第2話 新婚生活初日
『****、君は、君の自由に生きて』
『嫌よ、そんなの。あなたがいないなんて…』
『あなたが××を殺したのね』
『病気の夫を働かせて自分は豪遊してたんでしょう?』
『悪魔のような女ね、××が可哀想』
『最低』
私はこいつらには悪魔に見えるのか。
だから家も思い出も、全て奪われたのか。
あの人の亡骸でさえも。
***
「嫌な夢」
ティリスにとって、誰かを愛するという行為は、苦痛を伴う。
あの時の悲しみを思い出すから。
ベッド脇に置いてあるペンダントを開くと、そこにはかつての夫の写真があった。
ティリスが唯一持っている、夫の写真。
「これとも暫くお別れね」
ペンダントをジュエリーボックスに仕舞って、ベッドから起き上がる。
明日はついに、ニアテック家に嫁ぐ日だ。
「彼はどれ程私に豪遊させてくれるかしら」
金品は裏切らない、ティリスを悲しませることは無い。
だからティリスは金持ちと結婚して、その人が死ぬまで表面上その人を愛して、亡くなったら遺産を貰い、そこで遺族との関係を終わらせてきた。
今回もそうする予定だ。
情など持ってしまっては、悲しくなるだけだと知っているから。
ティリスは魔法のトランクに荷物を詰め込み、家を出た。
ティリスが住むのは雷魔法属性のボルケーノ大陸のとある森にある、捨てられた小屋。
魔法の力でリノベーションし、あの日からティリスが住んでいる場所だ。
「暫くお別れね」
ティリスは家を後にした。
***
「ティリス様、どうぞ」
「ありがとうございます」
転移魔法でフィブルス王国についたティリスは、従者に言われるがまま、後ろをついて行く。
屋敷に到着したのはいいものの、そこに夫となるイングリッドはいない。
周りを見回していると、こちらです、と連れてこられた先は、面談をした屋敷から遠く離れた場所で、日の当たらない薄暗い裏路地を抜けた所に、一般家庭の一軒家、いやそれ以下のプレハブ小屋のようなただのボロい平屋があった。
そこには、褐色肌と合う白のタキシードを着た、夫となるイングリッドが立っていた。
「ティリス様、お待ちしておりました」
「どうも…」
「驚かせてしまって申し訳ございません」
驚かない方が無理である。
ティリスは屋敷と平屋を2度見した。
本当にここが二アテック家次男の家なのか、と。
「少し事情がありまして。中は綺麗ですから、どうぞ」
「え、ええ…」
(金持ちに嫁いだと思ったのに。失敗だったわね)
ティリスは心の中で呟いた。
***
玄関は貴族の家らしい豪華なシャンデリアなどは全くなく、一般家庭のような電気がついているだけだ。
ティリスはイングリッドに案内されるがまま、食卓へと向かった。
食卓も、また同じだった。
家具は少し金を出せば買えるようなもので、そこには金粉や大理石が使われてなどいない。
どうぞ、と椅子を引かれ、ティリスは座った。
「ローズティーはお飲みになれますか?」
「はい。ところで先程の従者は…」
従者はティリスを案内し終えると、そそくさと屋敷に戻って行った。
どこの金持ちも必ずひとりやふたり世話係がいるものだが、玄関を開けても誰1人やってくる気配はなかった。
「あの方は屋敷の従者なので…」
「ここはあなた1人だけで住んでいるの?」
「はい、そうです」
この家は普通じゃない、何か秘密がある。
よくよく考えてみれば、貴族騎士の次男の嫁を取るのに何故あんなにも応募者が少なかったのか。
何か裏があるに違いない、とティリスは察した。
「あの…お伺いしても良いのか分かりませんが…。貴族騎士の次男ともあろうお方が従者がいないとは…」
「私は、家族との血の繋がりがないのです」
ローズティーを入れ終えたイングリッドがサラッと言い放った言葉に、ティリスは空いた口が塞がらなかった。
「驚かれましたよね。正式に言うと、父とは血の繋がりはあるのですが…。母や兄弟とは…」
「そうなのね」
ティリスは冷静なフリをしてローズティーを飲むが、心の中では後悔していた。
こんなことなら、嫁になるんじゃなかったと。
「私は父と父の世話係の母との間に産まれたのです。母は出稼ぎでナタという村から、この家にやって来て、それで…」
「お母様は?」
「大分と前に亡くなりました。暗い話をしてすみません」
イングリッドは伏し目がちに、ティリスに謝罪しつつも、話を続ける。
「本当は先にこの話をしたかったのですが、母――いえ、マヤンザ様にそんな事を言ったって嫁は来ないのだから、言ったって意味が無い、と」
「この家は――」
「父がマヤンザ様の反対を押し切って建ててくれたそうです」
不倫の末にできた子供。
それがこの男、二アテック・イングリッド。
「それはこの国の方は――」
「知っています。マヤンザ様が大々的に発表したそうなので」
「その割には妻候補の方が何人もいたのね」
「……選んだのはマヤンザ様なので。私には…」
話を聞く限り、生かしてもらえているだけでも有難く思え、という感じだろう。
格式ある貴族騎士の家の子に、出稼ぎに来た女との子供が生まれ、血を汚された。
殺さなかったのは、二アテック家の当主でありイングリッドの父がそれを拒んだからだろうと推測できる。
随分と闇が深い家だ。
「私を選んだのは、あなたなのかしら?」
「はい」
「どうして私を選んだのかしら」
「ティリス様は、運命というのを信じますか?」
運命。
その言葉に、ティリスはローズティーを吹き出しそうになった。
『君と出会えたのは、運命だ』
(あの人もそうやって私を受け入れてくれたわね)
運命など、命に比べたらちっぽけでしょうもないものだと、ティリスは知っている。
命を運ぶ、と書いて運命と呼ぶという言葉通り、世の中は上手くいかない。
「運命?まるで御伽噺のような事を仰るのね」
「私もそう思っていました。ですがあなたを見た時に、この人だと思ったのです」
イングリッドがティリスの前に跪き、ジャケットから小さな箱を取り出した。
中には、小さな石が嵌め込まれた指輪があった。
「不束者ではございますがこのイングリッド、命に変えてもティリス様を守り抜くと誓います」
「様、なんて言わないで。私たちは夫婦なのですから」
「では、ティリス。これからよろしくお願いします」
「イングリッド。こちらこそ、よろしくね」
金があればいい、今までそうして生きてきた。
しかし今回はそうはいかなそうだと、ティリスは心の中でまたも後悔をしつつ、差し出した左薬指に指輪をはめてもらった。
***
『あっははは!何それ!』
「しーっ!静かに!聞かれたらどうするのよ」
『ごめんごめん。まさかそんな人と結婚だなんて…』
「しかも嫁候補に来てた人は皆各家庭でも問題ある子達だったみたいで…」
ティリスは用意された部屋に荷物を出して、深くため息をついた。
問題ある子達というのは、この家を抜け出してティリスがその辺を歩いていた従者に問い詰めてわかった事だった。
家庭ではみ出しものの子、一般家庭と言いながら最下層の家の子、家事も何も出来ない召使いの家の子。
相手が誰であれ、何がなんでも嫁にして成り上がりたいわけだ。
「指輪だってダイヤモンドもついてないのよ。はぁ…」
『まあまあ、いいじゃない』
「良くないわよ。金がないならとっとと消えたいくらい」
『酷いことを言うようだけれど、毒殺でもすればいいじゃない』
あの話を聞いてそんな事が出来るほど、ティリスは鬼ではない。
産まれた瞬間から、苦労する人生を約束され、彼はそのレールの上を通って生きてきた。
彼が今生きているのは、父の言葉だけではないだろう。
産みの母もきっとそれを望んでいただろうし、彼自身もその願いを叶えたいのだと思う。
「それは無理な話ね」
『なら頑張ってちょうだい。落ち着いたら会いに行かせてね!』
『ママ~!』
通信機越しでも聞こえる、ハミスの子供たちの声。
「呼んでるわよ。早く行っておいで」
『ごめんなさいね!はいはい今行くわ!』
プツリと通信が切れ、ティリスは持ってきたベッドに体を預けた。
「どうしようかしら…」
ティリスは貰った指輪を眺め、今日何度目か分からないため息をついた。
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