第13話

僕が投じた一石は陽泉学園という淀んだ池に巨大な波紋を広げた。

内容証明郵便で送り付けられた『公開討論会開催要求書』。それは学園の理事会を大混乱に陥れるには十分すぎるほどの威力を持っていた。


学園が要求書を受け取った翌日、緊急の理事会が招集された。

その情報は改革派の早乙女理事から詩織を通じてすぐに僕の耳にもたらされた。

会議は紛糾を極めたらしい。


「ふざけるな!退学になった生徒にそんな権利などあるものか!」

一条院の父親である理事がそう怒鳴りつけたという。彼を中心とする守旧派の理事たちはこの要求を即刻却下しようとした。学園の恥をこれ以上世間に晒すわけにはいかない。それが彼らの本音だった。


だがここで僕が打っておいた布石が効果を発揮する。

「本当にそれでよろしいのですか?」

早乙女理事が静かにしかし鋭く切り込んだ。


「水城君の要求は正式な学則に則ったものです。これを我々が理由なく拒否したとなればどうなるか。世間は陽泉学園が自らの定めたルールさえ守れない腐敗した組織だと判断するでしょう。すでに一部のメディアがこの要求書の存在を嗅ぎつけています。これはもはや我々だけで処理できる問題ではありません」


彼女の言葉に理事会は沈黙した。僕と詩織が流したリーク情報が彼らの逃げ道を完全に塞いでいたのだ。

要求を呑めば学園内で再び醜態を晒すことになる。しかし拒否すれば学園全体の社会的信用が失墜する。まさに究極の選択だった。


最終的に理事会は早乙女理事の意見を呑まざるを得なかった。

公開討論会の開催が正式に決定されたのだ。


その決定は自宅で軟禁されていた一条院司の耳にも届いた。

彼の父親は最後まで討論会の開催に反対したという。「弁護士に任せておけばいい。あんな小僧の挑発に乗るな」と。

だが一条院はその忠告を自らの手で退けた。


「やらせてください父さん」

彼はそう言ったという。その瞳には屈辱を晴らすための復讐の炎が燃え盛っていた。

「あいつは僕を衆目の前で辱めた。同じ舞台で僕自身の力であいつの嘘を暴き、完膚なきまでに叩き潰してみせます。小細工なしの本当の力で」


彼の高すぎるプライドがそうさせたのだ。彼は僕の挑発に真正面から乗ってきた。自分が言葉の勝負で僕のような貧乏特待生に負けるはずがない。そう信じきっていた。

彼はこの討論会を自らの名誉を回復し完全復活を遂げるための最高のステージだと考えたのだ。


(愚かだな一条院。君はまだ自分が誰と戦っているのか理解していない)


数日後、陽泉学園の公式サイトで正式な告知がなされた。

『特別公開討論会の開催について』

日時は一週間後。場所は学園の第一講堂。

討論のテーマは『一連の騒動における真実の究明と名誉の回復について』。

原告水城玲。被告一条院司。

全校生徒の出席を義務とし理事会がその審判を下す。


この告知はネットニュースやSNSで再び爆発的に拡散された。

世間はこの前代未聞の学生同士の公開討論会を『真実のデュエル』と呼び、その行方を固唾をのんで見守っていた。


僕はボイラー室の司令室でその告知の画面を冷徹な目で見つめていた。

僕の卒業制作は最終章へと突入した。もはや物理的なトリックは必要ない。ここからの武器は言葉と論理そして動かぬ証拠だけだ。


僕はノートパソコンの画面に一枚の相関図を映し出した。

そしてそこに僕が召喚する『証人』たちのリストを書き加えていく。

西園寺隼人。白石結菜。進路指導の田中正平。そして会計不正の渦中にいる五十嵐正臣教頭。


彼らは僕の敵だった。だが今や僕が操ることのできる重要な駒に過ぎない。

彼らは証言台に立つことを拒むだろう。だが僕の手の中には彼らが拒否できないだけの『切り札』が全て揃っている。


討論会までの一週間。僕は全ての時間をその準備に費やした。

一条院がどのような反論をしてくるか。彼の弁護士がどのような論理武装をしてくるか。その全てをシミュレートし何百通りもの応答シナリオを脳内に構築していく。


これは戦争だ。情報と心理を駆使した現代の戦争。

そして僕はこの戦場で絶対に負けることはない。


討論会の前日。

僕は司令室のノートパソコンでチェスのプログラムを起動した。

そして一人静かに盤面へと向き合う。


白のキングは一条院司。黒のキングは僕、水城玲。

僕は彼の思考を読み彼のプライドを利用し彼を僕が望む盤面へと完璧に誘導してきた。


カチリと。

僕は画面の中の黒のナイトを動かす。

次の瞬間パソコンの画面に無慈悲な文字が浮かび上がった。


『チェックメイト』


僕は静かにパソコンを閉じた。

窓の外は決戦の朝を告げる朝焼けに染まり始めていた。


「盤上の準備は全て整った。君はもう詰んでいるんだよ一条院司」


僕の遅すぎた卒業制作。その本当のフィナーレが今始まろうとしていた。

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