だが放置すれば市場全体の信用が瓦解する」


 一瞬、場がざわついた。


「本物と見分けがつかないのですか?」


 文官の一人が問う。


「今は専用の照合端末が必要だ。だが、三日以内にそれを全市場に配備する。

 そのうえで“ルーメの安全宣言”を発する。

 ただし、不安を煽る商会があれば、港湾施設の利用を一時停止する。――それが、行政側の方針だ」


 商人たちは一様に顔を見合わせた。

 しかし、誰も否定の声を上げなかった。

 彼らにとって、“混乱”はもっとも忌むべき損失だったからだ。


 会議が終わり、文官たちが退席する中で、加賀谷はレオンの隣に歩み寄った。


「助かった。君がいなければ、ここまでは一晩では動かなかった」


「ま、カガヤのやることは無茶だけど、結果出すからつい応援したくなるんだよな。

 それに、オレもこの都市が好きだからな。潰されたくないのさ」


 レオンは笑って、手をひらひら振った。


 その言葉に、加賀谷もわずかに口元を緩めた。

 だが、心の奥には重い靄が残る。

 帝国は“殴る”でもなく“奪う”でもない。

 “腐らせる”ことで、こちらの根を断ちに来ている。


 ――やはり、これはただの経済攻撃ではない。





 * * *




 自由都市の塔の灯りが、夕焼けに混じって揺れていた。

 日が沈む前に、もっと先を見なければならない。


 そう思っていたその時、公都からの返書が届く。


 リィナの字は、いつも通り整っていた。


「了解しました。

近衛の再配置を行い、要人街にも目を配らせます。

……あなたがいないと、やはり忙しいですね。

カガヤ、倒れる前に少し休むように。

——リィナ」


 手紙の最後にだけ、彼女らしい優しさがにじんでいた。

 加賀谷は苦笑して、机の端にそれをそっと置いた。


 その頃、地下深く。

 帝国の工房では、第二波の偽札鋳型が冷たい鉄音を立てていた。

 何者かが、慎重にそれを並べている。


 その影は名もなく、顔も知られていない。

 だが彼の手が、次に“封印”を破る鍵を握っていた。





◆あとがき◆

毎日 夜21時に5話ずつ更新予定です!

更新の励みになりますので、

いいね&お気に入り登録していただけると本当にうれしいです!


今後も読みやすく、テンポよく、そして楽しい。

そんな物語を目指して更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る