第6話 ベイクオーター・バックレスト


 高田たかださんを「port」に誘った時、正直即決で断られるだろうと思っていた。


 ほんの数回食事をしただけの同窓で、しかも彼女の輝かしい過去を知っている人間だ。今を満足に生きられていない彼女からすれば苦痛を感じるような出来事かもしれない。それでも彼女がやってきたのは、何かしらここに来ることで変わるかもしれない、と思ったのだろう。


 別の接客をしている時に店長から声がかかった。予め来店するだろう時刻を伝えていたから話はスムーズだった。商品を前にして客が家族と会話を始めたタイミングを見計らって二、三歩退がり、店長とスイッチする。


帷子かたびらくんが友人を呼ぶってことは、何かしら大事なことなんでしょう」


 友人の来訪を聞いた店長はそう言った。何の事情も言っていないのに、この人はそういうことを察するのが上手い。特に返事をしなかったが、表情の中に何かを感じ取ったのだろう、彼女はそっか、と小さく呟くだけでそれ以上の詮索はしなかった。


「頑張っておいで」


 そう言って背中を強く叩くと、彼女は朝礼の為に早番のスタッフに号令をかけ始めた。背中の熱をじりじりと感じながら、僕もまた姿勢を正して、朝礼に加わった。



「ランプシェード、お綺麗ですよね。同じ照明でも、布素材にするか陶器製にするかでも結構印象が変わってきますので……」


 ポジションのスイッチと同時に店長の会話が始まる。丁度夫婦間の意見がズレた絶妙なタイミングでの解説に家族は皆店長の言葉に視線を向ける。僕はそのまま軽い会釈と同時にその場を離れ、入り口へ向かう。


 高田たかださんは、小さな動物みたいにレジ前に立っていた。友人とはいえ、職場に招かれたのだからとできる限りの身だしなみを整えたのだろう、ライトグリーンのフレアスカートにネイビーのトップスを着て、肩まで伸ばしたら髪にはゆるやかなパーマがかかっていた。


「何?」


「いや、なんかお洒落だなと思って」


「え、変? 流石に適当じゃ悪いと思って……」


「いやいや、すごく綺麗だと思う。いつもと全然違くてびっくりした」


 ちょっとしたリップサービスだと思っているのか、彼女は少しじろっと目を細めて僕を見ている。ただ、口元のほころびを見る限り、疑心が半分、恥ずかしさが半分といったところだろう。


「それを言うなら、帷子かたびらくんもいつもと全然違うよ」


「そうかな?」


「何そのスリーピース。いつもそんなの着てなかったじゃん」


 自分の服装を改めて見る。ストライプの入ったネイビーのスリーピース・スーツ。実際のところ定期的に着ているのだが、確かに彼女と会う時にこの姿で現れたことは無かったかもしれない。それに、大抵彼女と会う時はリラックスできるタイミングを狙っていた時だから、という理由もあった。


「これさ、僕のなんだよ」


「勝負服?」僕は頷く。


「絶対に逃せない客とか、あとひと押しかなって接客を控えてる時はね、ちょっとしたジンクスもあって、このスーツで仕事するようにしてるんだ。すごい仕事熱心ってわけじゃないけど、それでも僕にも外したくない時はあるから」


 僕の言葉を聞いて、彼女は不思議そうに首を傾げている。おそらく彼女の中には一つの可能性が浮上している。でも今の彼女はそれを受け入れようとはしないだろう。まさか自分のために、だなんてそんな理由はあるはずがないと、そう思っているはずだ。


 だから僕は、ハッキリと言うことにする。


高田たかださんが来るなら、これしかないよ。この服しかありえない」


 僕の言葉に高田たかださんは少し顔を赤くしている。正直こんな言葉を他の仕事仲間に聞かれたくないが、そんなことも言っていられない。目の端で興味に満ちた眼差しを浮かべる女性店員も見えるが、そちらには一瞥もせず、高田たかださんに深くお辞儀をする。


「いらっしゃいませ、高田たかだ様」


「え、はあ、どうも」


「今日は高田たかだ様にぴったりの商品をご用意したので、是非ゆっくりとご覧いただければと存じます」


「商品……?」


 高田たかださんの戸惑う表情に僕は長年の経験で身につけた笑みを浮かべる。


高田たかだ様には、今日、椅子を見ていただきます」


 彼女は当時のことなんて覚えていないだろう。些細なクラスメイトとの適当な会話に過ぎないのだから。でも今、僕が彼女にできることがあるとすれば、それくらいしかない。



「椅子は、部屋のどの用途で使うのか、どんな風に座りたいのか、もしくはレイアウトの一つとしてぴったりのものを選ぶのか。そういった一つ一つの目的で選び方も変わります」


「そうなんだ、あんまり意識したことなかったな」


高田たかださんは、家に椅子はあるの?」


「無いかな、ほら、ワンルームだとベッドか、ラグ敷いて直になっちゃうから。椅子を置くことはあまり考えたことなかったな」


「なら、ちょっとした時に座れるものがいいかもしれない」


「ちょっとした時?」僕は頷く。


「休憩用の椅子はどうだろう」


 彼女はまだ状況を呑み込めていないながらも、僕の話に耳を傾けてくれている。昔から、どんなクラスメイトにも壁を作らず、目を見て話を聞いてくれるタイプの人だったから、どれだけ挫けていようと彼女の根本にあるものは変わっていないのだろう。


 一つ一つ、彼女は椅子の高さや座り心地を見て回る。ダイニングチェア、アームチェア、ロッキングチェア。しっかりと座るタイプから、ゆったりと倒れ込むように座れるものまで様々だ。彼女はそれぞれの座り心地を試していく。


 僕が椅子を売るようになってから、確実にこの店の在庫は増えた。何かと小言と言いつつも、椅子しか売れない僕を想定して一角をチェアコーナーにしてくれた店長には感謝しかない。おかげで今も僕はここで働けている。


「ゲーミングチェアみたいなものはちょっと欲しいなって思ってたけど、帷子かたびらくんの紹介してくれる椅子を見てると、なんだかオシャレに使えそうで良いよね」


 黒い革張りのワークチェアに深々と座りながら足を組み、彼女は僕に笑いかける。大分気分が乗ってきたようで、さっきまでと比べて椅子に身を委ねる座り方ができている。


 接客をする時、僕はまず一通り椅子に座ってもらうことにしている。座り心地とかではなく、慣れて身を委ねられるくらいリラックスしてもらう為だ。姿勢や座る時の表情や仕草が分かるほど、僕の椅子選びの精度は格段に上がっていく。


高田たかださん、僕はさ、高田たかださんに感謝しているんだ」


「私に?」


「僕がこうしてインテリアの仕事をするきっかけになったのは、高校の時に高田たかださんと話せたからなんだ。迷いのない姿に僕は感銘を受けて、この道を選ぶことにした。だから、高田たかださんには感謝してもしきれない」


「そんなことないよ、私が帷子かたびらくんに何をしたかじゃなくて、きっかけがあっただけ。帷子かたびらくんは、そのきっかけをちゃんと掴めたからここにいるんだよ。だから、私は何もしていない」


「いや、高田たかださんは立派だよ、そこは否定するべきじゃない。何にでも全力で、一生懸命に悩める人だ。でもずっと悩んでばかりじゃ大変だから」


 背もたれに体を預けていた彼女が起き上がる。途端に丸くなったその背中を見て、僕はしゃがみ込むと、俯く彼女に微笑みかける。


「せめて、貴方がほんの少しでも休める場所を作りたいんだ」


「休める場所?」


「そう、僕ができることと言ったら、それくらいだから。どんな事情があって、どうして今高田たかださんが横浜にいて、花屋にいるのか、その理由は聞かない。でも何かを悩んでいることだけは分かる。僕はただのクラスメイトだから、貴方に寄り添うことはできないけど、貴方の寄り添える場所くらいなら作れる。だから、僕は高田たかださんにぴったりの椅子を贈りたい」


 あの時の、姿勢の良く座る彼女を見て、今僕はここにいる。


「……どんな椅子がおすすめなの?」


「実はもう少し先にもう準備してあるんだ」


 チェアで丸くなる彼女の手を引いて、僕はさらに店の奥へと進む。ガラス張りの一番景色の綺麗なダイニングコーナーに、一つだけ不自然に椅子が置かれている。深い焦茶色のビーチ材を使った、ホイールバックタイプのウィンザーチェアだ。僕は彼女をそこまで連れて行く。


「アンティーク系なんだね、帷子かたびらくんのおすすめは」


「ホイールバックチェアって言ってね、背もたれに車輪みたいなデザインの入った椅子なんだ。元々ウィンザーチェアは、イギリスの実用的な椅子として作られたらしいし、完全なアンティークってわけでもないんだよ」


 彼女は椅子に座る。少し浅めに座って、ガラス越しに映る景色を眺めながら、僕の椅子に関する話を聞いていた。正直蘊蓄うんちくは商売道具でしかないから、ただの無言という空白の穴埋めでしかない。大体椅子の特徴を説明しきると口を閉ざし、あとは座った彼女に委ねることにする。


 正直、今日座ってもらった中でも、一番綺麗な姿勢で彼女はウィンザーチェアに座っていた。背もたれに体を預けるでもなく、背中を丸めるでもなく、椅子の座り心地に合わせて、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、彼女は外を見つめていた。


「ねえ、帷子かたびらくん、横浜の景色って面白いよね」


「どういうところが?」


「完成形が見えないところとかが、特に」


「いいね、僕も悪くないと思う」


「あたしね、自分が行き詰まった瞬間に、目の前が真っ暗になったの。ゲームオーバーってよくあると思うけど、まさにあの感じ。ここでお前の存在は完成したんだよって、もう先はないんだって言われた気がした。正直、絶望した」


 窓の外のテラスを人びとが歩いていく。家族連れ、カップル、愛犬と共に散歩する老人、ヘッドホンを着けた若い男。強い日差しを受けながら、皆それぞれの表情を浮かべて歩いている。


「だから、そこから先は全部完成した後のお話で、もう自分には何も待っていないと思った。何したって上手くいかないし、どうやったってあたしのピークはあそこだったって気持ちが抜けなくて、新しい自分なんて見つからない。たくさん励まされたけど、一度信じた自分の道を外されちゃったことが辛くて、気持ちの整理なんて無理だった」


 気がつくと、彼女は右手で強く左の手首を掴んでいた。グッと、何かを押し出すように強く、赤くなるまで握り締められた手は、微かに震えている。


「毎朝、横浜駅の改札を出るたびに、変わらず工事を続けていて、気がつくと姿を変えてる横浜の光景は、見ていて飽きなかったし、なんか、完成だと思っていたものって、時間によっては未完成に見えてくるものなんだなって思ってね、それが、あたしにとって一番の励ましになってた」


 ほろり、と彼女は右目から涙を流す。姿勢は変えず背筋を正して、まっすぐに座りながら窓の外を見つめている。口元には微かな笑みが浮かんでいた。


「ありがとうね、帷子かたびらくん。あたし、君に会えて良かった。とっても良い座り心地よ。ありがとう……ありがとう、ごめんね」


 高田たかださんは、何度も感謝の言葉を小さく呟く。やがてその感謝の言葉は謝罪に変わっていく。その言葉の先にいるのが誰なのか、僕は想像でしかできない。


 彼女は涙を流しながら、ずっと椅子に座っていた。姿勢を崩すことはなく、その姿勢こそが一番安らぐ座り方だというように、背筋を正したまま。


 あの頃見た、姿勢良く座る高田たかださんの姿が、そこにあった。

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