影の薄い彼女
原月 藍奈
影の薄い彼女
僕の彼女には欠点がある。それは絶望的に影が薄い、ということだ――。
僕は隣にいる彼女に視線を移す。肩より少し長く伸ばしてある黒髪。どこにでもいそうな薄い顔立ちをしている。けれど彼女は上品で清楚感があって。それなのに笑うと一気にふにゃっと可愛くなるのが癖になる。
彼女が僕の視線に気付いて「ん?」と上目遣いで僕を見る。
ああ、ほら。可愛い。愛おしい。
僕は彼女の手を引いて近くのファミリーレストランに入った。
「いらっしゃいませ~」とウエイトレスのお姉さんが声を張り上げる。
「おひとり様ですか?」
僕はそっとため息。
またか……。
彼女の欠点、発揮。
「いえ、二人です」
「では待ち合わせですね」
「いやいや。二人ですって」
僕は彼女に苦笑いを浮かべる。彼女も僕に苦笑いを返している。
もういつものことだから慣れっこだ。
彼女は絶望的に影が薄い。何故か他人には一目で彼女を認識できないようだ。
ウエイトレスのお姉さんは眉に力を込めながら「そ、それじゃあご案内しますね」と僕達を席に案内する。
僕達を不思議そうな目で見て来たり、訝しむ様な目で見て来たりする人はたくさんいる。この視線にももう慣れっこだ。
ウエイトレスは四人掛けの広々とした席に僕達を案内した。窓側の隅の席で、左の席には年配の夫婦が和やかに食事を楽しんでいる。彼女にソファー席を譲って、僕は反対側の椅子に座った。
僕はさっそく彼女にむけてメニューを広げる。僕も彼女もガッツリとではないが、ほんの少しお腹が減っている。
「どれにしようか。僕はフライドポテトでもつまもうかな」
僕の声が予想以上に大きくなってしまったのか、左席の夫婦が僕達をチラチラ見ながらひそひそ話をしている。
彼女の影が薄いから、僕が一人で話しているヤバいやつに見えているのだろう。
こういう反応にも慣れっこだ。僕はなるべく左の席を見ないようにしつつ彼女を見る。彼女はどれにしようか決めかねているのか、あちこちに目線をやった後、一つの写真を指差す。
スフレパンケーキ二段。上に生クリームと苺がたくさんのっかっている。
「いつもと同じじゃないか」
僕の言葉に彼女は照れ笑いを返す。
彼女はこのレストランのスフレパンケーキが大好物なのだ。もちろん僕もそれを知っていて、彼女をこのレストランに引っ張ってきたわけだが。
僕はウエイトレスを呼んで料理を注文する。席に案内してくれたウエイトレスと違ったからか。また妙な視線をこちらに向けながらウエイトレスは注文をとった。
しばらくして頼んだ料理がやってくる。
「お待たせしました。フライドポテトと苺のスフレパンケーキです」
二つとも当然のように僕の前の机に置かれてしまった。
「いえ。スフレパンケーキは彼女に」
「…………?」
注文を取ったウエイトレスが運んできたのだが。まだ彼女の存在に気付いていないらしい。
ウエイトレスは怪訝な顔を浮かべながら、僕が指示した通り向かいの彼女の席にパンケーキを置いた。
僕が苦笑いを浮かべると、彼女も苦笑いを浮かべる。
そんな彼女を見ていると、どうにも放っておけなくて。心の底からの笑顔を見てみたいと。そういう気分になってくる。
彼女はキラキラとした瞳でスフレパンケーキを口いっぱいに頬張る。
「美味しい?」
僕の問いに彼女はパンケーキを頬張りながらコクコクと頷く。
どれだけ影が薄くても。そのせいで大変なことがあっても。こういう可愛いところを見ていると、全てが報われた気分になる――。
僕のフライドポテトを半分彼女に上げて、僕も彼女のパンケーキを半分もらう。
僕も彼女も食事が終わって、しばらく休憩してから一緒に帰路に着いた。
僕と彼女は同棲してもう何年も経っている。
そろそろ結婚してもいい頃合いかな、とは思っているのだが……。何故かお金が貯まらない。まぁ、僕が安月給のせいという理由もあるのだが。
何はともあれ。なかなか結婚話を切り出さない僕に痺れを切らしたり、怒ったりせず。ほんわかのんびりと僕と接してくれる。そんな彼女は僕にとってかなりの癒しだ。
僕は二人分のポトフを作りながら、彼女に目を向けた。彼女は疲れてしまっているのか、ソファーで寝てしまっている。
ここ最近、彼女は疲れているのか。元々あまり喋らなかったのにさらに無口になってしまい、よく眠るようになった。
僕が家事をすることで彼女の疲れが軽減されるなら……してあげたい。
グツグツと沸騰してきていい匂いが部屋に広がる。ウインナーとブロッコリーを鍋に投入する。と、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。
「? はい」
僕は返事をして玄関まで急ぐ。
彼女は影が薄いから相手にしてもらえないことが多々ある。よって来客への対応は自然と僕の担当となった。
僕が玄関を開けるとそこには見知った顔がいた。彼女の父と母だ。二人とも高齢であり、白髪はギリギリ生えていないが、かなりの数の皺が顔に刻まれている。父親はキリッとしていて、厳しく上品な雰囲気を纏っているが顔は薄い。母親は顔がどちらかといえば濃い。けれど笑うとふにゃっとなるところは彼女とよく似ている。
「お久しぶりです」
僕は背筋を伸ばして二人を招き入れた。彼女の父と母は敷いてあるカーペットに正座で座る。僕はポトフを作っている鍋の火を一旦止めて、お茶を用意した。
彼女の父と母の近くにあるちゃぶ台にお茶を置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼女はまだソファーで寝てしまっている。相当疲れているらしい。
僕は彼女を起こさないように声をおさえて「すみません」と二人に頭を下げる。
「彼女、最近疲れているみたいで。本当は起こした方がいいんでしょうけど。しばらく寝かせてあげてください」
僕はソファーで眠る彼女に視線を向ける。彼女はスース―と寝息をたてていて、そのたびに胸が上下する。
すると彼女の両親は何故か眉を潜めて顔を見合わせる。かと思ったら、父親はやけに真剣な顔をして僕に向き合った。
「僕には娘の姿なんて見えないよ」
「…………は? 何言ってんだ」
思わず彼女の両親の前だというのに、失礼な言動をとってしまった。けれど。そんなことどうでもよくなるくらいに、父親の言動は訳が分からなかった。
彼女としばらく会っていなかったから、彼女に気付かなかった。……いや、しばらく会っていないからといって。あまりに酷すぎるだろ。
「彼女ならそこにいますよ。よく見て下さい」
「いや、いないよ」
「はあ!?」
僕は思わず立ち上がって彼女の肩を揺さぶる。
「ほら。そろそろ起きて」
僕の声に反応するように彼女はゴシゴシと瞼を拭い、パチッと目を開ける。つぶらな瞳が僕を捉えて、彼女はふにゃっと笑った。
「ほら。今起きて」
「もうやめないか!!!」
「!?」
父親の急な大声に肩が跳ねる。
「もう、やめないか……。娘は死んだんだ。とっくに。交通事故で」
「娘を大切に思ってくれているのはね。本当にありがたいと思っているのよ。でもね。あなたのためを思って、もう娘のことは忘れて。あなた自身の幸せを探してほしいと思っているのよ。私達も。そしてきっと娘も――――」
「……は?」
駄目だ。一体何を言っているのか分からない。だって、彼女は……。ほら。
僕は横にいる彼女に目線を移す。彼女はこちらを上目遣いで苦笑いをしていた。
ほら。――隣にいるじゃないか。
僕は彼女の両親の話を適当に聞いて外へと帰した。その後、作りかけだったポトフに再び火をかける。
「出来上がったらまた声をかけるから。眠っていていいよ」
そう声をかけると彼女はふにゃっと笑った。
影の薄い彼女 原月 藍奈 @haratuki
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