怖い女

ビビりちゃん

第1話 誘い込まれる夜

夕暮れの冷気がフロントガラスに張りつき、わずかな霧雨がボンネットを濡らしていた。深い山間にひっそりと佇む村へと続く、舗装の切れた坂道。ロービームに切り替えたヘッドライトは、まるで生気のない眼差しのように、うっすらと前方だけを照らし出す。 エンジンの低い唸りが風にかき消され、静寂だけが僕を包んでいた。遠くからひとつ、鹿の鳴き声──しかし鼓膜を揺らすには微かすぎて、本当に聞こえたのかすらわからない。


やがて路肩に古びた木製の鳥居が姿を現す。朽ちかけた朱色はところどころ剥がれ、苔に侵食された柱は、時の重みにひしゃげていた。鳥居をくぐる瞬間、エンジンがかすかに振動を強め、まるで背後の何者かが息を詰めているかのようだった。 「ここが……異形の村?」 助手席のナビ代わりのスマホは、すでに圏外を示すアイコンひとつ。地図にも、住所にも載らない集落。ネット上の噂は、行方不明者の数だけがひどく目立っていた。


坂の先に、暗闇に溶け込む茅葺き屋根の家並みがぼんやりと浮かぶ。瓦屋根の隙間からは、煤けた煙突と同じ色をした闇が立ちのぼり、視界の端では黒い影がひそやかに動く。木戸の軋み、遠くで鳴く何かの爪音。足を踏み外しそうになるほどの土砂が舗装を覆い、その一粒一粒が僕の鼓動を刻むように、不規則に響いた。


ドアを開けて外気に触れた瞬間、湿った土と古い榊の香りが渾然一体となり、胃の奥が締めつけられる。夜はまだ明けきらず、月明かりは厚い雲に遮られていた。視界の隅に、誰かの視線──それは人間のものとは思えないほど、漆黒で冷たい。 黒板の前に並んだ無言の顔ぶれのように、家々の戸口からいくつもの瞳が僕を見つめ返している。息を呑んだ瞬間、背後から低い囁き声──それは誘いか、それとも警告か。


まだ一歩も踏み込んでいないはずの村の奥から、不吉な“招き”の気配だけが濃密に漂っていた。どこかで扉が閉まる音がして、僕は思わずハンドルを握り直した。闇は静かに、確実に、僕を誘い込もうとしている。

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