第32話:自由都市の静かな繁栄と違和感
午前九時。
ヴェステラ中央市場には、商品と人と声と通貨が、風のように交錯していた。
南方産の果物を並べるテントの横で、帝国製の彫金細工が「八ルーメ」と書かれた札の上に並ぶ。
今や、帝国金貨は“割高で不便な外貨”であり、この都市においてルーメは主語だった。
「ちっ、また両替かよ……」
そう呟いた男が金貨を握りしめて去っていく。
店主は慣れた調子で言った。
「次からはルーメでな。こっちじゃルーメ以外には手数料がかかるから気を付けな」
もはやこの都市では、“通貨を持つ側”ではなく、“通貨に合わせる側”が変わりつつあった。
* * *
政庁塔三階、経済監察室。
魔導端末に囲まれながら、ミロ・クレインは両手で頭を抱えていた。
「……うぅ……ど、どうして、ここだけ……」
封緘識別装置が出力する波形が、わずかに“揺れて”いた。
正常値からの逸脱ではない。だが、完全な一致でもない。まるで影が二重に重なっているような違和感。
「ミロ、何か引っかかったか?」
声に跳ねるように振り返ると、加賀谷零がコーヒーを片手に立っていた。
「あっ……れ、れいしゃちょー……えっと……これ、なんですけど……」
ミロはおずおずと端末を指差す。
「封印の波形が、すこし……二重になってて……普通なら単一魔素の偏差で済むんですけど、どこかこう……変で……」
「異常ではないけど、違和感がある、と?」
「そ、そうです……エラー扱いされないのが逆に気持ち悪くて……っ」
加賀谷は魔導グラフをのぞき込み、端末に記録されたロット番号群を追った。
「……検出範囲は?」
「だ、だいたい港湾地区からの搬入ロットです。流通数は……い、今のところ十数件ですけど……これ、拡がってる気がして……」
加賀谷は無言で帳票を抜き取り、黙って赤線を引いた。
「……誰かが仕掛けてきたな」
「し、仕掛けた……?」
「精度が高すぎる。術式だけじゃない、封印符と鋳型、両方いじってる。個人や裏商会の仕事じゃない。組織が動いてる」
「そ、そんな……じゃあ、その、何のために……?」
ミロの声は、戸惑いと少しの怒りを孕んでいた。
加賀谷は一度だけ深く息を吐いた。
「……目的は、通貨の信用そのものを揺るがすことだ。
“本物そっくり”を少量混ぜるだけで、“通貨が信用できない”って話が市場に拡がる。
たとえ偽物の量が少なくても、それだけで人は止まる」
「ひ、卑怯です……そんなの、ずるいです……!」
「だが、やる側にとっては効果的だ。信用を失えば、経済は止まる。
こっちは、今すぐ対応する必要がある」
加賀谷は端末を閉じると立ち上がった。
「ギルドに通達を出す。封印手形の照合と、現場対応のフロー構築。――公表の判断は、そこからだ」
* * *
同日夕刻。
港湾ギルド会議室には、重役たちの怒声が飛び交っていた。
「偽札? おい加賀谷、何を根拠にそんな……!」
「そんな話を出せば、今度は我々が疑われるんだぞ!」
「“信用の通貨”が信用を失えばどうなるか、あんたが一番わかってるはずだ!」
加賀谷は一歩も引かずに、照合端末を卓上に置いた。
「わかってるからこそ、こうする。“信用”は、隠して守るものじゃない。
“確認できる状態にあること”が、何よりの防壁になる」
「だからって、それを全市場に配るのか? 三日で?!」
「できる。今から手配する」
誰かが苦々しく舌打ちした。
「……責任は取れるのか?」
「とるさ」
加賀谷は短く答え、端末を持って部屋を出ていった。
* * *
その頃、政庁塔の別室では、ヴァルド・レヴァンティスが封筒を開いていた。
報告者は、彼の配下で元帝国軍情報局の術式技官――ライズ・ヴォーグ情報官。
「――この封印コード、構造が帝国の“第七技術棟”系統と一致します。
偏向魔素の処理癖が独特で、術者ごとの癖と照合しても高確率で一致していると判断されます」
「確証は?」
「ありません。術式は規格ベースで流通しており、製造番号も残っていません。技術的に見れば、状況証拠のみです」
ヴァルドは椅子にもたれ、目を細めた。
「……つまり、“関わっている”が、“証拠はない”と」
「はい。だがこれは確実に“国家スケールの意図的工作”です。
信用の基盤を腐らせるには、偽札をばらまくより、“疑い”を広める方が早い。帝国は、そのやり方を熟知しています」
沈黙が落ちる。
やがて、ヴァルドは封筒を閉じて立ち上がった。
「カガヤ様に伝える。“帝国が宣戦布告してきた”とな」
◆あとがき◆
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