蛇口ひとつの部屋

その部屋には蛇口一つしかない

但し書き

ここでいう一つというのは物体の個数としての一つではなく、

物体の種類としての一つを指す


物の個数として考えるのであれば、

蛇口はただ一つではない

多くの同類に囲まれて、部屋のあちこちにあって

その部屋すべてを構成しうるほどにあふれてありふれている


すべて色形同じに見えるけれど、

そこは凡人にはわからない趣味の領域

愛すべき収集癖のうただ


所狭しと並べられた蛇口の数々は、

いつしかゼンタングルパターンを形作る

無限に続くような可能性もはらむが、

家賃五万のちっぽけな部屋に収まる程度が器だ


規則性に満たされているようでいて、まったくもって不規則な

ただそれさえも予定調和の一端になる

そんな思わせぶりな後ろ姿、あるいは横顔は

モノ言うことも稀にしかないが、その稀な機会に印象を残す


その部屋に至るまでの鍵をもっているのであれば、

きっとその部屋は心を満たすに違いない

分かり合うべき同類も不要だ

たとえ外からスナイパーに狙われていようとも、

泥のように浸ることができるのであれば本望だ


レイアウトは自由でいい

何を置くも、除くもすべて手のひらの上だ

躍らせるも良し、弄ぶも良し

何も違わなくてよい

個性であろうと無個性であろうと等しく平等だ

ただ一つ、己が満足だけがすべての尺度だ


いつしか爆弾を投げ込まれて、

すべて塵と化して、灰になってしまうとしても

ただ生きている内の数年間を満たしうるのであれば

どのような暴力も甘んじて受け入れよう


ただ一つの猶予でいい

ただ一つの拘りでいい


うずたかく積みあがったごみくずの山も

その空間にあっては、エメラルドに勝る輝きを放つ

意味を見出せば、役割を与えれば

彼らとて、嬉々として輝きを示すだろう

それが張りぼての光であろうと

誰にも見えない、ほとんど役に立たないような光であろうとも

放置された廃トンネルを、入口も出口もわからずにさまよう今この時には

何よりも重要な道しるべなのだ


音楽は鳴り続ける

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