第十一の旋律:共鳴する記憶
焚き火の周囲に、沈黙の民が集まっていた。
無言のまま、こちらをじっと見つめる視線。
だが、その静けさの奥には、確かな「ざわめき」が感じられた。
朱音は、その視線の温度に気づいた。
恐れ。驚き。懐かしさ。――そして、希望のようなもの。
誰一人、声を発さない。
沈黙の文化に生きる彼らは、言葉ではなく、板や布に文字を描いて意思を交わす。
やがて、一人の民が前に出て、白くすべすべした石板に文字を滑らせた。
『お前たちは、“空を震わす者”か?』
『かつて、音は災いを呼ぶとされ、封じられた。なぜ、その力を再び呼ぶ?』
『その箱の音――それは、“木鳴きの舟”か?』
視線は安藤の膝の上、古びたギターに向けられていた。
安藤は、手の中の楽器をそっと撫でた。
確かに、かつてここではこの形、そして“音”そのものが、禁じられた存在だったのだ。
「……これは“ギター”だ。六本の弦を張り、指で鳴らす楽器だよ」
だが、彼の言葉に、沈黙の民たちはまったく反応しない。
彼らにとって、“声”は理解の外にある存在だった。
沈黙が、さらに深まる。
次に一人の老女が進み出る。
白髪を布で束ね、灰色のローブを纏った彼女の手には、やわらかな筆と黒い墨の入った壺が握られていた。
彼女――長老らしきその人は、地面に筆を滑らせる。
『“深き風の管”を奏でたのは、お前か?』
その視線は、朱音に向けられていた。
『その音は……大地を震わせ、遠き記録に刻まれている』
『“銀の角”が空を撫でる響き。――それも、かつての記憶の中にあった』
『音を直す者、“歯車の継ぎ手”の系譜。……まさか、全てが揃ったのか』
泉音のトロンボーンは「銀の角(つの)」
那津の修理したオルゴールは「歯車の継ぎ手」
朱音のバスクラリネットは「深き風の管」
安藤のギターは「木鳴きの舟」
翠音のカリンバは「星の爪音」――
住民たちは、その名を知らずとも、音と形と響きを記録や伝承で語り継いでいた。
その筆談の静寂の中で、安藤はゆっくりとギターの弦を弾いた。
──ひと音。
それは焚き火の火花のように、ふわりと空に舞った。
響きが空気に乗り、波紋のように周囲を包んでいく。
朱音が構え、深く息を吸い込み、「深き風の管」の低音を奏でた。
泉音の「銀の角」がそれに寄り添うように息を吹き込む。
那津が、オルゴールのぜんまいを巻き、翠音がカリンバの爪で音を紡ぐ。
言葉ではない。
意味ではない。
けれど、その音は――“感情”を伝えていた。
沈黙の民たちが、息を呑むように目を見開いた。
長老はゆっくりと筆を置き、地面にたった一行を残した。
『……懐かしい。忘れたはずの記憶が、胸に揺れる』
その瞬間、焚き火が高く燃え上がり、灰色だった空の端に、わずかな青が差した。
音のない世界〈シルフィア〉に、“音”という名の光が、ほんのひとしずく、戻ってきたのだった。
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