第2話:灰色の浪速に潜む影
浪速区のはずれ、かつて防空壕として使われていた地下遺構の一角に、証の“家”はある。
地上とは切り離されたその空間は、湿った空気と鉄錆の匂いが充満していた。
蛍光灯は半分しか点かず、床にはボロ布団。壁に立てかけられた
まるで時が止まったような、無音の部屋。
証は狙撃銃のメンテナンスを終えると、黙ってひと息ついた。
さっき仕留めた『
この街じゃ、命が軽い。
だからこそ、証は黙って狙う。言葉ではなく、銃声で生きていることを刻む。
「……来たか」
地下に似つかわしくないヒールの音が、階段の上から響いてきた。
静かに降りてきたのは、黒のパンツスーツを身に纏う女。
長い髪にピアスを揺らし、薄く笑うその姿は、まるで都会の夜そのもの。
「仕事、成功やね。さすが《浪速の証明人》やわ」
女の名は
裏界で情報を操る女狐。年齢も素性も不明だが、証とは奇妙な契約関係にある。
証は目を合わせない。ただ銃を拭きながらつぶやく。
「仕事やっただけや。報酬は?」
「きっちり振り込んどいた。でも……今日はそれだけやない」
紗霧は一枚の写真を取り出し、証の前に置いた。
そこには、浪速中央市場の屋上に立つ中年男の姿。スーツにサングラス、腕には龍の刺青。
見るからに裏の人間。だが、問題はそこじゃなかった。
「“影の主”──浪速市場を牛耳っとるフィクサーや。表では一切の記録がない。
でも、その男が最近、“何か”を動かしてる。あんたに頼みたいのは、そいつの始末」
証は視線だけで写真を眺める。だが、すぐに眉をひそめた。
「……これは?」
写真の端に、もうひとつの影が写っていた。
遠くのビルの屋上、
「これ、別のスナイパーやな?」
「正確には──あんたの競争相手。最近、裏界に現れた新顔でね。情報も技術もプロ級。
ただ……どこの誰かも、わからへん。コードネームもない。あるのは噂だけ」
証は写真をもう一度見つめる。
その影は、まるで自分をなぞるように構えていた。構えのクセ、銃の長さ、姿勢。
見覚えがないのに、どこか気配が似ている。
「つまり、そいつと俺の……狙撃決闘やな」
「そう思ってくれてええ。
──ただ、あんたが“外す”こともあるって、初めて思ったわ」
紗霧の言葉に、証は口元をわずかに動かす。
「面白いこと言うな。狙ったもんは外さん。それが俺や」
無音の返答。静かにラジオから昭和歌謡が流れ始めた。
それがBGMのように響く中、証はもう一度、銃を構え直していた。
紗霧は笑いながら階段を上る。
「来週の火曜、夜二十一時。浪速中央市場の屋上──戦場はそこや。
“もう一人の狙撃手”と、どっちが先に証を残せるか……見ものやね」
証は答えず、ただゆっくりとボルトを引いた。
乾いた金属音が、薄暗い地下に響く。
「その時、俺の
灰色の浪速に、またひとつ、銃口が交錯する音が忍び寄っていた。
---------火曜、夜---------
浪速中央市場は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
外灯はまばらに点灯し、冷えた風が海の方角から吹き抜ける。
証は、建物南側の倉庫の屋根に伏せていた。
「二十一時、風速1.8。気温19度。視界、良好。ターゲット──来たな」
ターゲットの“影の主”は、ボディガードらしき男たちを引き連れ、事務所へ入っていく。
照準は整った。いつでも撃てる。
だが──証は指を止めた。
「……先に構えとる、誰かが」
視界の端、ビルの屋上。そこにもう一つの銃口があった。
黒いバンダナ。黒ずくめの戦闘服。構えは完璧。狙いもズレていない。
だが、その視線が一瞬、こちらを捉えた。
──バチン、と。
目が合った気がした。
(見とる……こっちを)
次の瞬間、銃声。
──Crack!
証は即座に身を引いた。
屋根の縁に、弾痕。精密な一撃だった。証が0.3秒遅れていたら、眉間を貫かれていた。
「……マジやな」
敵の照準は、証そのものだった。
つまりこの夜、“影の主”は
本命は、証と“もう一人のスナイパー”の決闘。
屋根を転がりながら移動、視線を切り、別の角度からスコープを覗く。
(女や……年は……十八くらいか?)
相手は冷静だった。無駄な動きは一つもない。
構え、反応、射撃のテンポ──まるで軍人。
だが、どこかで見たようなクセのあるフォーム。
敵の名前も素性もわからない。ただ、証の中の“本能”だけが警鐘を鳴らしていた。
(あいつ……俺と似とる)
ふいに、風が変わった。
その瞬間、再び銃声。
証はそれを読んでいた。先に動いた。
──Crack!
──Ping!
鉄製の電柱が跳ね、火花が散る。
二発の弾は、まるで呼吸するように交錯し、空を裂いた。
狙撃手が、狙撃手を撃つ……
この街では誰も見たことのない構図。
冷えた銃と冷えた視線が、夜の浪速を灼いた。
ビルの屋上、彼女がゆっくりと立ち上がる。
口元にうっすら笑みを浮かべ、叫ぶ。
「アンタが“証”やろ? 話が早いわ。あんたを撃ちたくて来たんよ」
証もまた立ち上がる。銃口を下げたまま、視線だけで応じる。
「……あんたは誰や」
「浪乱
「浪速に吹く風が……銃持っとるとはな」
「それ、そっくりそのまま返すで?」
二人の指が、再び引き金にかかる。
だが、互いの動きはピタリと止まった。
「この街は、こんなガキの遊び場やない」
「アンタが言うか。腐らせたんは、大人やろ」
緊張が極限に達した瞬間、視線の奥にあったのは──怒りでも、殺意でもなく。
──理解。
それに気づいた証が、つぶやく。
「……あんた、ただの
懐飆も、ニッと笑った。
「あんたも、ただの
この街の“秩序”を崩す者と、それを撃ち抜く者。
立場は違えど、行き着く先は同じだった。
風が止んだ。
銃声は消えた。
そして、浪速に新しい“協定”の風が吹き始めた──。
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