繕い屋敷
洒落にならないほど恐怖する話
繕い屋敷
「高給」「短期集中」「住み込み歓迎、友人可」「必要なのは根気だけ」。
そんな甘い言葉が並んだ求人情報を、俺のスマホ画面に突きつけてきたのは佐伯だった。大学の夏休み、俺たちは揃いも揃って金がなかった。
「山奥の集落、旧家の遺品整理? 絶対ヤバいだろ」
「ヤバいからこの報酬なんだろ。二週間で四十万。時給換算したら笑いが止まらんぞ」
佐伯は民俗学を専攻している変人で、こういう「曰く付き」っぽい話に目がなかった。俺はただ金が欲しかった。結局、俺たちはその怪しげなバイトに応募し、驚くほどあっさりと採用された。
バスを乗り継ぎ、最後は迎えに来た軽トラの荷台に揺られて着いた場所は、「糸守(いともり)」という名の集落だった。地図アプリではとうの昔に道が途切れていた、まさに陸の孤島。出迎えてくれた村長と名乗る初老の男は、人の良さそうな笑みを浮かべていたが、その目はどこか俺たちを値踏みしているように感じられた。
「まあ、何もないところですが、よろしく頼みます。作業してもらうのは、あそこの屋敷です」
村長が指さした先には、山の斜面に張り付くようにして建つ、巨大な屋根の古民家があった。まるで周囲の時間をそこだけ堰き止めているような、異様な存在感を放っている。
屋敷の中は、想像通り埃っぽく、ひんやりとした空気が淀んでいた。俺たちの寝泊まりする部屋として当てがわれたのは、母屋から少し離れた小綺麗な離れだった。
「母屋は夜、施錠しますんで。まあ、物騒な場所じゃありませんが、念のため」
村長はそう言って、錆びた鍵の束を俺たちに手渡した。
翌日から作業が始まった。屋敷の中は膨大なガラクタで埋め尽くされている。俺たちはそれを「残すもの」「捨てるもの」「保留するもの」に分別していく。単純作業だが、物の量が尋常じゃない。
作業を始めて三日目のことだった。俺は二階の奥にある、開かずの間のような部屋の整理を任された。襖を開けると、他の部屋とは明らかに空気が違う。やけに畳が新しく、壁紙の一部が張り替えられている。不自然なほど「綺麗な」空間だった。その部屋の隅にある桐箪笥を開けた瞬間、俺は息を呑んだ。
中には、十数体の市松人形が、ぎっしりと詰め込まれていた。
異様なのは、そのどれもが「壊れていた」ことだ。そして、その壊れた箇所が、あり合わせの材料で無茶苦茶に「補修」されている。
腕がもげた人形には、木の枝が針金で括り付けられている。顔にひびが入った人形は、その亀裂を粘土のようなもので埋められ、乾いたミミズのような跡を残している。一体など、眼球が失われた部分に、鳥の頭蓋骨が埋め込まれていた。
悪趣味なアートか、それとも子供の残酷ないたずらか。言いようのない不気味さに、俺はそっと箪笥の扉を閉じた。
その夜からだった。奇妙なことが起こり始めたのは。
離れの部屋で寝ていると、母屋の方から微かな音が聞こえるのだ。
「トントン……トントン……」
まるで、小さな金槌で何かを打っているような、規則正しい音。
「おい、聞こえるか?」
隣で寝ている佐伯に声をかけるが、いびきが返ってくるだけ。気のせいか、と耳を澄ますと、音はもう聞こえなくなっていた。
次の日、そのことを佐伯に話すと、彼は気味悪がるどころか、目を輝かせた。
「繕われた人形に、夜中に響く槌の音か。面白いじゃないか」
佐伯は、この集落の歴史に興味を持ったようだった。作業の合間を縫って、屋敷の蔵にある古文書のようなものを読み漁り始めた。
俺は、そんな佐伯を横目に黙々と作業を続けた。四日目の午後、脚立に乗って天袋の奥を漁っていた時だ。足が滑り、俺はバランスを崩した。とっさに掴もうとした棚の端にあった、古い青磁の壺が床に落ち、けたたましい音を立てて砕け散った。
「うわ、やべ……」
幸い身体に怪我はなかったが、高価そうな壺を壊してしまった。俺は慌てて破片を拾い集め、布に包んで見えないように隅に隠した。村長にバレたら、給料から引かれるかもしれない。
その夜、あの音がまた聞こえてきた。
「トントン……トントン……」
昨日よりもずっと近く、そして明瞭に聞こえる。まるで、俺たちのいる離れのすぐ外で鳴っているようだ。
俺は布団から這い出し、そっと障子に近づいた。隙間から外を覗く。月明かりに照らされた庭には、誰の姿もない。
だが、音は続いている。
「トントン……カタン……トントン……」
槌の音に混じって、何かをはめ込むような音もする。
恐怖に駆られ、俺は部屋の入り口である引き戸に目をやった。
そして、固まった。
引き戸の隙間という隙間が、外から何かで「塞がれ」始めていたのだ。
細長い木片、布切れ、黒ずんだ縄のようなもの。それらが意思を持っているかのように動き、ひとりでに引き戸の縁に打ち付けられていく。
「トントン」という音は、その釘を打つ音だったのだ。
俺は「壊れた」部屋を「繕っている」のだ。
「さ、佐伯! 起きろ! ヤバい!」
俺はパニックになり、隣の布団を揺さぶった。叩き起こされた佐伯は、寝ぼけ眼で俺を見る。
「どうしたんだよ、騒々しい……」
「ドア! ドアが! 外から!」
俺が指さす先を見て、佐伯は怪訝な顔をした。
「は? ドアがなんだよ。普通じゃないか」
「普通なわけないだろ! 木とか布とかで……!」
「お前、何言ってんだ? 疲れてんのか?」
佐伯には、俺が見ているものが見えていない。
その事実に、俺は背筋が凍る思いがした。俺の頭がおかしくなったのか? それとも、この怪異は俺だけを標的にしているのか?
俺が呆然としていると、佐伯はため息をついて「便所行ってくる」と立ち上がり、何のためらいもなくその引き戸を開けて外に出て行った。俺の目には無数の木片で封印されていたはずのドアが、いとも簡単に。
翌朝、俺は憔悴しきっていた。佐伯は「悪い夢でも見たんだろ」と取り合ってくれない。
だが、その日の午後、蔵から血相を変えて飛び出してきた佐伯を見て、俺は事態がただの悪夢ではないことを確信した。
「おい、まずいことになった。今すぐここを出るぞ」
「どうしたんだよ、急に」
「説明は後だ。とにかく、この集落はヤバい。村長に話をつけてくる」
佐伯はそう言うと、俺を置いて村長の家へと走って行った。
一時間ほどして、佐伯が青い顔で戻ってきた。
「ダメだ。はぐらかされた。『余所のもんは、知らんでええ』の一点張りだ。それどころか、今夜までここにいろ、と……」
佐伯の手には、彼が蔵から持ち出したらしい、黄ばんだ和紙の束が握られていた。
「これ、この屋敷の昔の主の日記だ。ここに全部書いてあった」
佐伯は、震える声で語り始めた。
この糸守集落には、かつて「繕い屋(つくろいや)」と呼ばれる者がいたらしい。
それは、壊れた農具や器を直すだけではなかった。病で損なわれた身体の一部や、さらには死んで「失われた」家族すらも、「繕う」禁断の儀式を行う存在だったという。
「材料は、何でもいいらしい。木、石、動物の骨、布……そして、一番いい材料は、『余所者』の身体の一部なんだと」
繕われた人間は、一見すると元通りに見える。だが、その中身は全くの別物で、繕い屋の意のままに動くただの人形に成り下がるのだという。
最後の繕い屋は、この屋敷に住んでいた老婆だった。老婆は一人娘を病で亡くし、その悲しみのあまり、娘を「繕おう」とした。だが、儀式は失敗した。娘は、様々なガラクタを継ぎ接ぎした、おぞましい姿の「何か」になってしまった。老婆はその「何か」を屋敷の奥に封じ込め、自らも後を追うように死んだ。
以来、この屋敷には「繕う」ことへの強い執念だけが残り、新しい「壊れたもの」を探し続けているのだ。
「壺を割っただろ、お前」
佐伯の言葉に、俺はハッとした。
「あの壺は、たぶん『何か』を封じ込めていたか、あるいは屋敷の『完璧な状態』を保つためのキーだったんだ。お前は屋敷を『壊した』。だから、執念がお前を『繕いの対象』として認識したんだ」
「トントン……トントン……」
話している間にも、母屋の方からあの音が聞こえてくる。昼間だというのに、はっきりと。
それはもう、俺だけに聞こえる音ではなかった。佐伯も、顔をこわばらせて音のする方を見ている。
「逃げるぞ」
佐伯が決断した。
「村長はアテにならない。日が暮れる前に、山道を歩いてでも集落を出る」
俺たちは最低限の荷物をまとめ、離れを飛び出した。母屋には目もくれず、集落の入り口へと続く道を走る。
だが、角を曲がった瞬間、俺たちは足を止めた。
道の真ん中に、村長と、数人の村人が立っていた。その手には、鍬や鎌が握られている。
「どこへ行かれるんですかな」
村長の目は、もう笑ってはいなかった。冷たく、得体の知れない光を宿していた。
「この屋敷の『綻び』は、あんたらが繕ってくれんことには、わしらが困るんで」
絶望的な状況だった。俺たちは屋敷へと追い立てられ、母屋のあの開かずの間に閉じ込められてしまった。外からは、村人たちがご丁寧に釘を打ち付けている音がする。
部屋の中は、昼間見た時よりもさらに異様さを増していた。箪笥の扉が開き、中から「繕われた」人形たちが、俺たちを見下ろしている。
「どうする……」
俺が呟いた時、部屋の隅の暗闇が、もぞりと動いた。
そこに「それ」はいた。
闇から現れたのは、老婆の姿をした何かだった。だが、その身体は、屋敷にあるガラクタを寄せ集めて作られていた。腕は歪んだ椅子の脚、胴体は酒樽、そして顔は……ひび割れた能面。その関節という関節が、ぎちぎちと軋む音を立てている。
「それ」は、俺に向かってゆっくりと、引きずるように近づいてきた。その手には、錆びた金槌と、髪の毛が絡みついた太い釘が握られていた。俺を「繕う」ための道具だ。
「おい! あれを見ろ!」
絶体絶命の中、佐伯が叫んだ。彼が指さしたのは、部屋の中央に鎮座する、一体のひときわ美しい市松人形だった。
「日記に書いてあった! 老婆が娘を繕って失敗した後、その魂を移すために作った最高傑作の人形だ! あれこそが、この執念の核だ!」
俺は最後の力を振り絞り、「それ」の脇をすり抜け、人形に向かって走った。
「やめろ!」という老婆のものとは思えない、複数の男女が混じったような声が部屋に響く。
俺は人形を掴むと、力任せに床に叩きつけた。
パリン、と乾いた音がして、陶器の顔が砕け散る。
瞬間、老婆の姿をした「それ」の動きが止まった。身体を構成していたガラクタが、ガラガラと大きな音を立てて崩れ落ち、ただのゴミの山に戻った。
同時に、部屋の外から聞こえていた村人たちの声が、驚きの声に変わる。
俺と佐伯は、崩れた壁の穴から転がり出るようにして屋敷を脱出した。村人たちが呆然としている隙に、俺たちは無我夢中で山道を駆け下りた。
どれくらい走っただろうか。麓のバス停にたどり着いた頃には、とっくに日は暮れていた。幸い、最終バスに間に合い、俺たちは泥だらけのまま乗り込んだ。
車内で、俺たちは互いの無事を確かめ合った。
「助かった……のか?」
「ああ……たぶん」
佐伯の顔には、安堵の色が浮かんでいた。だが、俺は言いようのない不安を感じていた。
家に帰り着き、シャワーを浴びて、ようやく人心地がついた。
鏡の前に立った時、俺は自分の腕に、山道で転んだ時に作った覚えのある、大きな擦り傷があることに気づいた。血は止まっている。
だが、よく見ると、傷口の皮膚が、まるで滑らかな木の皮のようになっていた。その表面には、微かに木目のような模様が浮かんでいる。
綺麗に、「繕われて」いた。
その時、スマホが鳴った。佐伯からだった。
「もしもし、大丈夫か?」
電話の向こうの佐伯の声は、やけに平坦で、感情がこもっていないように聞こえた。
「ああ、俺は……大丈夫だ。お前は?」
「俺もだよ。何ともない。心配してくれて、ありがとう」
「……そうか」
「うん。それじゃ、また大学で」
一方的に電話は切れた。
俺は、言いようのない恐怖に襲われながら、ネットの掲示板を開いた。数週間前、俺たちが見たあの求人情報を検索する。
あった。
まったく同じ文面で、その募集はまだ続いていたのだ。ただ一つ、文言が追加されている。
「急募。破損あり。経験者、優遇」
俺はスマホを落とした。
床に転がった画面には、ひび割れた俺の顔が映っている。
その亀裂の奥で、何かが「トントン」と、小さな音を立て始めていた。
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