第八の旋律:光の吐息

泉音は、休日の午後を部屋で過ごしていた。

トロンボーンを抱え、父と姉とのセッションを思い出しながら、ひとりで音を確かめるように吹いていた。

──あのときの音を、もう一度。

そう思った瞬間、トロンボーンのベルの奥で“風”が巻いた。

部屋の空気が変わる。目には見えない「呼びかけ」が確かに聴こえた。

──泉音……。

朱音の声だ。いや、声というより「音の記憶」。

旋律が彼女を呼んでいた。

「……お姉ちゃん?」

スライドを動かした瞬間、トロンボーンが自ら光を放ち、部屋の中心に魔法陣が浮かび上がる。

空間が開く。

次の瞬間、泉音もまた音のない世界へと足を踏み入れていた。


──スライドを引いたはずのトロンボーンが、手から滑り落ちる。

気がつけば、泉音は見知らぬ大地に立っていた。

土は冷たく、色のない空が広がっている。風はない。聞こえるはずの音すら、どこにもなかった。

「……ここ……どこ?」

声を出した瞬間、自分の声が“沈む”のを感じた。

空気に吸われていくように、音が届かない。

だが、手にはトロンボーンがある。

息を整え、恐る恐るマウスピースに唇を当てる。

ひと吹きしたその瞬間、世界がかすかに震えた。

──ポォン……。

空気が、揺れた。

わずかに風が走り、彼女の髪をかすめる。

それはこの世界では「ありえない現象」だった。

遠くで、人々がこちらを振り向く。

彼らの表情には驚き、そして畏怖の色が浮かんでいた。

泉音は、無意識に足を前へ出した。

自分の音が、この世界に何かを与えた──それを体で感じ取っていた。

近づく焚き火の光の中、彼女は二つの顔を見つけた。

ひとつは、父・安藤真一。

もうひとつは、姉・朱音。

「……え?」

「泉音……お前まで……」

「パパ、お姉ちゃん……!」

言葉にできない涙が、頬を伝った。

音を通して繋がった“家族の記憶”が、この無音の世界にひと筋の温度をもたらしていた。

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