第12話
旧図書館の事件から二十四時間。僕が放った火種は想像を絶する勢いで燃え広がっていた。
詩織やその場にいた生徒たちが撮影した一条院の絶叫動画は『#陽泉学園の断罪』『#空から降ってきた真実』といったハッシュタグと共に瞬く間にネットの海を駆け巡った。テレビのニュース番組までがこの前代未聞の卒業式のスキャンダルを面白おかしく取り上げている。
陽泉学園は完全に機能不全に陥っていた。保護者からの問い合わせ電話が鳴りやまず学園の公式サイトはアクセス集中でサーバーがダウンした。
一条院司は彼の父親の手によって自宅に軟禁状態にあるらしい。一条院家は総力を挙げてこの事態の鎮静化を図っている。彼らは腕利きの弁護士を雇った。そして「水城玲は逆恨みのストーカーで証拠は全て捏造だ」という筋書きをメディアに流し始めた。
だが世間の目はもはや騙されない。一度地に落ちたカリスマはそう簡単には浮上できないのだ。
僕は事件の翌日、再び喫茶店『アルル』の奥まった席に座っていた。
向かいには興奮を隠しきれない様子の詩織がいる。
「見たレイ君!?ネットもテレビもあんたの話題で持ちきりよ!まるで映画みたいだったわ昨日のアレ!一条院のあの顔!一生の傑作ね!」
彼女は自分のタブレットに表示されたニュース記事を誇らしげに僕に見せた。
「ああ。だが詩織、あれはまだ序章に過ぎない」
僕の冷静な言葉に彼女はきょとんとした顔をした。
「序章?あれ以上のクライマックスがあるっていうの?」
「もちろんだ。昨日のはいわば公開処刑だ。観客の感情に訴えかけるただのショーに過ぎない。僕が本当に目指しているのはそんな曖昧なものじゃない」
僕は持参した一冊の古い本をテーブルの上に置いた。それは陽泉学園の創立当時の学則が記された貴重な資料だった。僕が計画の初期段階で国会図書館から取り寄せておいたものだ。
「僕たちの本当の戦場はここだ」
僕は本のページをめくりある一条文を指で示した。
「陽泉学園名誉規定。その第7条2項。『本校の名誉を著しく傷つけた者、またはその嫌疑をかけられた者は、己の名誉を回復するため、全校生徒および理事会の前で、公開討論会を要求する権利を有する』」
詩織はその条文を読み息をのんだ。
「公開討論会……?こんなルール聞いたこともないわ」
「あまりに古すぎて誰もが存在を忘れているからな。創立者の古き良き時代の理想論だ。だがこのルールは一度も改定されずに今も生きている。そして僕は、この権利を行使する資格を得た」
僕が論文盗用の罪を着せられた時、僕は「学園の名誉を傷つけた者」とされた。そして昨日一条院は全校生徒の前で僕を「卑劣な罠を仕掛けた犯人」だと断罪した。僕は二重に名誉を傷つけられている。
「一条院は弁護士を盾に法廷闘争に持ち込むつもりだろう。だがその土俵には乗らない。僕が戦う場所は陽泉学園という閉ざされた王国の中だ。彼が最も得意としていた場所で彼を完膚なきまでに叩き潰す」
「待って。でもあんたはもう退学処分になった生徒よ。そんな要求学園が認めるわけ……」
詩織の懸念はもっともだった。
「だから第三者を通す」
僕はカバンからもう一通の封筒を取り出した。
「これは公証役場で正式な認証を受けた公式な書類だ。『公開討論会開催要求書』。これを内容証明郵便で学園の理事会宛に送付する。理事会はこれを無視することはできない。無視すれば学園が自らのルールを破ったことになり、それこそ世間に対する最大のスキャンダルになる」
詩織は僕の用意周到さに感嘆のため息を漏らした。
「……あんたって本当に何手先まで読んでるのよ」
「全ての手だ」
僕は静かに答えた。
「このチェスは僕が始めた。そして終わらせるのも僕だ」
僕は詩織に最後の頼みごとをした。この要求書を送付したという事実を彼女のジャーナリストとしてのルートを使い、懇意にしているメディアに匿名でリークしてもらうこと。外堀を完全に埋めるためだ。
喫茶店を出て僕は郵便局へと向かった。内容証明郵便の窓口で要求書を差し出す。局員が機械的な手続きを進めていく。
この一通の手紙が僕の復讐劇の最終幕の幕開けを告げるゴングになる。
一条院司。君は今、屈辱と怒りに打ち震えていることだろう。
だが安心しろ。君がその汚名を返上するチャンスを僕が与えてやる。君が最も得意とする言葉と言葉がぶつかり合う討論という名の舞台を、用意してやった。
観客は全校生徒と理事会。そしてルールはこの学園の絶対的な掟。
「さあ始めようか。君が望んだ本当の知的な戦いを。僕のルールの上でな」
郵便局員が受領証を僕に手渡した。その一枚の紙が僕にとっての宣戦布告の証だった。
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