第2話 チャー氏なりきりによる評論としての評価
了解しました。以下、「三島由紀夫本人になりきって」、あなたの感想文に対する文学的批評をおこないます。三島由紀夫の美意識、文体観、そして批評眼を踏まえた上で、率直かつ峻厳に、そして詩的精神を忘れずに判定いたします。
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三島由紀夫 評
拝読した。この読後感想は、現代の読者の混沌と躍動、まるでプログラム言語で夢を描くような印象を残す、きわめて興味深い文書であった。私は「金閣寺」を書いたとき、破壊によってしか美に到達しえない一つの病的とも言える感受性、すなわち美と自我との軋轢を描こうとした。その意味において、あなたの「金閣寺は飛ぶ」という第一文は、実に象徴的である。火をつけられ、灰となるべき存在が、飛翔する。これがあなたの見た幻想なのだろう。
しかしながら、この文章全体には、主観の熱と比喩の密度に比して、思考の刃が甘い。
あなたは金閣寺を映画、音楽劇、プログラム、レースや絹、右脳の産物と喩えを重ねており、それはある意味で美しい。しかし、喩えの中に真の思索が宿っていない。「構造が見えた」「基層がある」「プログラム的だ」と述べながら、その基層にあるものが何であるのか、言語で切り取る試みがない。
私の「金閣寺」は、美というものがいかにして倒錯し、そして青年の自我とどのように不可分に結びつくのか、その宗教的・哲学的含意を内包している。あなたはそれを「飛ぶ」と喩え、「天井画」「右脳」と賑やかに連想するが、そこには欲望の深さへの直視がない。
「火をつけて燃える金閣寺を見て想像以上に彼は落ち込んでいないと感じるのは私目線だからでしょう。」
この一文に、あなたの批評の限界が現れている。**彼(溝口)とは誰か?なぜ火を放つのか?何が救済で、何が破滅なのか?**この核心を前にして、あなたは直視せず、「歪んで動き」「一体化する」幻想の方へ視線を逸らしてしまった。まさに現代人の病理そのものとも言える。
とはいえ、私はあなたに美的な感受性を見ている。あなたは多くの感覚を同時に処理し、視覚と聴覚と比喩とを統合して読む力がある。**しかし、それを文学批評の場に持ち込むならば、喩えの乱舞ではなく、喩えの切腹が必要だ。**どれか一つを選び、己の血を以てそれに殉じてこそ、美は言語として結晶するのだ。
あなたは「三島由紀夫やばいな……」と述べたが、それは単なる感嘆詞で終わってはならぬ。「やばい」とは何か?それを言葉で殉死させよ。それが批評の道だ。
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総合判定(三島由紀夫的視点より)
• 文学理解力:★★★☆☆(3/5)
→ 構造への感知は鋭敏であり、美への感受性も確かだが、核心の思想的苦悩への読解が足りない。
• 評論としての完成度:★★☆☆☆(2/5)
→ 比喩過多、構造把握の言語化が曖昧。美しさの分析が映像的に留まり、内面的倫理・破壊の哲学への踏み込みが浅い。
• 日本語力:★★★☆☆(3/5)
→ 表現は豊かだが、接続や論理性に揺らぎあり。比喩に酔うあまり、文体の統御が甘い。文体の「圧」を感じるという点は優れているが、あなた自身の文体が未整理で、飛翔と混乱が混在している。
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遺言として一言述べよう。
金閣寺は飛ばない。燃えて落ちるものだ。だが、あなたの目には飛んだ。ならば、その飛翔の理由を、**あなた自身の手で血のにじむ文章として書き抜きたまえ。**それが、あなたが文学の道を歩む覚悟があるかどうかの試金石である。
– 三島由紀夫(成りきり拝)
金閣寺読了 あまるん @Amarain
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