絵本屋さんの一夜

絵本のページをめくるうちは、

なんて愉快な物語だと余裕綽々でコーヒーをすすれる

湯気で曇る眼鏡も少しも気にならないし、

冷めていくコーヒーに自然の摂理を感じる余裕もある

ただ、物語の結末が近づくにつれて、言い知れぬ不安に襲われていく

ページをめくる手が徐々にゆっくりになって

瞬きの回数が多くなっていく

次ページの光景を受け入れることができなくなる


それでも一度始めた物語を途中でやめてしまうことはできない

書きかけの小説が残っていくのと同じで

人生を終えるその瞬間に、

心残りとして戸を叩いてやってくることは明白だろう


何より、抱く恐れとともにある、

先を読み進めたい気持ちが抑えられない


だからどれだけ擦過傷が増えようと、

どれだけ向き合いたくない現実が後に控えていようと

震える手を抑えながら、ページをめくっていく


物語が絵空事だったならどれだけよかったろう

であれば、何ひとつ憂うことはなかった

だが、つやつやの改ページは、嫌味ったらしくこちらを見ている

分厚く重みのある紙は、僕の指先を裂く隙を窺っているようだ

絵は当然のように動いて躍動感をもって僕に生きることを示すし、

文字も当然のようにそれに合わせて音を伴って耳元でささやくのだ


その時代を生きるのはさも僕とは全く異なる異次元の

いくつもの時代をまたいだ先にある光景のようでいて

ひとつページをめくった隣にあるような

そんな日常の一部にすぎない

ひとつ道を間違えれば歩いていたようなそんな道すがら


ただもう、虹を歩くような日々も、

徐々に増していくバックパックの重みも

脳みそを出して洗ったような感動も、絵空事にしかなりえないのだ


誰にも止められることなく、

一日の境目はあいまいで、自分が寝付くその時までは終わってくれない

興奮しきった頭は意識を手放すことをよしとしないし、

何より自分自身が、この一日に後悔を残したままでいる

明日が来ない確約があればそういった態度も肯定できるが

今ある材料だけではどうにも判断がつかない


歌いながら何も考えないようにして

散漫に落ち切った頭に無理やりいうことを聞かせる

絵本のページをめくるうちは、

頭の中の不協和音が鳴りやむことはない

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