第11話
時が止まった。
一条院司の足元に僕の仕掛けた証拠品が舞い降りた瞬間、旧図書館のホールは絶対的な静寂に包まれた。幻想的なプロジェクションマッピングの光だけが壁や天井を走り、演台の上で凍り付いたカリスマ生徒会長の蒼白な顔を照らし出している。
その静寂を最初に破ったのは一人の生徒が発した「うそ……」という掠れた呟きだった。
その一言が引き金になり、堰を切ったようにホールは爆発的な喧騒に包まれた。
「なんだあれは!」
「空から何かが降ってきたぞ!」
「水城玲と書いてある。論文盗用はあの事件か?」
近くにいた生徒たちが演台の周りに散らばった証拠品を拾い上げ、食い入るように見つめている。彼らの手の中で僕の無実を証明する証拠が次々と共有されていく。スマートフォンを構えこの歴史的瞬間を記録しようとする生徒たちのフラッシュが狂ったように焚かれた。
教師たちが「静粛に」「席に戻りなさい」と叫ぶがその声は巨大な波のようなざわめきにかき消され誰の耳にも届かない。秩序は完全に崩壊した。
そして全ての視線の中心で怒りの沸点を超えた一条院司がついに動いた。
「ふざけるなああぁぁっ!」
獣のような絶叫がホールに響き渡る。彼は演台の上の証拠品を狂ったように手で払い落とした。その形相はもはや彼が今まで築き上げた冷静沈着なカリスマの面影を微塵も残してはいなかった。
「デタラメだ!こんなもの全て捏造だ!あの裏切り者が仕組んだ卑劣な罠だ!」
彼は憎悪に満ちた目でホールの暗闇を睨みつけた。
「水城玲!そこにいるんだろう!出てこい!この卑怯者がっ!」
自らの口で僕の名前を叫びこの騒動と僕を結びつけた。それは墓穴を掘る行為に等しい。生徒たちの間で「やはり水城は嵌められたのではないか」という疑念が確信へと変わっていく瞬間だった。
その時、二階の回廊でひときわ強いフラッシュが光った。
詩織だ。彼女は新聞部の腕章をこれ見よがしにつけ、この歴史的なスクープをそのカメラに収めている。一条院の醜態、生徒たちの混乱、その全てが動かぬ証拠として記録されていく。
僕は薄暗いボイラー室の司令室でその光景を静かに見つめていた。
モニターに映る無様に怒り狂う一条院の姿。冷たい満足感が僕の胸に広がっていく。
だがまだだ。まだこのショーは終わらない。
僕は最後の仕上げに取り掛かった。あの日危険を冒してまで手に入れた指向性スピーカーのスイッチを入れる。
マイクを通して怒鳴り散らす一条院。その彼の耳にだけ僕の声が届くように周波数を合わせた。
そしてマイクを通して静かにはっきりと彼にだけ聞こえる言葉を送った。
『ショーは始まったばかりだぜ一条院司』
その瞬間一条院の動きがぴたりと止まった。
彼の目が大きく見開かれる。誰にも聞こえないはずの声が脳内に直接響いたことに彼は混乱していた。
「誰だ……?」
彼はマイクを握りしめたままあたりをきょろきょろと見回す。その姿は完全に常軌を逸しているように見えた。
「誰だと言っている!今僕に話しかけたのは!」
彼の奇行に生徒たちはさらにどよめく。
「一条院様どうしたんだ?」
「誰も喋ってないぞ……?」
彼は僕が仕掛けた音響の罠によって衆人環視の中で完全に孤立した狂人へと仕立て上げられたのだ。
『君が築き上げた砂の城はもう崩れ始めている。聞こえるだろう?その崩壊の音が』
僕はさらに言葉を続けた。
「やめろ……やめろ!」
一条院は耳を塞ぎその場にうずくまりそうになる。その無様な姿に彼を信奉する者はもはや一人も残っていなかった。
「そこまでです!」
ついに事態を収拾するため学園長が数人の教師と共に演台へ駆け寄った。
「イベントは中止だ!生徒は速やかに解散しなさい!」
学園長は一条院の肩を掴み彼を舞台袖へと引きずっていく。一条院は最後まで何かを叫びながら抵抗していた。醜いあまりにも醜い王の退場だった。
ホールは興奮と混乱のるつぼと化していた。生徒たちは今日の出来事を口々に語り合いながら図書館を後にしていく。彼らのスマートフォンの中には一条院の失墜を記録した決定的な動画が保存されている。今夜ネットの世界は陽泉学園のスキャンダルで炎上するだろう。
僕は全てのモニターの電源を落とした。
ボイラー室は再び静寂と暗闇に包まれる。
僕の顔には何の感情も浮かんでいなかった。これは勝利の余韻に浸る場面ではない。まだ戦いは終わっていないのだから。
物理的なトリックは終わった。
だが僕の本当の卒業制作はここから始まるのだ。
「第一幕閉幕。さあ始めようか。君と僕の本当の卒業制作を」
僕は用意していた一通の封筒を手に取り、静かにしかし力強い足取りで闇に包まれた隠れ家を後にした。
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