第四部:帝国との第二戦

第31話:蜂を潰すための針──帝国宰相の命令

 自由都市ヴェステラ。

 かつて“辺境”と呼ばれたその地に、いまや帝国すら無視できぬ都市の風格があった。


 石畳を走る魔導搬送車、移民で溢れる登記所、物流拠点と化した市場街。

 そして、誰もが当たり前のように手にする貨幣──共通通貨ルーメ。

 それは、かつて誰も信じなかった土地に“価値”を宿らせた象徴だった。


 加賀谷零は、政庁塔のバルコニーからその光景を見下ろしていた。

 すべてが、通貨の流れに沿って動いている。都市の呼吸が、確かに自分たちの築いた制度と共鳴していた。


 「……ルーメも流通が回ってきたな」


 そうぼやいた加賀谷の背後から、足音がひとつ。


 「なぜ、“ルーメ”と?」


 尋ねたのは、ヴァルド・レヴァンティス。

 公国の名門貴族出身にして、今は自由都市連合の信任を受けた軍政補佐官。

 彼の問いには、敵意ではなく純粋な関心が宿っていた。


 「光がほしかったからだよ」

 加賀谷は肩をすくめる。


 「この公国は、真っ暗だった。金も希望も道理もなかった。

 でも、“信じられるもの”が何かひとつあれば、人は歩ける。……通貨にそれを託しただけだ」


 「それで光、ルーメ。ずいぶんと詩的ですね」


 「理想のない通貨は、紙屑と変わらないからな」


 加賀谷の目が、街の遥か向こうへと向かう。

 制度が動き、人が集まり、価値が循環する。都市とは“信頼の構造体”だ。それを誰よりも理解していた。


 ──だが、その構造を壊そうとする者たちもいる。


 * * *

 帝国首都セイグラン。

 黒曜石の塔の奥深く、《財務庁地下第二局》では重苦しい会議が進んでいた。


 「……国家的信用を賭けた作戦となりますが」


 財務次官、ガルステイン・セルテンが一歩前に出る。


 「構わん」

 帝国宰相、マルク・ルクスフェルトは椅子にもたれたまま答えた。


 「信用とは本来、操作するためにある。形を与えられれば、人間はそれにすがる。

 ……連中のルーメも例外ではない」


 宰相は一枚の文書を取り上げる。

 《黒鋳計画》──共通通貨ルーメの信用破壊工作を意味する指令。


 「蜂を潰すのに剣は要らん。毒を撒いて、翅を腐らせる。それで十分だ」


 ガルステインは静かに頷く。


 「すでに、標準封印術式の改竄に成功した“偽ルーメ”を、沿岸都市の流通に投入済みです。

 港湾ギルドの一部は既に混乱し始めています」


 ルクスフェルトは満足げに笑った……が、その目の奥には違う色があった。

 視線は、魔導光板に浮かぶ都市ヴェステラの光点へと注がれている。


 「戦火を広げ、覇道を極めようとする者なら、まだわかる。

 だが──奴は、この世界に存在していなかった“理”を持ち込んだ。

 帝国の法も、通貨も、価値観すら……やすやすと塗り替える、“常識外の怪物”だ」


 ガルステインはその言葉に対し、肯定も否定もしなかった。


 「制度に魂はない。だが、奴の作った仕組みは人の行動を変え、都市を動かしている。

 ──それが“思想”に進化する前に、潰さねばなりません」


 ルクスフェルトは小さく息を吐き、笑った。


 「“王”になろうとしているのなら、まだ可愛げがあった。

 だがあれは、自ら玉座を作り、貨幣を玉璽に仕立てあげた……まるで、世界そのものの設計図を書き直そうとしているようだ」


 鋳造炉の封印がゆっくりと起動し、魔導熱が空気を撓ませる。

 《偽のルーメ》は着々と仕上がりつつあった。


 「“蜂”などではない。あれは──燃え広がる種火だ。

 誰もが気づいたときには、世界が別の色で塗り替えられている。……ならば、今のうちに、叩き潰すしかあるまい」


 地下の空気が、しんと静まり返った。


 その場にいた誰もが、あの名を──“加賀谷”という名を、すでに戦場の主軸として認識していた。







◆あとがき◆

毎日 夜21時に5話ずつ更新予定です!

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そんな物語を目指して更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします!

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