過去編
テクネイト衰亡史<1>
1960年11月10日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C ダンバートン-オークス 愛国党本部
「必ず勝てるといったじゃないか」
「どうするんだ。大敗だぞ」
第二次内戦後の復興事業によってほぼワシントンD.Cの街並みが別物に変わる中でダンバートン-オークスは以前と変わらず優美な姿を保っていた。だが、その一室ではあるものは天を仰ぎ、あるものは下を向いてため息をついていた。無理もなかった。強固な地盤がある西海岸を除けば1916年の結党以来、第二次内戦後の北部地域の公民権停止によって反対者たちを封殺した結果とはいえ異例の超長期政権を築き上げてきた愛国党政権があっけなく終焉を迎えたからだった。
兆候は以前からあった。旧カナダでの
さらにそこに追い打ちをかけたのが前年のロシア帝国による極東社会主義共和国に対する人類初の核攻撃によってアメリカ資本が多数進出していた友好国が文字通り消滅したことによる経済的打撃は大きかった。いくら経済がエネルギー価格体系に基づいているといってもそれは北米と太平洋地域だけの話であって、他国での経済活動を行うのにはテクノクラシー以前の旧態依然とした通貨である貿易ドルを使用する必要があったし、逆に言えば国民の多くも配給では得られない贅沢を求めて友好国への投資を行なっていた。特に豊富な資源による堅調な経済が見込まれる極東社会主義共和国への投資は多くの国民を魅了した。それが文字通り吹き飛んだとなれば支持率はがた落ちだった。
だからこそ愛国党は
ジョセフ-パトリック-ケネディ-ジュニア。ルネックス計画によって人類で初めて月に降りたった男を大統領に据える。愛国党が生き残るにはそれしかない。この決意をもって党員たちは若すぎるとして難色を示す指導部の説得にあたった。
本人が意欲的なこともあり、結果は上々だった。全世界に名が知られた男は当然ながらアメリカ各地で人気があり、堅実な政治家ではあるが若さからは程遠い国民党の大統領候補レスター-キャラハン-ハント-シニアに圧倒的な差をつけての人気であり、愛国党政権は今後も持続する…かに思えた。
だが、ここで問題が生じた。といっても問題があったのは本人ではなかった。
ケネディ-ジュニアの弟であったジョンの複数人との不倫スキャンダルが持ち上がったのだった。
国民党はすぐにこのスキャンダルを攻撃材料とし、加えて行なわれたテレビ討論会では政治家としての経験が絶無のケネディ-ジュニアに対してハントは堂々とした振る舞いで安定した政治家という印象を裏付けることに成功し、こうして国民党政権が誕生したのだった。
この1960年大統領選での敗北が北米
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