第3話 義母たちとの最悪な出会い1

『****、今日は元気そうだね』

『ありがとう、××。貴方のお陰よ』

『そんな事はないさ。君の為なら命だって掛けられるんだから』

『大好きよ、××。これからもずっと一緒にいてね』

『勿論さ』



***



「はっ、はぁ、はぁっ…。また、あの人の夢…」


他の人に嫁いだ時も、大好きだった夫の夢を見る。

愛してもいない人に嫁ぐな、と言われているみたいだった。


「貴方だけよ。私が愛しているのは、他でもない貴方だけ…」


棚の上に置いてある小さな箱からペンダントを取り出し、自分にそう言い聞かせる。

愛していると嘘を吐くのも、体を重ねるのも、仕方ないのだ。

金のため、円満夫婦を演じなければならないのだから。


「今何時かしら…」


時計を見ると、8時を回っていた。

今までの相手なら、使用人が朝食の時間になると起こしにやって来たものだが、この家には使用人などいない、居るのは今の夫であるイングリッドのみ。

起こしに来ないのは、彼なりの気遣いなのかもしれない。


「起きましょうか…」


ペンダントを仕舞い、身なりを整え着替えを済ませて部屋を出る。

リビングに向かうと、そこにはエプロン姿でキッチンに立っているイングリッドの姿があった。

貴族がするような格好ではなく、ティリスは驚きのあまりその場で立ちつくしてしまう。

そんなティリスの存在に気づいたのか、イングリッドがティリスの方を向いた。


「ティリス、おはようございます」

「あ、ええと、おはようございます。イングリッド、朝食は?」

「ティリスが起きてから一緒に食べようと思いまして。食べられないものはありますか?」

「いえ、特には…」


これが普通の家庭なら、夫婦間のやり取りなのだが、相手は事情があれど貴族の人間だ。

まさか従者とするような会話をするなんて思ってもみなかった。

ティリスは改めて、イングリッドの妻になった事を後悔した。


「ブラックコーヒーです、どうぞ」

「ありがとう」


ティリスはコーヒーを飲みながら、これからの事を考えていた。

イングリッドが死んだところで、大した遺産は手に入らないのは目に見えている、しかしここで離婚なんて言おうものなら、その大した遺産のひとつも手に入らない。

少しでも遺産を手に入れなければ、この結婚をした意味がない。

ならば、表面上だけでも、夫婦円満を演じなければ。


「今日の朝食はスクランブルエッグと食パンです。質素で申し訳ありません」

「別に気にしていないわ。私、小食なので」

「それはよかった。では一緒に食べましょう」


食卓に向かい合わせになって、朝食を摂るが、2人の間に会話はなく、静かな時間が続いた。

それを気にしたのか、イングリッドがティリスに話しかけてきた。


「答えたくなければいいのですが、ティリスは今までどちらに住んでいたのですか?」

「私ですか?私はオドゥールという村の外れの森に住んでいました」

「聞いたことのない村ですね」

「ボルケーノ大陸にある小さな村です」


ティリスは何度も他国の貴族たちの元に嫁いだが、妻として役目を終えると、必ずあの家に戻っていた。

大切な思い出のある、ボルケーノ大陸に。


「他に聞きたいことはあるかしら?」

「また聞きたいことがあればその時にお願いします」


先に朝食を食べ終えたイングリッドは、食器の片づけも自分でやっていた。


「家事はお母様に習ったの?」

「…!はい、そうです。母は家事が得意でしたから」


ティリスから話しかけてくれたことが嬉しかったのか、イングリッドは嬉しそうに母の話を始めた。


「料理がものすごく上手で、私にレシピを残してくれているんです。今夜にでも振舞わせてください」

「楽しみにしているわ」


そんな2人の会話はチャイムひとつで途切れた。


「来客の予定でもあるの?」

「いえ、そのような予定は…。気にせず朝食を召し上がっていてください」

「ええ…」


イングリッドが玄関に向かっていってすぐに、イングリッドが誰かと揉めている声が聞こえた。

ティリスは食事どころではなくなってしまい、やりとりを食卓から覗き見した。


「……事項ですので!」

「お待ちください!」

「触るな!汚らわしい!!」

「………」


イングリッドが話し相手の男を掴むと、男はイングリッドの手を、酷い言葉を吐き捨てて、跳ね除けた。

イングリッドは何も言い返すこともせず、立ち尽くしていた。

それを見た男は、フン!と言い残して扉を閉めた。


(なんだか見てはいけないものを見た気がするわ)


ティリスは見なかったフリをして、残りの朝食に手をつけた。

少しすると、イングリッドが食卓に戻ってきた。


「ティリス、朝食が終わったら話があります」

「今聞くわ。先程の来客の件でしょう?」


ティリスが問いただすと、イングリッドは話を続けた。


「はい。彼はマヤンザ様の従者の一人で、すぐにマヤンザ様の所に来るようにと…」

「今?どうしてまた…」

「『嫁に来たくせに挨拶もなしとはなんと無礼な』だそうです」


昨日はすぐこちらに案内され、ティリスは部屋で眠りについてしまったために、義父母に挨拶をしていないことを思い出した。


「分かりました。もうすぐ朝食を食べ終ますから、準備をしてから向かいましょう」

「申し訳ありません…」

「謝らなくていいのよ。挨拶を忘れていた私もわるいのだし」

「ですが…」

「気にしないで。貴方も準備してらっしゃい」

「ありがとうございます」


落ち込んでいたイングリッドを励ますと、イングリッドは直ぐに笑顔を取り戻した。

ふわっとした優しい雰囲気に、たれ目から放たれるにこやかな笑顔を見せられると、大型犬の様に見えて、ついつい甘やかしてしまいそうになる。


「食器は後で片付けます。置いておいてください」

「ええ。ありがとう」


ティリスは食事を終え、部屋に戻った。


「あまり派手な格好は出来ないわね…」


ティリスが選んだのは、青を基調としたシンプルなドレス。

装飾品を付けすぎると、何を言われるか分かったものではない。

今は大人しくしておいた方が、今後の生活が幾分かマシになるだろうと考え、イングリッドから貰った指輪だけを付け、化粧を始めた。

ファンデーションは肌と同じ色を、チークは薄めのピンクに、リップは薄いオレンジ色、アイラインとアイシャドウも目立たないように茶色と黒で纏め、髪の毛は左右に毛を残し一つくくりにし、15分ほどで部屋を出た。

イングリッドは既に準備を終えていたようで、玄関の前に立っていた。

イングリッドは昨日と同じ、白のタキシードを着ていた。

恐らく同じ物を何着か持ち合わせているのだろう。


「イングリッド、お待たせ」

「ティリス、よく似合っています」


イングリッドがティリスの頬を撫でる。

人に褒められるのは、悪くない。


「ありがとう」

「では、向かいましょうか」

「そうね」


緊張しているのだろうか、イングリッドは深呼吸をして、限界を開けた。


「イングリッド、転移魔法で家の前まで行きましょう」

「良いのですか?」

「気にしないで。その方が早く到着するわ」

「そうですね。ではお言葉に甘えます」


ティリスはイングリッドの手を握り、杖をひと振りした。

瞬間、体がふわっと舞い上がり、気づけばニアテック家の門前に立っていた。


「ありがとうございます」

「敬語はなくていいと言ったでしょう?」

「そうですね。ありがとう、ティリス」

「どういたしまして」


イングリッドが門兵に声を掛けると、門が開き、玄関まで案内される。


「マヤンザ様、イングリッドとその妻が来られました」

(呼び捨てだなんて、彼の立ち位置は本当に下なのね)


門兵にすら呼び捨てにされても、イングリッドが特に怒りもしないのは、この扱いに慣れてしまっているからだろう。

なんとも可哀想な青年だ。

門兵が声を掛けた瞬間、バン!と扉が開いた。

そこには、イングリッドとティリスを怪訝そうな目で見つめるマヤンザが立っていた。


「遅い、遅すぎるわ。私があなた達の元に従者をやったのはいつだと思っているの?」

「マヤンザ様、申し訳ございません」


イングリッドはすぐに膝まづいてマヤンザに謝罪の言葉を述べた。

しかしそれに納得がいかなかったのだろう、マヤンザはイングリッドの頭を持っている扇子で叩いた。


「どれだけ待ったかを聞いているの!」

「30分程かと…」

「そんなに私を待たせて!この!大馬鹿が!!」

「申し訳ございません…」


イングリッドはただただ頭を垂れるだけで、言い返すことも、やり返すこともしない。


(ああ、これが彼の生きてきた世界なのか、これが彼にとっては当たり前なのか。こんなに叩かれても、何も言わないで暴力に耐えるだけ。やり方は違えど、まるであの時の私を見ているようで―――)


『どうして××が死んでお前が生きているの!!』

『謝ったってあの子は帰ってこないのに!!』

『あのままお前が死ねばよかったのに!!』


「お義母様」

「なっ!!」

「……!」


ティリスは無意識にマヤンザの手を握っていた。


「この汚い手を離しなさい!!」

「離すわけにはいきません。離したらまた、この扇子てイングリッドの頭を叩くのでしょう?」

「お前達が遅れてくるからでしょう!?」

「今朝いきなり来いだなんて言われて、すぐに来れるとでも?こちらは朝食中だったのですが」


マヤンザの手首を握るティリスの手は、少しずつ力を強めていく。


「そもそもお前達が昨日挨拶に来ないから…」

「確かにそれは私達の不徳のいたすところです。ですがそれとイングリッドを叩く事になにか関係がおありですか?私にはただストレスを発散するためだけの行為にしか見えないのですが」


ティリスはマヤンザを睨みつけ、話を続ける。


「離しなさい!」

「いいえ離しません。貴方がイングリッドを叩かないと言うまでは、絶対に」

「ティリス…」


今まで誰かに助けて貰った事などなかったのだろう、イングリッドはティリスの行動をただポカンと見つめているだけだった。


「イングリッド、貴方もしっかりしなさい!私の夫でしょう!膝まづくだけならまだしも、叩かれてただ謝るだけなんて、情けないったらありゃしないわ!」

「ティリス、私は大丈夫ですから…」

「貴方は黙ってて!お義母様。兎に角、私は今の行為を許すつもりは一切ありません」

「い、痛い、痛い…」


ティリスの手に、更に力が籠る。

深入りするつもりなど、全くなかったというのに。


「もし今後同じような事をするのなら…」

「助けてあなた!!」


マヤンザが助けてと声をあげた瞬間、ティリスの首に剣が当たっていた。

それがイングリッドの実の父で、マヤンザの夫であるウッドワンの剣だと気づくのに、時間はかからなかった。


(速い!いつの間に…)

「マヤンザ、大丈夫か」

「あ、あぁ、あなた。この、この女が…」

「……!君はイングリッドの妻ではないか…。何があったんだい?」


マヤンザは震える手でティリスを指さす。


「この女が私のて、手首を…」

「ティリスと言ったかな。私の妻に何をしたのかな、回答次第では…」

「何もしていませんわ。少しお話をしていただけです。ねぇイングリッド?」


話を合わせろとイングリッドに目線を送ると、それに気づいたイングリッドは、戸惑いながらも上手く話を合わせてくれた。


「え、えぇ…。ただ、私達が遅れてしまったので、その謝罪を…」

「嘘おっしゃい!汚らわしい子が!私に嘘をついてどうなるか分かっているの!?」

「……っ」


その言葉に、イングリッドはびくりと反応した。

マヤンザにとって、イングリッドの言葉は全て嘘、本当の事など言うわけないと思われているのだろう。


「マヤンザ、落ち着いて。急に彼らを呼んだ私達にも責任はあるだろうし…。ティリス、マヤンザには何もしていないというのは、信じても良いんだね?」

「ええ、勿論です」


ウッドワンはマヤンザと違い、物腰柔らかい話し方でティリスやマヤンザを諭すが、マヤンザはそうはいかなかった。


「あなた!こんな嘘つきの妻の言葉を信じるのですか!」

「マヤンザ。今日は許してやってくれないか?」

「ですが…!」

「マヤンザ」


ウッドワンの目が、マヤンザを睨みつける。

その目にマヤンザは怯み、黙り込んだ。


「ティリス、剣を向けたこと、そして突然呼び出したことを謝罪させてほしい。イングリッドも、すまないね」

「父上…」

「父上だなんて呼ぶな!!汚らわしい!!」


マヤンザはイングリッドの放つ言葉の一挙手一投足に文句をつける。

イングリッドの事が心の底から憎い事がよく分かる。


「マヤンザ、部屋に戻ろう。2人とも、後で客間に案内するから待っていてくれないか?」

「ありがとうございます、お義父様」

「ありがとうございます、父上」


尚もぎゃあぎゃあと騒ぐマヤンザを、ウッドワンは宥めながら大広間を後にした。


「イングリッド、大丈夫ですか?」

「……情けない姿を見せてしまいましたね」


イングリッドはティリスの方を見ずに、申し訳ないと謝罪する。


「…とりあえず立ち上がってください」

「ありがとうございます…」


イングリッドは申し訳なさそうに、ティリスが差し出した手を取った。

それからウッドワンが大広間に戻ってくるまで、2人の間に会話はなかった。


「2人ともお待たせ。客間に案内するよ」

「ありがとうございます。ティリス、行きましょう」

「ええ」


ティリスとイングリッドは、敵だらけであろう客間へと足を運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る