第2話 沈黙の住人

車のドアを開けると、湿気を含んだ夜風が肺の奥まで滑り込んできた。足元の砂利がきしみ、掌にひんやりと伝わる感触。家々の窓はすべて暗く、外灯すら存在しない。闇の中、ぼんやりとした人影が行き交う気配はあるものの、一切の声が消えていた。 踏み出すたび、遠くで鳴るはずの声や物音が、まるで吸い取られるかのように消えていく。軒下に吊るされた古びた提灯のガラスはひび割れ、内側に滴る水滴が――これまた不思議なほど――音を立てない。 歩きながら、塀越しに覗き込むと、艶やかな黒髪を切り揃えた少年と少女がうつむいて座っている。子どもらしい体つきだが、顔は頬骨が張り出し、不自然に細長い。目だけはこちらを見据えていて、その視線は皮膚を這うように冷たい。 僕が息を呑むと、遠くの板戸がスッと開き、細い腕が伸びてきた。触れられることはない。握られる感覚すらないのに、膝の裏に嫌な冷気が這い上がる。 背筋を伸ばして振り返っても――影ひとつない。静寂はさらに深まり、星明かりだけが、遠くで儚く瞬いていた。


村の外れに佇む古寺は、苔むした灰色の瓦屋根が何層にも重なり、まるで巨大な棺を思わせた。崩れた土塀の隙間から見える本堂の鉄扉には、無数の錆が鋭く走る。鍵などなく、半開きのまま放置されていた。 扉を押し開けると、急に風が止み、室内の空気がヒヤリと肌を刺す。暗がりの中、古びた仏壇がひと際存在感を放ち、その前には幾百もの供物の跡があった。木製の供え台には、割れた瓢箪と朽ちた紙幣が無造作に積まれ、地面には黒い液体が床板の継ぎ目にしみ込んでいる。 耳を澄ますと、遠くから紙をめくるようなパリパリとした音。背筋にゾクリと電流が走り、振り返ると――壁一面に古書の背表紙が貼り付けられていた。文字は判読不能な呪符めいた記号で、どこか動き出しそうにうごめいている。 その時、甲高い子どもの声が、背後の暗闇から囁いた。 「おいで……」 声は嘶くように甘く、まるで糸を引くように耳孔をくすぐる。振り返ろうとした瞬間、背後から冷たい鉄の手が肩を掴んだ。痛みはなかった。ただ、体温を奪われる感覚が、一瞬にして意識を飲み込んだ。

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