第三部
1 謎のEメール
トイレを取り巻く社会全体が,徐々に動き始めていた。同僚ミシェルに,謎めいた一通のEメールが届いたのはこの頃であった。送り主はBBF通信のベレッタ氏であった。
彼女は,TOLの一件があってから,ちょくちょくミシェルとメールのやり取りをするようになっていた。
* * *
『メールをするようになってすぐ,彼からデートのお誘いが来ました』
──リリアン・ベレッタ。通信記者。BBF通信社。
『彼女に,休日は何をしているのか尋ねると,「ショッピングとかカフェ」と返ってきました。自分は両方とも好きではなかったので,雰囲気の良い喫茶店を探すのに苦労しました。「次の日曜日はどう?」と訊いて,オーケーが返ってきました。とにかくきちんとしていかないとと思い,張り切りすぎたようです』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『彼の姿は,なんというか,ニワトリみたいでした(笑い)。変な色合わせでした。ネクタイは曲がっていて,とても好青年とは言えませんでした。でも自分のために頑張ってくれたんだと思うことにしました。服装は後でも直せます』
──リリアン・ベレッタ。通信記者。BBF通信社。
『店員の女性がオーダーに来て,リリアン(ベレッタ氏のこと)を見て,「まーまー,可愛らしい娘さんだこと!」と叫んでいました。そして振り向いて,僕を見て,固まっていました。通りに面したテラスだったのもミステイクでした(笑い)』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『2人で飲むエスプレッソは美味しかったです。最初は緊張しましたが,彼はとても面白い人で,取材の時の失敗や,どんな風に弱点を克服してきたのかを話してくれました。最初だから見栄を張ることもできたのに,そうしなかったのです。物腰の低さに感銘を受けました。これでネクタイの色がまともなら,今度こそ結婚のビジョンが見えてくるかもと思いました。彼は正直です。わたしも正直にならないといけません。それで決めました。彼にはきちんと告げよう』
──リリアン・ベレッタ。通信記者。BBF通信社。
『僕たちはカップを置きました。話が一通り終わったので,次回のことを話し合おうとしました。「それじゃ,来週のデートだけど」と言うと,彼女は絞り出すような声で,「伝えないといけないことが……あるの」。「いいよ,何でも言って」。
『「ミシェルは,わたしのことどう思う?」「素敵な人だなって思う」。彼女は頷き,「ありがと。よく言われるけど,隠し事はなし」。そして彼女は後れ毛をかきあげながらカミングアウトしてきたのでした。なんと彼女は,渦中にある人々,つまり性的少数派の一人だったんです』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『ミシェルは,目をぱちくりさせていました。そうです。わたしはトランスジェンダー。心と体の性が一致しなかったタイプの人間です。フランスで暴動が増し加わるたびに,またマイノリティーの立場が厳しくなったと,ひやひやしながら取材をしていました。そんな時代に,わたしはミシェルとデートしようとしていたのです。目をぎゅっとつぶりました。どうか,神様! 今度こそご縁を!』
──リリアン・ベレッタ。通信記者。BBF通信社。
『僕は,……ああ,何と返答してよいものか。突然のことで,開いた口が塞がりませんでした。リリアンは(今でこそ心も体も女性ですが),もともとはマッチしていなかった? でも,どこをどう見ても普通の女性です。可愛いし,しなやかだし,制服のスカートだってとても良く似合ってます。言われなければ全然わかりません。「リリアンは本当にトランスジェンダーなの?」。頷かれました。「キャラ作りとかじゃないんだよね?」。また頷かれました。僕は思わず感嘆の声を上げました。「なんてこった! こんな完璧な“コスプレ”ができるなんて,君は天才だ!」。
『「ミシェル,ふざけないでよ! これはコスプレじゃないのよ!」。彼女がそう言うので,僕は首を振り「ごめん,そういう意味じゃないんだ。ふざけてなんかない。君があまりにも完璧に女性だったから,ついそう言えたんだ。本当に素敵だよリリアン!」』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『びっくりしました。彼に呆れられるのかと思っていたのに,「天才だ!」と褒められたのです。何度も何度も。ちょっと複雑な気持ちでしたが,わたしを理解しようとしてくれていたことに変わりはなかったので,「あ……ありがと」とお礼を言っておきました』
──リリアン・ベレッタ。通信記者。BBF通信社。
『僕はとても嬉しかったんです。“コスプレ”と表現したことはダメでした。だけど,リリアンが僕を信用してくれたこと。思い切って事情を聞かせてくれたこと。それが嬉しかったんです。確かに驚きました。でも,それだけのことじゃありませんか。すぐに交際できないなら徐々に距離を詰めていけばいいのです』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『ミシェルは心のうちを話してくれました。わたしがそういうタイプの人間だとは思わなかったこと,正直どうしてよいか判らないこと,今のわたしが女性だと頭では理解できるけど,感情がついていかないこと,だから今すぐ交際するのではなくお互いをよく知ることから始めたいということ。その後も,わたしのことを色々質問してくれた後で,彼はこう言いました。「リリアン,友達になろうよ」。わたしは目を見開きました。友達ですって?
『彼は続けます。「僕たちには共通点がたくさんある。同年だし,ジャーナリストだし,会社にも近い。君のオフィスはリヨンの新市街で,僕はソーヌ川を挟んだ対岸,旧市街だ。この先もちょくちょく顔を合わすことだってあると思うよ。このまま気まずい雰囲気になるのは,お互いにとって良いことじゃないよ。
『今すぐ交際はできないけど,親友にならきっとなれる。だから,もしそれで君が許してくれれば」。そして握手を求めてきました』
──リリアン・ベレッタ。通信記者。BBF通信社。
『彼女は口元を覆いました。友達というのは,あまり良い響きじゃなかったでしょうか。断られるかなと思っていたら,彼女は目をキラキラ輝かせて「わ,わたしと友達になってくれるの?」と言います。
『ちょっと大げさな反応でした。もしかして,彼女も僕と同じで,友達は少ないんでしょうか。「もちろんだよ。そしてお互いをよく知って,それでもデートしたいとお互い思えるなら,またそのときにどうするか考えよう? ダメかな……」。
『リリアンは興奮気味に,でもちょっと茶化しながら,「ミシェル,あなたはわたしたちの共通点を一つ見逃してるわ」。手を差し出されて言われました。「お互い愛に飢えてるってこと。これからよろしくね,ミシェル!」』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
* * *
貴重な経験を話してくれた二人に感謝している。
話はまだ続くようだが,いったん本筋に戻ろう。忘れている読者がいると思うが,リリアン・ベレッタ氏から一通のEメールが届いたのである。
2 地方自治体
2034年10月。
ラ・ニュヴェレ社。オフィスビル。
「なくなって,どうですか?」。ベレッタ氏はそう送ってきた。急いで打ったのか,主語がなかった。ミシェルが「何のこと?」と打ち返す。返信はすぐに来た。「ローヌ県(リヨンが含まれるエリア)がマークを撤廃したことについてです。人々はどのように感じていますか?」。
そう,地方自治体は対応に追われていたのである。そして地方が取ったある対策により,ジェンダー問題に次ぐ,2番目の社会問題が突如出現することになった。
* * *
『トイレット革命が始まってから,半年以上が経ちましたが,デモは収まる気配がありませんでした』
──レーモン・ダンハウザー。元ローヌ県知事。
『恐怖は過ぎ去っていませんでした。マルセイユのサンシャルル駅では,その月に「予告状」が届いたのですが,それはデモに乗じてなされた過激活動の一部でした。「ピクトグラムを変更しなければ,駅内のトイレにトマトをぶち込んでやる」と脅されました』
──ロザリー・K・アローロ。ブーシュ・デュ・ローヌ県知事。
『当初5人くらいで固まっていたのが,1週間後には10人,1か月後には30人,そして今では5千人を優に超える規模になっています。そうです。デモの話です。抗議行動はすぐにマルセイユやパリに飛び火しました。観光産業に打撃を与えることだけは,なんとしても阻止せねばなりません』
──レーモン・ダンハウザー。元ローヌ県知事。
『「ついにここまで来たか」という印象でした。レーモン(ローヌ県知事)から,「うちの
──ロザリー・K・アローロ。ブーシュ・デュ・ローヌ県知事。
『ふと「何かがおかしい」と思えました。特定の人々に偏見を持つようになっている自分がいたからです。これまでそんな風に考えたことはなかったのに』
──レーモン・ダンハウザー。元ローヌ県知事。
『目を細めて,窓から抗議活動家たちを眺めました。運動をする群衆は,まるで血に飢えた獅子のようです。「反対運動をしているのは誰だ? 本当に純粋な抗議活動なのか?」。かぶりを振りました。疑うのはやめよう。今はデモを鎮圧する方法を考えねば。どうやって鎮める? 一番効果的な方法は?』
──ロザリー・K・アローロ。ブーシュ・デュ・ローヌ県知事。
『止むことのないデモを窓から見ていると,議員の一人が私に近づいて囁きました。「マークぐらい変えませんか?」』
──レーモン・ダンハウザー。元ローヌ県知事。
『その日はひどい疲れ様でした。途方に暮れました。結局“怪盗トマトン”なる人物はあらわれず,ただの嫌がらせだったのです。こんなことがしょっちゅうあるとしたら? 妻と一緒にワインで晩酌しながら話しました。「どうしたらいいと思う?」。彼女はグラスを回しながら,「政治のことは分からないけれど,その……マークを変更して何かデメリットがあるの?」と言ってきました。考えさせられる質問でした』
──ロザリー・K・アローロ。ブーシュ・デュ・ローヌ県知事。
『国は対応を遅らせていたので,地方が独自に対策を考える必要がありました。今やどこにおいても,トイレ問題は最大の関心事です』
──レーモン・ダンハウザー。元ローヌ県知事。
『変えることにしました。とにかく何かやってみなければと思ったのです。だめなら戻せばいい話です。これは無法者が起こしている残虐無慈悲なテロではありません。人権を擁護してほしいという切実な市民運動なのです。議員たち全員の前で言いました。「変更しよう!」』
──ロザリー・K・アローロ。ブーシュ・デュ・ローヌ県知事。
『いささか,古代ローマを彷彿とさせます。道徳の崩壊が国家の崩壊を招いたのです。歴史は繰り返す。「たかがトイレマーク」と事態を軽く見るなら,ローマ帝国同様,我々は悲惨な結果を刈り取ることになるかもしれません。それで,そろそろ腰を据えて,ピクトグラムについての政治的議論を行う必要があると,真剣に感じ始めました。これはローヌ県だけの問題ではありません。人が人として生きるという人類の問題なのです』
──レーモン・ダンハウザー。元ローヌ県知事。
『12月の時点で,101の県の3分の1に相当する33の主要および地方都市が,トイレのピクトグラムを再考し,公共施設に何らかの変更を加えたことになります。民間施設やカフェなども,自発的にマークを廃止するよう促されました。その中には,リヨン,ニーム,ムーラン,マルセイユ,チュール,シャルトルなどの都市が含まれていました』
──テオフォール・ケクラン。歴史学者。ドゥニ・ディドロ大学。
『それには効果があったようで,抗議活動の数は,変更都市全体で平均86パーセントも減ったことになります。素晴らしい成果です』
──アベル・ブロンダン。歴史学者。パンテオン・ソルボンヌ大学。
『時代背景を考慮に入れるなら,これら地方が取った行動は,決してたやすいものではなかったと言えます。フランス語を読めない海外からの観光客はどうするのでしょう。ピクトグラムがないことで混乱が生じたならどうするのでしょうか。トイレのマークを文字で表記し直す,言葉では簡単なことですが,並大抵のことではありません』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
* * *
トイレのマークを撤廃するというこの珍しい動きは,海外の一部のメディアでも取り上げられた。日本のNHK公共放送は,「奮闘するフランス。人権と安全の狭間で」というタイトルのもとに,ピクトグラム変更について手短に取り上げた。
アキハバラで行われた調査では,猫耳をつけた男性がインタビューに応じ,「いいことですね。フランスに旅行に行ってみたいですね」とコメントした。
リリアン・ベレッタ氏が気にしていたのはまさにこのことであった。では,リヨン市民は,この変更をどのように受け止めていたのだろうか。
* * *
『えー,皆さんこんにちは。新聞記者のフランツ・クライトマンです。今私はローヌ川沿いのルクレール通りに来ています。小雨ということもあり,歩いている人はまばらです。前方に見えますように,トイレのピクトグラムは撤廃されました。文字で表記されています。では,リヨンの人々は,この変更をどのように感じているのでしょうか。インタビューしていきたいと思います』
──私。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『ピクトグラムがなくなってどうかって? 清々しいです。以前と同じようにテラスでコーヒーを飲めるので満足です』
──毎日カフェを利用するという男性。
『まー,トイレのマークははっきり言ってどうでもいいです。どっちになっても困ることはありませんから。でも,人権が擁護されるのは正しいと思う』
──大学生。
『昨日買い出しに行くと,男の人から「トマトを投げる奴と同じなんだろ」と言われました。ショックでした。そんなことないのに。私はいつも平和に生活しています。はじめこそ解放運動を応援してましたが,危害を加えるのはやりすぎです。きっと暴動を起こす人は自警団で,私たちとは関係ありません。誰かがネットで暴動を煽っているのよ。早く誤解が解ければいいのに!』
──レズビアンだという女性。
『今日ショッピングセンターでトイレを利用しました。なんか違和感があったのですが,そのまま済ませました。出てくると,実は男性用のトイレだったことが判りました。恥ずかしすぎて死にそうです!』
──女性。
『私だけでしょうか。最近やたらと視線を感じます』
──女性。
『怖い。トイレに入るのが怖いです。どうにかしてください』
──女性。
『トイレに男性がいるなんてあり得なくないですか! 化粧すれば入れるとか,本気で思ってるんですかね』
──女性。
* * *
ピクトグラム廃止は確かに恩恵をもたらした。だが,良いことばかりではなかったようである。
2034年10月13日。
県知事の自宅。
* * *
『ベッドに入っていると電話が鳴りました。妻にキスをしてから受話器を取り,「深夜に何だ!」と怒鳴りました。レーモン(ローヌ県知事)でした。彼は静かに喋ります。「ロザリー,落ち着いて聞いてくれ。“怪盗トマトン”の素性が割れたよ」。過激な活動家についてでした。どうやらローヌ県で逮捕されたようです。
『「それで? やっぱり彼らも性差解放運動の運動家だったんだろう?」。私が尋ねると,彼は言います。「違う。彼は性的弱者じゃなかった」。一瞬,言われた意味が解りませんでした。「それじゃあ……」「そうだ,ロザリー。心の隅に置いておくんだ。もしかすると,もしかするかもしれない。トイレット革命は巧妙に仕組まれた
──ロザリー・K・アローロ。ブーシュ・デュ・ローヌ県知事。
* * *
3 影響
ピクトグラム廃止の影響について,司法省が発表した『2034年版・性犯罪白書』ほどわかりやすいものはない。それにはこう述べられている。「2034年11月から2035年8月までの性犯罪の平均発生数は,過去10年間の平均発生数と比べ,210パーセントも増加している」。
ピクトグラム撤廃という行政指導によって出現した
* * *
『これは予期すべきことでした。撤廃と同時に増加する可能性は充分にあったからです。しかし不思議なことに,2倍以上の増加を誰も想定していませんでした』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
─────────
(*) 性犯罪・性的攻撃(sexual assault)。人の“トマト”を無理やり奪おうとする行為を指す。
『10万人中40.3人が,1年の間に何らかの性的攻撃にかかわっていたことを意味しています。これだけ聞くと少ないように感じるかもしれませんが,前年度が10万人中19人,さらにその前年は15人だったことを考えると,飛躍的な増加といえます』
──タチアナ・ラヴァル。法学者。パリ・ヴァル・ド・マルヌ大学。
『私はその時,妻といました。美術館の帰りでした。妻が「我慢できなくなった」と言ったので,仕方なく公衆トイレを利用することにしました。女性用トイレの方に行くと,中から誰が出てきたと思いますか? 女装した中年の男です。そして,妻をじろじろ見て,「君のトマトもおいしそうだね」などと,卑猥な言葉を浴びせて,去っていきました。凍り付きました』
──迷惑行為を受けたという男性。
『ある研究によれば,統計に挙げられていない行為,例えばストーカー・盗撮・盗聴などを含めると,フランスの5家族のうち1家族が,あの時期に何らかの迷惑行為を受けていたようです。そして興味深いことに,そのほとんどがトイレ付近で発生しています』
──アベル・ブロンダン。歴史学者。パンテオン・ソルボンヌ大学。
* * *
原因は何であれ,凍り付くのはまだ早い。これら「トイレ付近の治安の乱れ」がフランス史の中で特筆すべきなのは,この出来事をきっかけに,市民の中に「ある対立構造」が生まれたことである。
* * *
『ふつふつと沸き起ころうとしていたのです。道路の向こうから群れを成した市民が向かってくる様子をイメージできますか。彼らが「ピクトグラムを取り戻せ!」と叫んでいる様子をイメージできますか』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
『沸き起こったのは,市民による「ピクトグラム擁護運動」です。「本当にピクトグラムをなくすことは良いことだったのか。ピクトグラムがある方が幸せだったではないか」という運動です』
──タチアナ・ラヴァル。法学者。パリ・ヴァル・ド・マルヌ大学。
* * *
民衆は怒りを露わにした。「ピクトグラム廃止運動」に続き起こったのが,廃止に反対する運動である「ピクトグラム擁護運動」だ。
この運動に参加した女性は,BBF通信記者リリアン・ベレッタに対してこう述べている。
* * *
『行政がトイレマーク撤廃という愚かしい行為に及ぶからこうなるのよ! 性的弱者を侮ってるわけじゃないわ。ただもっと別の対処法があると思うの。
『マルセイユの殺人事件聞いた? ショッピングセンターのトイレ事件よ! あんなのないじゃない! 警備員が二人もいたのに,男が女性用トイレに入って,主婦の“トマト”を奪おうとした。それで揉み合いになって殺害されたなんて! どう考えても変よ! 子どもたちをトイレに行かせられないわ!
『やっぱりね,服装は男女を見分ける最低限のルールなのよ。男の人の女装を許すなら,誰が変質者を見分けるっていうの!』
──デモに参加した女性。
* * *
こうして,トイレに関連し,対立する二つの陣営が敷かれたのである。これらピクトグラム廃止派と存続派の対立はとんでもない事態を引き起こすのだった。
* * *
『その結果,決して起きないと思われた,あることが起きたのです』
──タチアナ・ラヴァル。法学者。パリ・ヴァル・ド・マルヌ大学。
『そうです,トイレの“消失”です!』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
『ショッピングセンターやカフェなどが,次々とトイレを閉鎖したり利用を中止したりしたからです。以前は「ピクトグラム廃止運動」のデモを恐れていましたが,今度は治安の安定を求める「擁護運動」に直面するようになったのです』
──タチアナ・ラヴァル。法学者。パリ・ヴァル・ド・マルヌ大学。
『それは一夜のうちに起きました。まるで,フランス全土がトイレの魔法にかかったような。お気に入りのコーヒーカップが,ある日突然,誰かによって盗まれたような,そんな不思議な感覚でした。トイレがないんです! メニューを注文するや否や,私はカフェの主人に叫びました。「どうしてトイレを使用できなくしたんですか!」。「当然でしょう」マスターは言います。「あると身に危険が及びます」』
──毎日カフェを利用するという女性。
* * *
リヨンにある,そのカフェの店主に,当時の心境について尋ねてみた。
* * *
『使用中止は苦渋の選択でした。でもそうするしかありませんでした。その日もお客が来て,トイレにピクトグラムがないのを見て怒鳴りました。「この犯罪の温床が!」。そしてトイレの扉を蹴り,つばを吐き,「おいマスター,この店にはもう来ないからな! 俺はピクトグラムがない世の中に心底うんざりしてるんだ! お前が考え方を改めない限り,二度と来ることはない!」。悄然としました』
──ジャン・バロー。マスター。カフェ「ラ・スフレ」。
* * *
トイレ問題は,今や相反する主義主張が混在し,人権や安全を重ね合わせた複雑な社会問題へと成り変わっていたのである。
では,トイレ消失のきっかけとなった「性犯罪」は,何が原因で急増したのだろうか。当時の集団心理について,専門家シャルル・N・キャスパー(Charles N Caspers)は次のように分析する。
4 要因
* * *
ベレッタ氏:
皆さんの心の
お会いできて光栄です,ムッシュ・キャスパー。2034年11月から増えた犯罪の原因や対策についてお聞きできることを嬉しく思っています。早速ですが,ここでいう性犯罪には,どのようなものが含まれるのでしょうか。教えていただけますか?
キャスパー氏:
ありとあらゆる,性に関連した事件,事故,問題です。性的攻撃はもちろんのことですが,つきまとうこと,“トマト”の盗撮や盗聴行為,それらをインターネットにアップすること,人の“トマト”について尋ねること,トイレで“トマト”を触ったり撫でたりすること,待ち伏せ,未成年の“トマト”を持ち去ろうとすることなどが含まれています。
ベレッタ氏:
なるほど,そうした行動が随分と増えたということですね。そのためにどのような状態が見受けられましたか。どのような対策をされましたか。
まず,連日のように通報が来ました。ショッピングモールや公園からの通報が多いように感じました。女性の被害がほとんどでしたが,中には若い男性や老人なども含まれていました。
「トイレの中に変装した男がいて中に入れない」とか,「隠しカメラが仕掛けられていて怖い」といった具合です。物理的な攻撃を浴びせられたケースも54件ありました。通報の件数が極端に多くなったある週などは,昼夜を問わず,公園内にパトカーを常駐させました。
ベレッタ氏:
警察の方々がわたしたちの身の安全のため,日夜尽力してくださっていることに改めて感謝の意を表明します。では,ピクトグラムをなくすことが,性犯罪を増やすことになったのはどうしてでしょうか。
キャスパー氏:
それは良い質問です。私は,ピクトグラム撤廃に対する極端な期待や,法整備の不行き届きが原因だと考えています。
そもそもピクトグラムが何を意味するのか思い出してみてください。ピクトグラムは社会的性差の象徴です。ですから,それをなくすなら,服装など外見で,性別を判断しないというメッセージを伝えることになるのではないでしょうか。
性別は外見で決まらない。確かにそうですが,トイレが性犯罪に対して潜在的なリスクを孕はらんでいたにもかかわらず,ピクトグラムをむやみに変更し,我々は当然の結果を刈り取ったのです。
トイレに入っている人間を誰も,男性であるとか女性であると決定できなくなってしまいました。たとえ犯罪者であってもそうなのです。
ベレッタ氏:
なるほど。法整備が追い付かなかったことや,ピクトグラムに対する極端な見方が,犯罪を助長していたということなのですね。
キャスパー氏:
もちろん,現在ほとんどの人は,このような極端な考え方はしません。でもジェンダーフリーの
ベレッタ氏:
ムッシュ・キャスパー,今日はインタビューに応じてくださり,ありがとうございました。
* * *
理解の深まるインタビューであった。専門家により,意見の異なるところであるが,性犯罪が急増した要因として一般に語られるのは,同氏が述べているように,
・法整備が不十分だったこと
・人々の価値観が革命に追いついていなかったこと
とされている。
こうしてフランス共和国全域は,自由と安全という相反する考え方によって,二分されることになった。
そしてこの問題に,国家として初めて挑んだのが,大統領ノルベール・シャイエ(Norbert Chailley)率いる当時の『シャイエ政権』である。
当時の大統領は,トイレット革命をどう見なし,どのようにメスを突き入れたのだろうか。その敢行は,何を解決し,どんな新しい問題を生んだのだろうか。それは果たして,正義だったのだろうか。
第Ⅳ部では,複雑化するこの問題に,フランスが「国家として」どのように取り組んだのか扱われる
──────────
(*) 携帯用トイレ(toilette portative)
当時の社会現象を象徴する物に「携帯用トイレ」がある。これは,簡易トイレのことで,持ち運び可能なトイレのことである。カフェや公園にトイレがあることを期待できなくなったため,人々は携帯トイレを常に持ち運び,“最終手段”として用いていた。
これに呼応するように,ユリノワール製造業TOLは,2034年12月から,利用しやすい携帯トイレの開発に着手。それによって売り上げを4割増やしていた。
この点についてより詳しくは,次の書籍を参照されたい。「革命の産物」(K・エルドリッヂ)167ページから205ページ。
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